第7話 これからも続く

 あれからあっという間に二週間の時が流れた。

 期末テストも終わり、今日はその結果が生徒のもとに届いた。

 廊下に張り出された成績上位者の張り紙で、上位者は大半の生徒に知られ、羨ましがられる。上位者の特権と呼ぶべきものだろう。

 ただし俺にはそのような特権はない。相変わらず周りからは避けられ続け、俺が一位になっても何一つそれが噂として流れることはない。流れているのは『不幸の子』から派生していっている嘘八百な噂ばかりである。

 今までならその状況に気分を悪くし、きっと今日も学校には来ていなかったことだろう。でも、そんな日々はもうやってこない。

 放課後。俺はみんなと帰る約束をしていたため、玄関で待ち合わせをしていた。

 早く来過ぎたかな、と思っていたが、すぐに大地が合流した。


「一位キープおめでとう、健樹」

「おう。そういえば大地の順位、上がってたな」

「そうそう。遂に一桁まで上り詰めたぞ」

「ほんと、施設時代から考えたら絶対に有り得ないよな。因みに福川先生にさっきメールで報告したら、三点リーダーだけの返信が来たぞ」

「一体どっちの意味で言葉を失ってるんだ⁉」


 まぁ考えるもなく、『有り得ない』という意味だろう。

 でも実際、本当に順位を上げているのだから、確実に努力を重ねているのだろう。


「まぁでも、俺に勝つにはまだまだ遠いな」

「そうだよなぁ。相変わらず二人だけ異常に点数高いし」


 今回のテスト、俺の結果は順位の変動なしで一位。平均点は前回テストより下がっているものの、俺自身の点数は前回より上がっていたのでかなり満足のいく結果だった。

 テスト前に出かけたあの日の埋め合わせをすべく、結局買ったあの本を封印して勉強に挑んだことが功を奏したのだろう。

 今日は、あの時読めなかった分が思う存分読めるなと思うと、もう胸の高鳴りが抑えられそうにない。


「夏休みさ、勉強会でもする?」


 大地がいきなり夏休み中の予定を提案した。


「まぁ、いいけど」

「おや? 敵に教えるとはさぞ余裕なのでしょうな」


 自分から提案しておいて煽るとはなんと理不尽な……。


「教えることは自分の勉強にもなる。まぁ要するに、自分のためだな」

「さすが一位……」


 一学期期末テストが終わった。

 まだ補講期間こそ残っているものの、それは夏休みの到来を意味している。

 実際、この頃は猛暑にも見舞われ、夏の到来をひしひしと感じられるようになった。


「それで、あいつらは?」

「もうすぐ来るだろ」

「待たせてごめんね、大地君」


 下校する生徒を掻き分けて現れたのは、髪が伸び、後ろで結んでポニーテールになった小山さんだった。本人曰く、今後は髪を伸ばす予定だという。


「いや全然。テストの結果はどうだった?」


 大地の問いに小山さんが笑顔を浮かべた。


「前回より上がってた。これも大地君のおかげだよ」

「頑張ったのは御波で、俺は大したことしてないよ。それに礼を言うなら俺じゃないだろ?」


 そう言って大地は俺の方に目を向ける。


「あ、そうだった。この前はありがとね、地崎君」

「あぁ。そんなの気にしなくてもいいよ」



 天宮と、『花の香りは優しさの嘘』の聖地に行った次の日のこと。小山さんから、突然メールが届いた。


『この問題、教えてほしいです』


 そのメールには学校のテスト課題の写真が添付されていた。どう考えても頼るなら大地が先だろと思い、聞いてみたところ。


『「俺も分からん」って言われて……』

「何て頼れない彼氏だ。何のために勉強してんだろあいつ……」


 小山さんには俺は天宮との仲直りの件の際に借りがあった。

 その借りも返さないとなと思っていたので、俺はノートに解説を書いたりして教えてあげていたのだ。

 因みにその一回に限らず、小山さんに複数回メールで教えを請われた。

 あえて尋ねはしなかったが、彼氏が答えられなかったから俺にメールしてきていたのだろう。

 だとすれば、大地の順位が一桁なのが不思議に思えてしょうがない。


「それより、健樹の家で勉強会するって予定立ててるんだけど、どう?」

「何勝手に人の家に決めてるんだお前は」


 大地の勝手な物言いに文句を言うが、大地は全く聞こうとしない。


「泊まり込みで、二泊三日の合宿みたいにするのはどう?」


 小山さんが興味津々の様子で話に入ってくる。


「それいいな!」


 大地が小山さんの案に便乗する。


「小山さんが勉強して分からない問題が出たとき、全て答えられるようにたっぷりしごいてやるから覚悟しておけよ」

「悪かったって。今回でさすがに彼氏として頼りないなって痛感させられたんだよ。だからもっと勉強頑張らないとなって」

「だったら、大地だけ三十泊三十一日でもいいんだぞ?」

「勘弁してください……」


 大地が泣きそうに許しを請う。もちろん、こちら側としても迷惑なので、最初からやる気などない。


「私も彼女として思うところあったんだよね。地崎君と協力して、叩き込むよ?」

「え、御波もそっち側なの!?」



 最近、俺の生活が大きく変化がしていた。

 テスト後、大地の家に遊びに行ったり、テスト後の復習を兼ねて俺の家にみんなで集まったり。ずっと何もなかった小、中学校時代の生活が、まるで遅れてやってきたかのような感覚だった。

 家族との間にも少し変化があった。

 今まではしてこなかった家族揃っての食事が、ここ最近は続いている。

 まだ、家族との距離感は上手くつかめていないが、人間不信の影響で完全に部屋にこもっていたころに比べれば大きな進歩だと思う。

 一か月前に小山さんがボソッと呟いていたことがある。


『でも、その居心地のいい環境は、案外近くにあるんじゃないかな』


 彼女が言いたかったのはこういうことだったのだろうか。

 俺の気付かないうちに、俺の周りには友達がいて家族ができつつある。俺はそのことに居心地の良さを感じ始めている。

 もちろん完全に人間不信や過去のことから離れられたわけじゃない。

 依然として、俺はあの過去を引き摺り続けている。

 それでも今、何も先が見えなかったあの状態から、一筋の希望が見えるようになったように一歩前進したのであれば、きっとこれからも前進していける。そうやって少し前向きに捉えられるようになってきている。


「あ、もう三人いるね」

「おぉ、一ノ瀬君! お疲れ~」


 大地からの労いの言葉に一ノ瀬君少し照れた様子で合流した。


「一ノ瀬君、順位はどうだった?」


 俺は一ノ瀬君に尋ねる。

 成績上位者に名前のある生徒であれば、わざわざ聞かなくて済むのだが、彼は成績上位者に名前がなかった。

 ただ、彼は別に勉強ができないわけではなく、成績は半分より上の生徒だ。


「今回、上がってたよ。地崎君のおかげだね」

「いやいや、そんなことは……」


 そんな彼の情報を知っているのは、テスト数日前の出来事がきっかけだった。



「普段からこんなに勉強してるの?」


 俺は、放課後になってもすぐに帰ろうとせず、勉強用具を取り出し始めた彼に声をかけた。  

 休み時間も授業開始の寸前まで勉強をしている彼の姿を見ていたので、かなり気になっていたのだ。


「テストの前だけだよ」

「それにしても、すごい熱が入ってるよね」

「うん。テストでいい成績残せないと進学の時に困るから……」

「そっか……」


 俺にとっての勉強は、あらゆる本を読めるように、理解できるようにするためのもの。一度だって、彼のように進学先のためと考えたことがなかった。


「そういえば、地崎君って、成績一位だったよね?」

「うん、まぁ」


 何だかデジャブを感じる。


「分からない問題あったら聞いてもいい?」

「分かった。いつでも聞いてくれ」


 俺は、数少ない得意分野なら力になれるだろうと二つ返事で了承した。

 ずっと彼を頼れなかったことに対する罪滅ぼしをできる機会が欲しかった俺としては、とても嬉しいことでもあった。


「ありがとう。頼りするよ!」

「早速だけど、そこ間違ってるよ?」

「えっ!?」


 

 それからテストが終わるまでほぼ毎日のように、授業の合間時間や、朝と放課後の時間を利用して彼に勉強を教えた。

 過去、大地に教えていた影響からか、ものすごく物分かりがよくて理解が早かった気がしたが、彼の自力もあるのだろう。実際、今回のテストで順位を上げたことから、今後の伸びしろも十分にあると思う。


「それで、天宮さんは?」


 この場にいない最後の一人を一ノ瀬君は指摘する。


「あいつ、悔しくて泣いてるとかねぇよな?」

「誰が泣いてるって?」


 背中側から声がして、俺は思わず振り返った。


「げっ……、って目の下赤いぞ?」

「気のせいよ!」


 そういって天宮香苗は目を強く擦った、

 天宮は現在活動休止中の有名女優で、学校一の美少女。容姿端麗、成績優秀と、まさに学生にとっての理想形である。

 仕事復帰の延期し、学校生活を優先すると決めた彼女は、それまで仕事に使っていた時間のほとんどを勉強に費やし、打倒俺に燃えていたというが、結果は周知の事実だ。


「何で勝てないの……」


 天宮は悔しそうに項垂れた。

 あらゆる手を尽くして俺に勝とうとした彼女だったが、結果は惨敗だった。


「コピーはオリジナルに勝てないって言っただろ?」

「次はどうしよう……。そうだ! 公式とかを紙に書いて服の中に忍び込ませれば……」

「失格、そして退学からの芸能界引退だ」

「もちろん冗談よ」


 冗談と分かっていても、天宮なら普通にやりかねないと思ってしまうほど、彼女は勝つために手段を択ばない。


「なぁ、天宮さん」

「どうしたの? 染谷君」


 大地が突然話しかけたことに天宮が不思議そうな表情を浮かべた。


「何としても在学中に健樹に勝とうな!」

「あ、いいこと思いついた。染谷君が健樹君を足止めして私が勉強すれば、健樹君にも勝てる!」

「堂々と作戦を実行前から対象の前で話すわ、作戦があまりにも姑息すぎるわ、共通の仲間をいきなり利用し始めるわで、ツッコミどころが多すぎるんだが……」

「天宮さん、せめて俺にも勉強させて下さい……」


 さすがの大地も若干引いている様子。


「っていうのももちろん冗談。次からは正々堂々と勝負よ、健樹君」


 自分からこれまでは正々堂々やってませんって認めちゃってるよ……。

 本当に学年二位で俺との得点差、僅か一点の生徒だとは思えない……。


「まぁそんなことはともかく、急にみんなで帰ろうと言い出したのはなぜだ、大地」

「あぁ、そうだった」


 玄関口でこうして俺たちが五人が集まっているのは、大地がみんなで帰ろうと言い出したのがきっかけだった。


「期末テストの打ち上げ行こうぜ!」

「いぇ~い!」


 大地の言葉に、天宮は拳を天に突き上げ喜んだ。


「どこに?」


 俺が単純に気になったことを尋ねる。

 正直、あまり遠い所には行きたくない。なぜなら、いち早く帰って本が読みたいからだ。


「まぁ、適当に歩きながら決めようぜ」

「自分から言い出しといて、計画性ゼロとは……」

「とりあえず行くぞ!」

『おぉ~!』

「お、おいっ」


 威勢のいい大地の呼びかけに、ほかの人たちもノリノリで応えた。そしてその大地を先頭に、校門の方へと歩き始めた。


「玄関で一人、ぼーっとしてるけど、好きな人でもいるの?」


 大地、小山さん、一ノ瀬君が歩いているのに対し、俺はぼーっと立ったままその姿を見つめていた。そんな俺を見て天宮が声をかけてきた。


「そうかもな」


 ぼーっとしていたこともあって、適当に答えた。


「はぇ!?」

「どっから声出してんだよ、お前」


 完全に裏返った甲高い声を発した彼女は、何やら頬を赤らめていた。いや、気のせいだ。

 実際、さっきから天宮の頬は赤かった。教室内とは違ってクーラーのない玄関先に長くいたせいだろう。

 あいにく、今日はカンカン照りの夏日で、立っているだけでも汗が噴き出す。。


「ゴホン、ゴホン。それで、どうかしたの?」


 天宮が咳払いして問う。


「いやまぁな」

「何か最近は、これまで見せなかった表情を見せるようになったよね、健樹君」

「そうか?」


 正直、全く自覚はなかった。だが、言われてみるとなんとなく思い当たる節があった。


「まぁ、そう思ったのなら、それは天宮のおかげだな」

「わ、私?」


 天宮が慌てふためいて答える。

 その声とほぼ同時に、先に歩いている大地の声が聞こえてくる。


「おいおい、天候さながらお熱(暑)いご様子ですが、早く来いよ!」

「喧しい!」


 俺たちは仕方なく、ゆっくりと歩いて後を追うことにした。


「まさか、あの状況からこうなるなんて予想もしなかった」


『不幸の子』の噂が流れていることを知ったあの日には、まさか誰かと一緒に帰ったりするとは思いもしなかった。


「そっか」

「また歴史は繰り返される。それに抵抗できずに、また同じような時間を過ごすのかなって、内心覚悟してた。けど、それは変わった」


 必要最低限しか学校に来なくなり、気づけば卒業をしていたと錯覚しまうほどに、中身のない学校生活を送るだろうと、心の中で絶望していた。

 でもそんな暗闇に一つの光が差した。


「お前があの日、家に来てくれて、そこからあっという間に見える景色が変わったん

だ。大地と再会し、小山さんと出会い、一ノ瀬君と仲良くなれた。すべてのきっかけを作ったのは、誰でもない天宮だ」

「そんな……」


 きっとあの時、彼女が来なければ、今も部屋に閉じこもっていた生活を続けていたはずだ。


「本当にありがとう」


 俺はありったけの感謝を言葉に込めた。

 言葉一つでは伝わり切らないほど、彼女には感謝している。

 だから、俺は彼女と、そしてみんなと一緒に過ごしていくことで、お返しをしていく。


「友達だから、友達だから当然……」

「お前、瞼の腫れ、引かなくなるぞ」

「泣いてなんかない!」


 隠そうとしたって無駄だった。

 その声を聞けば、誰だって泣いていると分かることだろう。


「さっき、ずっと見てたのはさ、今見える景色が本当に綺麗だなって思ったからなんだよ」


 小山さんはかつて俺に言ってくれた。


『きっとすぐに気づくと思う。私たちが意図的に、助けようと何か行動を起こす必要なんてなかったことに』


 その言葉の意味は、まさにこのことだったのだと思う。

 天宮と出会い、大地と再会して、屋上で小山さんと出会い、一ノ瀬君に謝ったあの時にはもう、俺を取り巻く環境は姿を大きく変えていた。


「これからもよろしくな、香苗」

「こんな時ばっかり……って、ちょっと!」


 俺は走りだし、大地たちのいる方へと向かった。それを追いかけるようにして、後ろから天宮がやってくる。


「お前たち何話してたんだよ?」


 追いついた俺に大地が尋ねる。


「大地の黒歴史」

「はぁ⁉」

「明らかに嘘だとわかる言葉を真に受けるあたり、やっぱり馬鹿だな、大地は」

「うるさい!」


 そんなことを離していると、遅れて天宮が合流した。


「あ、そうそう。今、勉強合宿の計画立ててたんだけどさ」

「え、何々! そんなことやるの?」


 興味津々な様子で、天宮が俺と大地の間に割って入る。


「さっきの話、まだ続いてたのかよ……」

「勉強合宿を健樹の家でやるつもりなんだけど、天宮さんも来る?」

「もちろん!」

「勝手に決めるなってさっき言っただろ……。まぁいいけど」


 別の家にしてもらおうと思ったが、よくよく考えてみると自分の家なら、寝る前にも本が読めてむしろ好都合だと気づいて、俺は結局受け入れることにした。


「じゃあ、あとは時間だけだな。健樹はいつ空いてる?」

「一応、いつでも空いてるけど」


 俺は部活に入っているわけでもないので、夏休み期間に特に予定はなかった。


「オッケー。じゃあ、今度の金土日にしようか。みんなどう?」

「って待て待て。大地、お前バスケ部だろ?」


 大地はバスケ部に所属している。

 運動部なら、金土日という練習や試合が確実にある日が、三日間連続で休みになるはずがない。


「あぁ……、それなんだけどさ」

「やめたんだって」


 言いにくそうな大地を押しのけて、小山さんが代わりに答えた。


『やめた!?』


 周りの人間みんなが口を揃えて驚いた。

 噂に過ぎないが、かなり実力があって、一年からレギュラー候補だというから、まさか辞めるなんて思いもしない。


「そうでもしなきゃ、健樹に勝てないんだよ!」

「そうしても勝てなかったけど?」


 まさか、勉強のために一年生の夏で部活をやめるとは……。

 大して技術がないならまたしても、レギュラー候補が辞めるとなると、バスケ部の人たちは相当困惑しているだろう。


「あぁ~! もうそれは置いておいて、勉強合宿の件はどうするんだよ?」

「私は賛成! 何としても健樹君の勉強方法を完全に習得しなきゃ」

「いつまで人のパクリに縋るつもりだ、お前!」


 どうやら、天宮香苗には本当にプライドというものはないらしい。


「私も賛成」


 小山さんが、天宮に同調して答える。


「僕も賛成! テストの見直しもしたいし、絶対に行く!」


 一ノ瀬君も同様にして答えた。


「やればいいんでしょ、やれば……」


 メンバーがメンバーなので正直相当喧しい勉強合宿になるに違いない。

 その未来が見えているせいで、あまり気乗りしない。


「よし。今度の週末は楽しむぞ!」

『お~!』


 再び、大地の掛け声にみんなが大きな声でそれに応える。


「お、おぅ……」


 そのテンションの高さについていけず、俺はそう小さく呟いた。



 俺は昔から多くの本を読んできた。

 色んな物語がある中で、俺にとって、楽しくて記憶に残るような青春時代は最も縁のないものだと感じて、まさに空想の物語だとずっと思ってきた。

 そんな思い描く雲の上の世界に。

 地の底から天の頂を目指す俺の物語は、今始まりを告げたばかりだ。




 ―完―

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地の底から天の頂へ 木崎 浅黄 @kizaki_asagi

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