玉燕ユーイェンは持っていた短刀で手早く夜静イェジンの縄を切ってくれた。

 彼女は長い髪を無造作に一つに結い、男物の道服を着ていた。名前を知らなければ十五、六の少年にしか見えない。七日前から閉じ込められているらしいが、夜静よりよほど元気だ。


「改めて、雪玉せつぎょく観の玉燕だ。ご存じか」

 雪玉観は、高梁国の王都・洛佑らくゆうにある有名な道観だ。国内最大の霊玉リンユー廟、つまり霊玉真人を祀る道観だった。

「……もちろんです。では貴女はさぞ高名な道士なんでしょうね」

 皮肉ではなく、雪玉観の道士は民からも道士からも尊敬される。だが玉燕は乾いた笑みを浮かべた。

「まあ……私は修行中だ。そうでもない。ところで、名を教えてくれないのか」

「あ――はい、私は夜静です」

「どこの道観?」

「どこにも所属していません。ご覧の通り不自由な身なので大したこともできませんが」

「ふうん」


 玉燕はじろじろと夜静の身体を見る。無遠慮に左足を指差し、彼女は訊いた。

「この足、酷いな。ちょっと見ていいか」

「え、いや、ちょっと」

 逃げる間もなく――というより逃げ場がそもそも無かった――玉燕に捕まり、がばっと裾を捲られる。さっさと沓も脱がされ、踝あたりまで露わになった。

 羞恥で顔が熱い。晒された皮膚は黒く強張り、皺が寄ってひどく醜かった。玉燕は鼻を鳴らして唇を歪める。

「ひどい壊疽だな。お前、何やったらこれだけ恨まれるんだ?」

「――え」

「時々気絶しそうなほど痛まないか? 放っとけば全身こうなって死ぬぞ。今はどこまで広がってる? そろそろ腰までいったか?」

 動揺して顔を背ける。病気だと思う人はいても、まさか原因を見抜かれるとは思わなかった。

 玉燕は夜静の顎を掴み、強引に目を合わせる。


「クソ野郎、こっち見ろ。正確に言えよ、何人殺した?」


 逆らえない迫力があった。夜静は気圧され、ややあって呟くように答える。

「……五十六人です」

 半分は仲間だ。同胞殺しの代償は重い。壊疽が広がるのが想定より早いのも、そのせいかもしれなかった。

「大したこともできないなんてずいぶんな謙遜だな」

 玉燕は不機嫌に吐き捨てる。

「もうできませんよ」

 彼女は白濁した夜静の右目を見て眉をひそめる。そのまま無言で懐から呪符を出すと、丸めたそれを夜静に突き出した。

「酒が無いからこのまま飲め」

「……なんですか、これ?」

「ありがたい雪玉観の護符だ。霊玉真人の無病息災の護符。五枚くらい飲めばたぶん大丈夫だろ。ほれ」

「うっ……」

 口をこじ開けられ、問答無用で飲み込まされた。喉につっかえて窒息しかける。なんとか飲み下したが、次々飲まされて休む暇も無かった。


 五枚飲んだのを確認すると、玉燕は「どうだ」と問う。確かに左足の痛みはましになった。だが、なぜ助けられたのか少しも分からない。

 訝しく見つめると、彼女は顔を引き攣らせて笑った。

「なんだよその目。仕方ないだろ、霊玉真人は病人がいたら問答無用で助けるもんなんだよ。相手がどんだけクソ野郎でもな。それに目の前で死なれたら私がこの後二日も死体と一緒に過ごさないといけない」

「……ええと、とりあえず、ありがとうございます」

「でも、一時的に症状を遅らせるだけだから。このままだとお前、あと一年くらいしか生きられないぞ。その前に寝たきりになってそうだけど」

「嫌な未来を言わないでください……」

 力なく返し、夜静は沓を履き直した。分かっているとはいえ、他人からそう言われると嫌な現実味がある。玉燕は行儀悪く胡坐をかいて夜静をじっと見据えた。


「なんでそんな身体になったのかは訊かないよ。言いたいなら言ってもいいが、私に言っても無駄だから。でも、この村に来たわけは教えろよ。道士がたまたま来るにしても、お前は北生まれだろ。岳州までわざわざ来たのはなんでだ」

 自分の目的を思い出し、夜静はゆっくりと目を瞬く。雪玉観の道士だと言ったが、それが本当だとは限らない。〈赤釵〉の道士ではないと分かるが、協力者の可能性もあった。

「……私は、ある道士を追っているんです。大事なものを盗られて。ここに行ったかと思ったんですが」

 玉燕は目を眇める。

「――嘘をつかなかったのは良いことだ。だけどお前、大事なところ何も説明してないぞ」

「得体の知れない相手にそこまで詳しく話せません。貴女の目的も教えてください」

「お前……まあいいや。私は、江南で霊玉真人の名を名乗る道士がいるっていう噂を聞いて調べに来たんだよ。雪玉観としては見逃せないからな。霊玉廟の道士だとしても不敬、そうじゃないならなおさらまずい。実際病人が治ってるっていうし、霊玉真人の護符を盗んだのかと思ってた」

 ワン子言ズーイェンのことだ。霊玉真人の護符とは、さっき夜静に呑ませたもののことだろう。話の筋は通っている。一応その話を信じることにして、夜静はさらに訊いた。

「その人を捕まえたんですか?」

「捕まえる前に私がこの村に捕まったんだよ。というか、お前何か知ってるだろ。私に嘘つくなよ。全部分かるから」

 それは憶測ではなく確信に満ちた物言いだった。睨まれ、夜静は仕方なく答える。


「……柳州でその霊玉真人を名乗る道士に会いました」

「柳州だったか! あいつそんなところまで……で、どうしたんだよ?」

「色々事情があって……彼が使っていたのは貴女の使っていた護符とはまた別です。危険な呪符だったので、二度と使わないように言い聞かせました。その後は知りません」

「なんだよそれ。縛って州城に突き出せよ。逃げたらどうすんだ」

 州侯が彼に頼っていたということは言わずに曖昧に笑う。玉燕は大袈裟にため息をつき、かぶりを振った。

「分かった。ここから出たらその道士のこともっと詳しく話せよ。お前の番。質問していいよ」

 知らないうちに情報交換のようになっている。ありがたく夜静は質問した。


「では……その霊玉真人を名乗る道士は、死人を蘇らせようとしていました。雪玉観にはそんな術があるんですか」

 迷った末にそう言った。素直に屍仙符のことを言うわけにはいかない。

 玉燕は口を開け、一瞬後で声を立てて笑い出した。

「阿呆なのかそいつは。死人を蘇らせてどうすんだよ。霊玉真人にはそんな逸話無いし」

 肩を揺すって笑う彼女は嘘をついているようには見えない。やはり無関係なのだろうか。

「そう……ですよね。ありがとうございます」

「じゃあ私の番。盗られた大事なものってなんだ」

「呪符です。それ以上は言えません」

「ふうん。他人を呪い殺す呪符とか?」

「そうかもしれませんね」

「違うのか」

 玉燕は気に入らないというように唇を曲げる。

「ひょっとして、お前の呪符を盗んだ道士をその霊玉真人の偽物だと思ったのか?」

「……ええ、まあ。結局違いました。貴女も怪しいといえば怪しいです」

「私? 私は死人を蘇らせたいなんて思わないぞ。そんな呪符盗まない」

「……」

 ぴくりと目尻が震えた。当たりだと玉燕は笑う。

「反魂の術は誰もが一度は夢見るものだ。でも、霊玉真人でもそれは叶わなかった。だから生きている人を治す術を探したんだ。そういう逸話を持つ霊玉廟の道士は、決して死者蘇生には手を出さない。興味も無いし」

「――貴女は誰かを生き返らせたいとは思わないのですか」

「私の旧知は皆死んでずいぶん経ってるからな。そう思うのは理解できるが、共感はしない。大体お前も誰かを蘇らせたいと思う方ではないだろ?」

 確かに、蘇らせてまで死者に会いたいと思う気持ちは理解できなかった。死んだ時点でもうその人は終わってしまったのだ。

 でも一人だけ蘇らせたい人間ならいた。だが夜静の屍仙符ですら、生前の状態へと完全に戻すことは不可能だ。なのに蘇らせたいと思うのは、自分の後悔を払拭するため、それだけの浅ましい理由だった。

 ――きっと文清ウェンチンなら、夜静のせいではないと言ってくれると思うから。


「じゃあお前の番。何か訊きたいことはあるか?」

 玉燕の双眸が夜静を捉える。

 彼女のことを完全に信じたわけではないが、ここから抜け出すのが先だ。夜静は頷き、問う。

「この村は一体何なんですか? 人身売買をしているわけではないでしょう」

「なんだ、見当ついてないのか?」

「確証が無いので」

 くつくつと笑い、彼女は口角を吊り上げた。


「じゃあ教えてやる。――ここは殺人祭鬼の村だ」

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