村では異常なほどの歓待を受けた。誇張ではなく、その歓迎ぶりに警戒していた洛風ルオフォンすら面食らったほどだ。


 そこは小さな村で、川から少し離れた場所に位置していた。廃村と同じように、いくつかある廟には七面の神が祀られている。

 聞けば、江家は柳州に行っていて不在らしかった。一月は戻らないと言われて困ったが、帰ってくるまで滞在すればいいと四郎スーランは言う。探している道士がいないなら用は無いのだが、夜静たちより後に来る可能性もある。しばらくは様子を見ようと決めた。


「こっちが俺の母、あっちが叔母で、隣が叔父、右にいるのは従姉で、あの子どもは俺の妹の子で――」

 四郎の家に泊まらせてもらうことになったが、彼の同居人を覚えるのは無理そうだった。洛風は早々に諦めて聞き流している。十四人ほどから次々挨拶されたが、これでも全員ではないらしかった。

「まあ、覚えられないよなあ。別にいいよ。用があれば俺に言ってくれればいいから」

 四郎は苦笑しながらそう結ぶ。礼を言うと、とんでもないと彼は手を振った。

「道士様がこの村に来てくれるなんて、こっちから礼を言いたいくらいだよ。何も無いところだけど、ゆっくり休んでくれ。柳州から来たなら疲れてるだろ」

 その後彼は、田を見てくると言って出て行った。夜静と洛風は四郎の妹だという女に家の中に招かれる。


「四郎兄さんはうちの大事な働き手なんです。上の兄三人は駄目で」

 彼女は三梅サンメイと名乗った。快活な四郎に比べると物静かな印象だ。八歳ほどの娘を連れていたが、遊んでおいでと家の外に送り出す。外へ駆けて行く少女の背を、洛風はちらりと目で追っていた。

「駄目? 怪我でもされたんですか」

「まあ……長男は怪我をして寝たきりで、次男は余所の家に婿入りして、三男は家を出て帰ってこなくて……」

 囁くような声音だった。彼女は俯き加減に歩き、時々杖をつく夜静を気遣うように振り返る。

「すみません。お客さんにこんな話……でも、男が少ないと思ったでしょう? そういうことです。長男と三男のこともあるし、父も早死にして、私の夫も一年前に亡くなりました。うちは何か罰が当たったのかもと……道士様ならお分かりになりますか?」

 縋るような目を向けられる。夜静はしばらく言葉を失っていたが、曖昧に微笑んだ。

「不安なら、護符を差し上げます。私は……」

 まさか、人を呪ってばかりだったから運気を良くするすべにはそこまで詳しくないなどとは言えない。

「……まだ修行中なので、お力になれるか分かりませんが」

「いえ、ありがとうございます。これで小梅シャオメイも助かるといいのですが」

 彼女は茫とした目で家の奥、わだかまった闇を見つめる。

「小梅――さっきの娘さんですか。あの子にも何か?」

「ええ。病……のようなものです。でもきっと、道士様が来てくださったから大丈夫だわ」

 細い声が廊下に響く。夜静は困惑して黙った。

 この村の人たちは、道士に対して過剰な期待をしている。夜静が来たところで娘の病が治るわけがないのに。


 三梅は二人を西の広い部屋に案内した。婿入りしたという次男が使っていたそうだ。

「客間なんて上等なものがないんです。暗い部屋でごめんなさいね。後で寝具を運びますから」

 ぽつぽつと呟くように言って、彼女は一礼して去っていった。華奢な背中が遠のいていく。

 洛風は腕を組み、微かに眉をひそめた。

「妙な家だな。男ばっか死ぬとか」

「そういうこともあるでしょう」

「あの人も美人だけど暗いし」

 確かに綺麗な人だったが、病的なほど青ざめた顔だった。

「具合が悪いんだと思います。気が塞がってるし土地も良くない」

 部屋の隅にあった籐椅子に腰掛ける。洛風は床に胡座をかいて夜静の方に目を向けた。

「土地? なんで?」

「こういう起伏の無い土地は賤竜といって良くないんです。この家は厨房の位置も悪いと思いますし……羅盤があればもう少し分かるんですが、風水は専門じゃないので」

「色々あるんだな。方角がどうとかは聞いたことあるけど。この家は厨房が凶方にあるってこと?」

「逆です。普通は凶方に置いて悪い気を燃やすのが良いとされるんです。でもこの家は悪い気が溜まっているように見えますから」

「へえ」

 洛風は難しい顔で黙り込む。彼はあまりこういうことを気にしないのだろう。

「でもじゃあ、家建て直さないと駄目なんじゃねえの?」

「もちろんできればそれがいいですが、普通は無理ですね。だから護符を差し上げようと思って」


 夜静は懐にあった紙を四角に切り抜き、慣れた手つきで呪句を書いていく。

「前から思ってたんだけど、護符とかってわりと簡単に作れるんだな」

 その言い草に苦笑が漏れた。

「簡単ってなんですか。力のある人が作らないと効果は出ないんですよ」

「そんなもんなの? 変な絵だな」

 できた護符を見て洛風が呟く。両手足を縛られた男の絵の上に呪句が大量に書かれている。確かに奇異だろう。

「……これは鎮煞ちんさつ符といって、魔を封じるものです。悪い気で寄ってくる魔くらいならたぶんどうにかできるでしょう。本当は身代わりの札を用意したいんですけど」

「身代わり?」

「護符とはまた違うものですが、家の災いを代わりに引き受けてくれるものです。でもさすがに紙も足りないし……」

 量産できればいいのにという不遜な考えが浮かぶ。そうすれば護符を売って洛風に金を返すことだってできるだろう。いくら借りているんだか、正直考えたくない。


「じゃあ俺は、ちょっと村見てくるよ。なんか変なところだし、ついでに道士がいないか探してみる」

「そうですか。じゃあ私も――」

「道長は来なくていい。これ以上動くと明日寝込むぞ」

「……」

 悔しいが、洛風の忠告は外れたことがない。本人よりずっと夜静の体調を分かっているのだ。不貞腐れて籐椅子に座り直すと、彼は軽く笑って「すぐ戻るよ」と言い、出て行った。



 しばらくは大人しく護符を書いていたが、時間が経つにつれて部屋の中はますます暗くなった。戸は開けているのに、極端に日当たりが悪いのだろうか。こんな場所で暮らしていたら誰だって具合が悪くなりそうだ。

 一時辰ほど経ってから、蝋燭か何かを借りにいこうと思い立ち上がった。だが廊下には異様なほど人気が無い。日は傾き始め、四角く建物に囲まれた院子なかにわの木々が長い影を落としていた。


「出ていけ」


 不意に、幽かな声が聞こえた。


 足を止める。目の前の院子、そこに植えられた木の陰から誰かがこちらを覗いていた。

 丸く見開かれた目が薄闇に浮かんでいる。少女のように見えるが、小梅ではない。他に幼い娘がいたのだろうか。名乗ろうかと思ったが、ふと違和感を覚えた。

 身体の左半分は木に隠れていたが、彼女が到底農民には見えない豪華な長衣を着ているのが見えた。

 夜静は一歩下がり、袖の中の鎮煞ちんさつ符を掴む。

「出ていけ」

 少女の声は抑揚が無かった。瞬きをしない目を見て、彼女が人間ではないと気づく。

 睨み合っていても解決しないが、魔物に対して返事をするのは駄目、身体も不自由で相手の正体は分からないとなると、どうしようもなかった。


 ――普通、妖魔邪祟は家の中まで入ることができない。


 唐突に洞主の言葉を思い出す。彼はいつも物静かな笑みを湛えてゆっくりと話した。懐かしい思いを抱きかけたが、それはすぐに霧散する。

 ――ではなぜ、彼女は家に入り込んでいるのだろう。

 招かれずとも入り込めるほど強いものなのかもしれないが、それほどの邪気は感じない。元々誰かに招かれて入り込んでいたというのが一番ありえるが、一体誰が?

「でていけ」

 少女の身体がゆっくりと木陰から出る。近づいてくる。衣擦れの音は聞こえず、紙のように白い顔には表情が無かった。

「で、ていけ」

 血のように赤い衣が目に焼きつく。彼女はぎこちない動作で手を上げ、そして夜静を指差した。

「どう、しは――」

「……え?」

 思わず声を上げた瞬間、何かが恐ろしい速さで飛んできて少女の額を貫いた。


 赤の裾が翻り、少女はのけぞって倒れていく。草叢が揺れ、その身体は薄闇に呑まれた。


 しばらく唖然とした。突然の出来事に頭が追いつかないが、誰がやったのかは分かる。


「――洛風!」


 渡り廊下にはいつの間にか洛風が立っていた。彼は夜静に目を向けず、院子に出て行く。少女が倒れたあたりに屈みこみ、立ち上がった時には短刀を握っていた。

「当たったと思ったのにな」

 慌てて夜静もそちらへ向かった。何度か転びかけながら洛風の元へ行く。洛風の「気をつけろよ」という言葉に返事をせず、彼を睨んだ。

「本当に――何やってるんですか? よりによって傷つけるなんて――」

「でも人じゃないだろ」

 短刀で額を割られ、倒れたはずの少女の姿は無い。だが、そういう問題じゃないですと間髪入れずに答えた。

「祟られたらどうするんですか。正体の分からないモノに手を出すなんてありえない」

「だって、道長が動かないから何かされたのかと思って。大丈夫?」

 へらへら笑いながらそう言う洛風に無性に苛立ちを覚えた。

「君の方が危ないですよ。その短刀は捨てましょう。あと気分の悪いところとか痛いところとかありますか。寒気がするとか妙に身体が熱いとか――」

 いつになく早口でまくし立てる様子に洛風は驚いたようだったが、やがて嬉しそうに目を細めた。

「道長、俺のこと心配してるの?」

「は?」

 しばらく黙ってから、夜静は杖の先で思い切り洛風の足を踏みつけた。

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