鬼を殺すもの 〜生贄とされる幼馴染みを救うために〜

藍条森也

鬼を殺すもの

 その男は生まれ故郷へと帰ってきた。

 夜の闇のように長い漆黒しっこくの髪をたなびかせて。

 怖いほどに凜々りりしく引き締まった美しい風貌ふうぼう

 腰には禍々まがまがしい気配すら漂わせる一振りの太刀。

 一目見てただものではないとわかる。

 その太刀も。

 男自身も。

 都ですれ違っても誰も自分から近づこうとはしないだろう。それどころか、さりげなく場所をずらし、避けていくにちがいない。それほどに危険な雰囲気を感じさせる男だった。

 これほどに危険な男が片田舎の故郷に帰ってきて受け入れられるものなのか。

 誰かがそう危惧きぐしたとしても心配はなかった。

 男の目的は『故郷に帰る』ことではなかったからだ。

 男の目的。

 それはただひとつ。

 故郷のはるか北にそびえる山。

 そこに住まう人食いの鬼。


 いつの頃からだろう。

 その山には鬼が住んでいた。

 いつからいたのかなど誰も知らない。おそらくは、その山のふもとに人間の最初のひとりが住み着く前からすでにその山にいたのだろう。

 その鬼が人を寄せ付けなかったせいだろうか。

 あまりにも長い戦乱によって国中が荒れ果てた荒野と化したいまの時代にあってなお、その山と、山の麓だけは緑に覆われていた。野山には獣が満ちており、川には無数の魚が跳ねていた。

 「ここに住もう」

 戦火に追われ、当てもなく逃げ惑っていた人々はそう決心した。

 「ここは鬼の住み処だ。ここなら略奪目当ての兵どももやってこない。獣もいる。魚もいる。食うには困らない。例え、鬼に襲われたとしても……戦乱に巻き込まれて皆殺しにされるよりはましだ」

 そして、人々は山の麓に村を作った。

 人食いの鬼のその足元に。

 当然の結果が起きた。

 村はたちまち鬼に襲われ、なけなしの財貨はすべて奪われた。

 そんなことが何度もつづいた。

 鬼に襲われ、人を殺され、財貨を奪われ……それでも、生き残った人々は立ちあがり、新たな営みをはじめる。そして、人がふえ、なけなしの財貨が溜まると鬼がやってきて人を殺し、財貨を奪う。そして、生き残った人々はまた立ちあがり……その繰り返し。

 『この地から離れる』という選択肢はなかった。

 他の場所に行けば戦乱に巻き込まれる。

 いつ何時、略奪目当ての兵たちに襲われるかとビクビクして暮らしていかなくてはならない。

 それに比べれば、人食いの鬼の被害などたかが知れていた。

 何年、あるいは何十年かに一度、襲われるだけなのだから。

 定期的にやってくる災害。

 そう思えばむしろ、気も楽だった。

 対処法もあった。

 数年に一度、生け贄と財宝を送る。

 そう鬼と契約を取り交わしたのだ。

 生け贄及び財宝と引き替えに村を襲うことをやめる。

 その約束を取り付けたのだ。

 そうやって、人々は暮らしてきた。そしていま……。

 そんな村に男は帰ってきたのだ。

 人食いの鬼を殺すために。


 「このガキ! なんてことしやがる!」

 「てめえのせいで村が丸ごと滅びるところだったんだぞ!」

 村の男たちが何人もなんにんも、まだ幼い少年を足蹴にしている。

 その目は憎悪にまみれ、蹴りつける足にはいささかの遠慮もない。

 遠巻きに見つめる人たちも止めようとするでもなく、嫌悪を込めて足蹴にされる幼い少年を見つめている。

 それが男の幼い頃の姿。

 生け贄に選ばれた姉を救うためにこっそりと先回りし、逃がそうとした。だが――。

 それは紛れもなく契約違反。

 鬼の逆鱗げきりんに触れずにはいない行為だった。

 怒り心頭に発した鬼は村を襲った。

 いままでの略奪目的の襲撃とはちがう。

 怒りに駆られ、本気で殲滅せんめつしようとする襲撃だった。

 人々に為す術はなかった。

 本気の鬼に立ち向かえる人間などいるはずもない。村人たちに出来ることはただひとつ、改めて生け贄と財貨を送り、怒りをなだめること。

 ただそれだけだった。

 その生け贄のなかにはもちろん、見つけ出された男の姉も含まれていた。

 「きさまさえよけいなことをしなけりゃ生け贄ひとりといくらかの財貨で済んだんだ! それを見ろ! きさまのせいでこれだけの人間が死んだ! この疫病神やくびょうがみが!」

 男たちは幼い頃の男をさんざんに蹴りつけたあと、唾を吐きかけながら去って行った。

 誰もかの人には近寄らない。

 かの人に近づき介抱してくれたのはただひとり、大切な幼馴染みだけだった。

 幼い頃の男は幼馴染みの手を取って誓った。

 「……君だけは、君だけは生け贄になんてしない。助けてみせる」

 そして、男は村を出た。

 戦乱のなかに飛び込み、人食いの鬼を殺せる力を手に入れるために。


 そうして、男は戻ってきた。

 人食いの鬼を殺す力を手に入れて。

 風の噂で今年ついに、幼馴染みが生け贄にされると聞いていた。

 「……間に合った」

 男はそう呟き、人食いの鬼の住む山へと向かった。

 故郷である村には立ち寄ろうと考えさえもしなかった。


 そして、男はやってきた。

 鬼の住まう山、そのなかの奥深い洞窟へと。

 洞窟を抜けた不可思議な世界、そこに建てられた豪壮な屋敷。

 そのなかに人食いの鬼はいた。

 鬼は男に尋ねた。

 「人間が何用だ? 生け贄ならば洞窟の外に置くのが慣例だろう」

 「お前を殺しに来た」

 「殺す? 鬼であるおれを人間のお前がか?」

 「そうだ」

 「なぜ?」

 「こちらこそ聞きたい。きさまはなぜ、人を食らい、財を奪う?」

 「人を食らい、財を奪う。それは鬼のさが。鬼であるがゆえの振る舞い。そこに理由などない」

 「そうか。それと聞いてきさまを殺すことへの遠慮はなくなった」

 男は腰の太刀を抜きながら言った。

 「おれも答えておこう。おれがきさまを殺す理由。それは、おれの幼馴染みを助けるためだ」

 「それだけか?」

 「大切な人のために命を懸ける。それは人の性。人であるが故の振る舞いだ」

 そして、戦いははじまった。

 人食いの鬼と、その鬼を殺すための力を求めた人間の戦い。

 それはとうてい生中な詩人の腕で表現出来るものではなかった。

 激しい戦いだった。

 苦しい戦いだった。

 それでも、確かに――。

 より強いのは人食いの鬼の方だった。

 お互いに無数の傷を負っていた。

 大量の血を流していた。

 しかし、男がもうフラフラなのに対し、体力ではるかに勝る鬼は大量の血を流しながらなお活力に満ちていた。

 「きさまもよく戦った! めてやるぞ、人間! だが、ここまでだ!」

 獰猛どうもうな爪の生えた鬼の手が漆黒の長髪に包まれた男の頭部に襲いかかる。

 それで終わるはずだった。

 男の頭は鬼の一撃によってうりのようにたたき割られるはずだった。

 男は死に、幼馴染みは生け贄として捧げられ、鬼に食われる。

 そのはずだった。だが――。

 それを覆したのは男の髪、夜の闇のように黒い漆黒の長髪だった。

 ぞわっ。

 音を立てて長髪が動いた。

 まるで、それ自体が生あるもののように。

 長い髪が鬼の腕に絡まり、その動きを封じた。

 「油断したな」

 喋った。

 男が、ではない。

 髪の毛が、だ。

 「きさま! 毛羽毛現けうけげん!」

 鬼は叫んだ。

 男の長髪に見えたもの。

 それは妖怪、毛羽毛現だった。

 「……人間の身で鬼に勝てるなんて思っちゃいない」

 今度こそ、男が喋った。

 「だから、おれは妖怪たちにおれの身を食わせた。旅先で出会った妖怪たちにおれの体を食わせることで同化し、きさまを殺す力を手に入れたんだ。そして……」

 男は太刀を握りしめた。

 「この太刀はおれそのもの、妖怪に捧げたおれの背骨そのものを削り出して鍛えた太刀。おれの生命と引き替えにすべての敵を滅する禁断の呪具じゅぐだ」

 その声と共に――。

 振るわれた太刀が鬼の体を両断した。そして――。

 男の体から四八の妖怪が飛び出し、鬼を食らい尽くした。

 その場に響いた絶叫は――。

 人間ごときにしてやられた人食いの鬼の無念の叫びだった。


 もはや、そこには何も残っていなかった。

 鬼の体は四八の妖怪たちに食らい尽くされ、骨一欠片ひとかけら残っていない。

 鬼のいた痕跡こんせきを示すものは大地の上に残ったわずかな染みばかり。

 男はその染みを見下ろしていた。

 男は鬼に勝った。

 鬼を倒した。

 大切な幼馴染みをその手で守り抜いたのだ。しかし――。

 男の生命もすでになかった。

 妖怪たちに自分の身を食わせた時点で男はすでに死んでいた。

 ここまできたのは自らの身と引き替えに、妖怪たちと交わした契約の結果だった。男と同化した妖怪たちが、すでに死体となっていた男の体をこの地まで運んできたのだ。

 その契約が果たされたいま、男の体は天地にかえるだけ。

 男は鬼の屋敷を見た。

 その屋敷のなかにはいままで人間から奪い、溜め込んできた財宝が眠っている。その財宝はこれから先、麓の村の発展に大いに役立つことだろう。

 「……そうか」

 男はふと、思い出した。

 「今日はあいつの誕生日だったな」

 男は幼馴染みの名を呼んだ。

 「……ゆき。誕生日おめでとう」

 そして、男の体は崩れ去った。

                  完

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