十四
朝になり、ひどく疲れているような
「眠らなかったんですか?」
「あのクソ道士、交代で見張りとか言ったくせに一度も起きなかった……」
「私を起こせば良かったのに」
「やだよ。ぶっ倒れたら面倒だろ」
誰がクソ道士だ、と
改めて日の光の下に出ると全員悲惨な恰好をしている。血と泥と苔にまみれた衣服では街道を歩けそうにない。
「適当なところから服を拝借するか」
玉燕はそう言って先に立って歩き始めた。躊躇いなく盗みに走る道士はどうなのだと思うが、彼女は罪悪感の欠片も無いようだ。
朝の村は妙に人気が無かった。農村なら朝は早いはずなのに、田には誰もおらず無人の家が多い。目立たないように集落の外れにあった小さな家から服を借りた。
「よし、私はこれから廟の神像をちょっと拝借して岳州城に訴えに行く。お前らはどうするんだ? 道士を探してるんだっけ」
「ああ……」
結局、目当ての道士は見つからないままだ。あまり期待せず夜静は訊いた。
「貴女の他に道士は来ていないんですよね」
「うん? 私が来たのが、えーと十日前だ。一日経ってすぐ井戸に放り込まれたから、その間のことは分からない」
「俺たちが来るまでの間に誰か来たら分からないな」
「そういえば、貴女は連れがいたと言っていましたが、その人は分からないんですか?」
「ん? 私の連れは……」
玉燕の視線が彷徨う。それがふと止まって、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「
まったく気配が無かった。驚いて振り返ると、背後にあの少女が立っていた。
四郎の家に出て洛風に額を割られた少女だ。赤の長衣を身にまとい、切り揃えられた髪の下から整った目がこちらを見つめている。彼女の額にはぱっくり割られた痕が残っていて、それを見て玉燕は顔をしかめた。
「小燕、誰にやられたんだ? あの家のやつらか?」
洛風は目を逸らした。夜静は唖然として少女と玉燕を見比べる。
「あの……その子……幽鬼ですよね」
「ああ、まあ。良い子なんだが、あまり喋らないし普段は姿を見せない。道士が来たかどうかは分からないぞ」
小燕はつと視線を上げると、夜静を指差して言った。
「道士は、出ていけ」
一言ずつ区切るようにそう言う。玉燕は笑って彼女の頭を撫でる。
「よく言えたな。誰か来たら警告しろって言っておいたんだ。偉いだろ?」
「……」
なら普通に出てきてほしい。いくつかあった疑問が氷解し、額を押さえた。
「――分かりました。ああ、あと確認ですが、廟に
「そういや貼ったな。あの神、ひどい恨みと呪いが凝っていたから祟りそうで」
「この護符、そんなに効果あるのか?」
洛風はまだ持っていたのか、護符の切れ端を睨んでいる。玉燕はそれを覗き込み、ふと眉をひそめた。
「あれ? これ、夜静が描き足したのか?」
「え?」
玉燕は魔物を封じ込めた三角形の枠を指差した。三角形の枠の内、魔の頭に杭のようなものが刺さっている。
「これは
玉燕は首を傾げ、切れ端を弄ぶ。
「――うん、私の護符だ。誰かが手を加えてる。夜静は北生まれだから違うな。なら他に誰か来てるぞ」
「でも捕まらなかったんでしょうか」
「道服じゃなければ分からないだろうし、泊まらなかったら問題無い。それに
「あの妙な神、そんなに有名なのか?」
「殺人祭鬼はここら辺ではわりと聞くぞ。禁令が出てるくらいだからな。南生まれなら知っていてもおかしくない」
思わぬところに手掛かりがあった。夜静は護符を受け取り、確認するように問う。
「ということは、これに手を加えた人の出身は江南あたりに絞れますか」
「そうだな。少なくともその道士か、あるいは協力者に南生まれがいると思う。お前の探してるやつかは知らないが、時機が偶然にしては近すぎる。こんな田舎にそうたくさん道士が来るわけない」
江南生まれ。夜静が殺した二十七人のうち、江南生まれは四人だ。
考えるうちに、ふと恐ろしい疑いが芽生えた。烏夜七頭神の正体を知っているということは、屍仙符の条件も分かってしまったかもしれない。今まで夜静が屍仙符を試した人間を知っていれば、共通項を見つけるのはそう難しいことではない。
時間が無い。この村に来て妖神を見つけたその人物は、次にどこへ行くだろう。屍仙符の条件がもし分かったのなら、次は――。
「呪符を試すはず」
呟いた言葉に洛風がちらりと夜静を見た。
呪符を試すには死体が必要だ。この国で一番死体――屍仙符を試せる死体が集まる場所はどこだろう。その疑問に答えるように玉燕が言った。
「洛佑に行ったらどうだ。王都なら情報も集まるだろうし、あそこには今千里眼って言われてる巫師がいるぞ。人探しには便利だろ」
「千里眼?」
胡散臭い響きに眉をひそめる。玉燕も半分冗談なのか、あまり本気ではない口調で言った。
「よく当たるそうだ。前に話しただろ、南慶国。あの国の巫師だ。南慶は巫師が国王も務めるくらい巫術が盛んだし、何かの助けくらいにはなるんじゃないか」
「……気が向いたら訪ねてみます」
「ただ人気だからそう簡単には会えないな。今は
「――ええ、もちろん」
白吟之と名前の書かれた呪符はまだ持っていた。微かに顔色を変えた夜静を見て玉燕は少し目を細めたが、何も言わずに首を振った。
「まあ、私は関係無い。洛佑に行くならいずれまた会うかもな。じゃあ、お前は身体に気をつけろよ。そっちの破落戸はもうちょっと年上に対する口の利き方に気をつけるんだな」
好き勝手なことを言って、玉燕はあっさり立ち去って行った。小燕は煙のように姿が消える。
洛風は珍しく気の進まなそうな顔をしていた。
「洛佑なあ……」
「行きたくないんですか?」
「うーん、まあ、大丈夫だろ。なんでもない」
「というか、君も行くんですか。別にいいのに」
「だから道長、いい加減借金踏み倒そうとするの諦めろよ」
「……はあ」
軽く首を振って歩き出す。街道を目指し、目立たないよう森の近くを歩いていたが、ふと真新しい廟が目に入った。
「あれ、前もありましたっけ?」
指をさすと、洛風は目を細めて廟を見る。
「――無かったよ、あんな廟。造りが雑すぎる。一晩で作ったみたいだ」
「確かですか?」
「うん。俺、見たものをそのまま覚えるのは得意だから」
洛風は自慢げにそう言う。ということは、あの廟は本来なら夜静か玉燕を祀るはずだったものだろうか。
気になって足を向けると、洛風は文句を言わずについてきた。
廟の中には神像も無く、木札だけが立てられていた。表面に墨で「張氏」と書かれている。そっと触れると、まだ乾いていなかった。
「張氏って誰でしょう」
夜静たち以外にも囚われていた人がいたのだろうか。だが、洛風は微かに強張った顔で首を横に振った。
「違う。これ――
「四郎、の……」
不意に、心臓がどくりと鳴った。
夜静は廟の下、剥き出しの地面を軽く踏む。まだ床板は張られておらず、盛り上がった土は柔らかい。最近掘り返され、再度埋められた跡だ。
「洛風、近くに
「鋤ならあったぞ。どいて、掘り返せばいいんだろ」
洛風は手に鋤を持ち、土を掘り返し始めた。まだ柔らかいからか、案外早く棺の蓋が見えた。
「棺桶か?」
がつんと鋤が石蓋に当たる。夜静はそっと屈み、蓋に手を触れた。冷たい。
「蓋をどかしてくれませんか」
微かに震える声に、洛風は怪訝な顔をした。
「どかす? いいのか?」
「ええ。お願いします」
それ以上何も言わず、洛風は蓋に手を掛けた。さすがにほとんど土に埋まった状態ではずらすのは難しいらしく、三分の一ほどが見えた時点で動かせなくなった。だがそれでも、遺体の顔はよく見えた。
伽藍洞の眼。削がれた耳。熱湯を掛けられたせいか皮膚は焼け爛れていた。腹部には穴が開き、赤黒い肉が見えている。肝を抜き取られたのだろう。状態から、殺されてから時間はそう経っていない。まだ血の臭いが濃く漂っているほどだ。
目尻が痙攣する。見たものが信じられなくて、今なお井戸の底で悪い夢でも見ているような気がした。
――これで
あの言葉の意味。あれは、彼女が病気だという意味ではなかった。
「道長、これ……」
洛風の戸惑ったような声が遠い。棺桶の中から目を逸らせず、血の臭気に吐き気がした。
棺桶の底、耳目を失い横たわっているのは小梅だった。
女子どもを好むという妖神。病気には見えなかった小梅。三梅たちが必死に夜静を捕えようとしたわけがようやく分かった。
彼らは切羽詰まっていた。当主である長男とまだ幼い少女、家にとって大事な方を取り、血筋が絶えないようにする。それは夜静にはまったく無関係の話だ。なのにどうして苦しいのか分からない。小梅を殺したのは夜静ではないのに、なぜこんなに身体中痛むのだろう。
「道長のせいじゃないよ」
洛風の言葉でようやく息ができた。浅く呼吸を繰り返し、夜静はゆっくり頷いた。
「分かってます」
「――違う場所に埋葬するか? あいつらが餓鬼殺して神だって崇めてるの、なんか嫌だろ」
「いいえ……玉燕が訴えてくれれば自然と見つかるでしょう。私たちは部外者ですから、信仰に口出しはできない。ごめんなさい」
「なんで道長が謝るんだよ」
「君がとても怒ってるみたいだから」
洛風は虚を突かれたように一瞬黙り、それから気まずそうに笑った。
「俺は阿呆だから、信仰とかよく分からない。でも餓鬼殺すやつは嫌いなんだ、なんでか分かんないけど。道長に怒ってるわけじゃない」
じゃあ埋め直すか、と洛風は鋤を構えた。それを一旦止め、夜静は棺のそばに屈みこむ。
空っぽの目元から流れた血が固まり、涙のように顔を汚している。ふっくらした頬は強張り、苦悶の痕が色濃く残っていた。夜静は少女の胸元に貰った飴を置いた。
「小梅、きちんと供養できなくてごめんなさい」
呟くように言って立ち上がる。洛風が黙々と棺桶を元通り埋めていくのを眺めながら、ふと思った。
――夜静のことを友人だと言ってくれた人は、二人とも穴の底だ。
すぐに棺桶を埋め終わり、洛風は振り返る。いつものように明るく笑い、彼は言った。
「じゃあ行くか。誰か来たら面倒だし」
「……ええ、でも、君は――」
その後の言葉が続かなかった。洛風は怪訝そうにこちらを見ている。
「……なんでもないです」
結局そう言って洛風から目を逸らす。自分の考えたことに動揺した。
――君も死んでしまうかも。
予感ではない。確率の問題だ。〈赤釵〉の道士なんかに関われば嫌でも危険な目に遭う。
洛風がもし夜静に巻き込まれて死んでも、それは洛風の問題だ。ついてくるなとずっと言っていたのについてきたのは向こうの方で、だから夜静は悪くない。
そう思っていたはずなのに、なぜかひどく怖くなった。
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