三
村では異常なほどの歓待を受けた。誇張ではなく、その歓迎ぶりに警戒していた
そこは小さな村で、川から少し離れた場所に位置していた。廃村と同じように、いくつかある廟には七面の神が祀られている。
聞けば、江家は柳州に行っていて不在らしかった。一月は戻らないと言われて困ったが、帰ってくるまで滞在すればいいと
「こっちが俺の母、あっちが叔母で、隣が叔父、右にいるのは従姉で、あの子どもは俺の妹の子で――」
四郎の家に泊まらせてもらうことになったが、彼の同居人を覚えるのは無理そうだった。洛風は早々に諦めて聞き流している。十四人ほどから次々挨拶されたが、これでも全員ではないらしかった。
「まあ、覚えられないよなあ。別にいいよ。用があれば俺に言ってくれればいいから」
四郎は苦笑しながらそう結ぶ。礼を言うと、とんでもないと彼は手を振った。
「道士様がこの村に来てくれるなんて、こっちから礼を言いたいくらいだよ。何も無いところだけど、ゆっくり休んでくれ。柳州から来たなら疲れてるだろ」
その後彼は、田を見てくると言って出て行った。夜静と洛風は四郎の妹だという女に家の中に招かれる。
「四郎兄さんはうちの大事な働き手なんです。上の兄三人は駄目で」
彼女は
「駄目? 怪我でもされたんですか」
「まあ……長男は怪我をして寝たきりで、次男は余所の家に婿入りして、三男は家を出て帰ってこなくて……」
囁くような声音だった。彼女は俯き加減に歩き、時々杖をつく夜静を気遣うように振り返る。
「すみません。お客さんにこんな話……でも、男が少ないと思ったでしょう? そういうことです。長男と三男のこともあるし、父も早死にして、私の夫も一年前に亡くなりました。うちは何か罰が当たったのかもと……道士様ならお分かりになりますか?」
縋るような目を向けられる。夜静はしばらく言葉を失っていたが、曖昧に微笑んだ。
「不安なら、護符を差し上げます。私は……」
まさか、人を呪ってばかりだったから運気を良くする
「……まだ修行中なので、お力になれるか分かりませんが」
「いえ、ありがとうございます。これで
彼女は茫とした目で家の奥、
「小梅――さっきの娘さんですか。あの子にも何か?」
「ええ。病……のようなものです。でもきっと、道士様が来てくださったから大丈夫だわ」
細い声が廊下に響く。夜静は困惑して黙った。
この村の人たちは、道士に対して過剰な期待をしている。夜静が来たところで娘の病が治るわけがないのに。
三梅は二人を西の広い部屋に案内した。婿入りしたという次男が使っていたそうだ。
「客間なんて上等なものがないんです。暗い部屋でごめんなさいね。後で寝具を運びますから」
ぽつぽつと呟くように言って、彼女は一礼して去っていった。華奢な背中が遠のいていく。
洛風は腕を組み、微かに眉をひそめた。
「妙な家だな。男ばっか死ぬとか」
「そういうこともあるでしょう」
「あの人も美人だけど暗いし」
確かに綺麗な人だったが、病的なほど青ざめた顔だった。
「具合が悪いんだと思います。気が塞がってるし土地も良くない」
部屋の隅にあった籐椅子に腰掛ける。洛風は床に胡座をかいて夜静の方に目を向けた。
「土地? なんで?」
「こういう起伏の無い土地は賤竜といって良くないんです。この家は厨房の位置も悪いと思いますし……羅盤があればもう少し分かるんですが、風水は専門じゃないので」
「色々あるんだな。方角がどうとかは聞いたことあるけど。この家は厨房が凶方にあるってこと?」
「逆です。普通は凶方に置いて悪い気を燃やすのが良いとされるんです。でもこの家は悪い気が溜まっているように見えますから」
「へえ」
洛風は難しい顔で黙り込む。彼はあまりこういうことを気にしないのだろう。
「でもじゃあ、家建て直さないと駄目なんじゃねえの?」
「もちろんできればそれがいいですが、普通は無理ですね。だから護符を差し上げようと思って」
夜静は懐にあった紙を四角に切り抜き、慣れた手つきで呪句を書いていく。
「前から思ってたんだけど、護符とかってわりと簡単に作れるんだな」
その言い草に苦笑が漏れた。
「簡単ってなんですか。力のある人が作らないと効果は出ないんですよ」
「そんなもんなの? 変な絵だな」
できた護符を見て洛風が呟く。両手足を縛られた男の絵の上に呪句が大量に書かれている。確かに奇異だろう。
「……これは
「身代わり?」
「護符とはまた違うものですが、家の災いを代わりに引き受けてくれるものです。でもさすがに紙も足りないし……」
量産できればいいのにという不遜な考えが浮かぶ。そうすれば護符を売って洛風に金を返すことだってできるだろう。いくら借りているんだか、正直考えたくない。
「じゃあ俺は、ちょっと村見てくるよ。なんか変なところだし、ついでに道士がいないか探してみる」
「そうですか。じゃあ私も――」
「道長は来なくていい。これ以上動くと明日寝込むぞ」
「……」
悔しいが、洛風の忠告は外れたことがない。本人よりずっと夜静の体調を分かっているのだ。不貞腐れて籐椅子に座り直すと、彼は軽く笑って「すぐ戻るよ」と言い、出て行った。
しばらくは大人しく護符を書いていたが、時間が経つにつれて部屋の中はますます暗くなった。戸は開けているのに、極端に日当たりが悪いのだろうか。こんな場所で暮らしていたら誰だって具合が悪くなりそうだ。
一時辰ほど経ってから、蝋燭か何かを借りにいこうと思い立ち上がった。だが廊下には異様なほど人気が無い。日は傾き始め、四角く建物に囲まれた
「出ていけ」
不意に、幽かな声が聞こえた。
足を止める。目の前の院子、そこに植えられた木の陰から誰かがこちらを覗いていた。
丸く見開かれた目が薄闇に浮かんでいる。少女のように見えるが、小梅ではない。他に幼い娘がいたのだろうか。名乗ろうかと思ったが、ふと違和感を覚えた。
身体の左半分は木に隠れていたが、彼女が到底農民には見えない豪華な長衣を着ているのが見えた。
夜静は一歩下がり、袖の中の
「出ていけ」
少女の声は抑揚が無かった。瞬きをしない目を見て、彼女が人間ではないと気づく。
睨み合っていても解決しないが、魔物に対して返事をするのは駄目、身体も不自由で相手の正体は分からないとなると、どうしようもなかった。
――普通、妖魔邪祟は家の中まで入ることができない。
唐突に洞主の言葉を思い出す。彼はいつも物静かな笑みを湛えてゆっくりと話した。懐かしい思いを抱きかけたが、それはすぐに霧散する。
――ではなぜ、彼女は家に入り込んでいるのだろう。
招かれずとも入り込めるほど強いものなのかもしれないが、それほどの邪気は感じない。元々誰かに招かれて入り込んでいたというのが一番ありえるが、一体誰が?
「でていけ」
少女の身体がゆっくりと木陰から出る。近づいてくる。衣擦れの音は聞こえず、紙のように白い顔には表情が無かった。
「で、ていけ」
血のように赤い衣が目に焼きつく。彼女はぎこちない動作で手を上げ、そして夜静を指差した。
「どう、しは――」
「……え?」
思わず声を上げた瞬間、何かが恐ろしい速さで飛んできて少女の額を貫いた。
赤の裾が翻り、少女はのけぞって倒れていく。草叢が揺れ、その身体は薄闇に呑まれた。
しばらく唖然とした。突然の出来事に頭が追いつかないが、誰がやったのかは分かる。
「――洛風!」
渡り廊下にはいつの間にか洛風が立っていた。彼は夜静に目を向けず、院子に出て行く。少女が倒れたあたりに屈みこみ、立ち上がった時には短刀を握っていた。
「当たったと思ったのにな」
慌てて夜静もそちらへ向かった。何度か転びかけながら洛風の元へ行く。洛風の「気をつけろよ」という言葉に返事をせず、彼を睨んだ。
「本当に――何やってるんですか? よりによって傷つけるなんて――」
「でも人じゃないだろ」
短刀で額を割られ、倒れたはずの少女の姿は無い。だが、そういう問題じゃないですと間髪入れずに答えた。
「祟られたらどうするんですか。正体の分からないモノに手を出すなんてありえない」
「だって、道長が動かないから何かされたのかと思って。大丈夫?」
へらへら笑いながらそう言う洛風に無性に苛立ちを覚えた。
「君の方が危ないですよ。その短刀は捨てましょう。あと気分の悪いところとか痛いところとかありますか。寒気がするとか妙に身体が熱いとか――」
いつになく早口でまくし立てる様子に洛風は驚いたようだったが、やがて嬉しそうに目を細めた。
「道長、俺のこと心配してるの?」
「は?」
しばらく黙ってから、夜静は杖の先で思い切り洛風の足を踏みつけた。
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