中編

 湛州たんしゅうの農村。農作業をする農民を、おう十戌じゅういがみはっている。

 ときどき、目をぬすんで休む農民をむちでたたき、高圧的に命令した。


「働かぬか!」

 

 すると、かれらはしぶしぶ手を動かすのだった。

 田畑のあいだを、屋根のない馬車がとおる。領主りょうしゅの馬車だ。金糸きんしの服を着て、両わきの美女ふたりの肩をだいている。宝石や金を見せびらかし、大笑いしていた。

 周囲の農民たちは、ひざをつき、領主の馬車にぬかずいた。

 十戌じゅうい拱手きょうしゅすると、馬車がとまる。


「王十戌、仕事は順調か?」


 十戌は腰をひくめ、へこへことした。


「はい、ご主人さま」

「よろしい。ところでおまえにたのみがある」

「なんなりとおもうしつけください」

「わしの放蕩ほうとう息子が帰ってこぬ。あんな息子でもわしの子。郡府ぐんふにうったえても手がかりがつかめぬゆえ、ゆくえを探せ」

「承知いたしました」

「わしの使用人も好きに使うといい。これもくれてやる」


 領主は宝石類を十戌じゅういの前にほうりなげた。

 馬車はすぎさる。

 宝石をひろいつつ、十戌はうらやましそうに馬車を見送った。


「わしも金さえあればなあ」


 おさないころの記憶がよみがえる。

 まずしい地域に生まれ、こきつかわれ、極貧ごくひんのなか、母が過労かろうのすえに死んだとき。いつも気丈きじょうな一番上の兄が、はじめて人前で泣いた。

 思いだすたび、胸が痛み、涙がこぼれそうになる。

 金があればといつも思ってきた。




 食べ物屋や、露店ろてんや、妓楼ぎろうがたちならぶ夜の街は、あちこちにあかりがともり、昼のように明るい。

 十戌じゅういはうろうろとした。領主のめしつかいの呉起ごきがついてくる。


「おかしいですね、十戌じゅういどの」


 十戌は胸をはり、いばりくさる。


「わしのことはご主人さまとよべ」


 呉起ごきはいやな気持ちになった。

 こいつはなにさまだ? えらそうに。


「まあともかく、たしかにおかしい。ききこみをし、領主の息子がこの街に来ていたのはわかった。だが、ある日をさかいに足どりがさっぱりつかめん」


 二人は、ある青い壁の楼閣ろうかくの前をとおる。妓楼ぎろうだ。

 客びきの女どもがよってきた。


「お兄さんたち。うちの店に来なよ。桃源郷とうげんきょうに行けるよ」

「宇宙の神にゆるしをこえば、病気をなおしてもらえるのよ」


 呉起はつい、鼻で笑った。


「この街は迷信がはやりなのか?」


 十戌じゅういもそっけない。


「はん。この世で信じられるものは金だけだろ」


 だが、妓楼ぎろうからきこえる、男女の楽しそうな声に、十戌じゅういは耳をぴくぴくさせた。


「くう。でもわしだって遊びたい。すこしくらい、いいよな」


 十戌は領主からもらった宝石をふところからとりだし、胸をはって妓楼に入る。


「なんてずるいやつだ」


 呉起は彼をみくだし、あとにつづいた。



 

 壇上だんじょうの、はなやかな妓女ぎじょたちが、そでをはためかせ、歌ったりおどったりする。ここちよいがくがたえず、男たちは女たち相手に、酒をのみ、肉をむさぼり、たわいない話に花をさかせた。

 大量の食べのこしをちらかし、十戌じゅうい呉起ごきは酔っぱらい、うとうとした。ぶつぶつと寝言を言う。


「ふにゃふにゃ、わしも金持ちならなあ。金持ちになりたいなあ」


 あるふたりの妓女が、十戌の横に座った。客びきをしていた女どもだ。


「おじさまたち、お金に興味があるの?」


 十戌はうとうとしたまま、「うん。ある」

「じゃあさ、お金持ちにしてくれる道士どうしさまがいたら会いたい?」


 もうろうとした呉起が顔をあげた。


「なんだ、あんたらは」

「ちょっと二階に来てよ」


 呉起は酔っ払ったまま、女二人に二階につれていかれる。

 十戌は寝言でさけんだ。


「そんなもん、会いたいにきまってる!」


 周囲の妓女ぎじょたちがびくりとした。


「わ。なに?」


 十戌の意識がはっきりとしてくる。


「あ、いや。……ん?」


 女たちにより、二階につれていかれる呉起に気づいた。



 

 真っ暗な、せまい場所。手足をしばられ、座りこむ呉起は、はっと目をさました。

 さけぼうとするが、さるぐつわをされている。

 頭をうごかし、感覚で周囲を探った。

 陶器とうきのような、冷たく、湾曲わんきょくした壁。

 つぼの中にでもいるようだ。

 ここはどこだ? これからどうなる?

 おびえていると、急に視界がすこし明るくなった。

 顔をうわむける。円形のふたがすこしずつずれ、ぼんやりした光がさしこむ。だれかがふたをあけているようだ。


「無事であったか」


 のぞきこんでいるのは、十戌じゅういだった。ろうそくをかかげている。

 彼は呉起ごきのさるぐつわをとりさり、ひそひそと話した。


「さっきの女たちがおまえをしばりあげ、壺にとじこめた」

「なんですって?」


 呉起は壺の中から頭をだした。

 いるのは、うす暗い物置のような場所。大きな壺やら、箱やらが置かれている。棚には米袋こめぶくろもあった。

 十戌になわもとかれ、呉起はすぐに立ちあがった。


「はやく逃げましょう」


 しかし、十戌は腕をくむ。


「……このつぼになにかおもしをいれ、しばらくみはってみよう」

「ええ?」

「人を金持ちにする道士どうし桃源郷とうげんきょう。宇宙の神。ゆくえしれずの放蕩ほうとう息子。すべてつながっておるのやも」


 呉起は混乱した。



 

 あけがた。街も妓楼ぎろうもねしずまっている。

 暗い物置から、地味な服装の女がふたり、協力しながらつぼを外にはこびだした。


「よいしょ」

「男ひとりはやっぱり重いねえ」


 壺にはいま、重たい米袋こめぶくろが入っている。ふたりはそれを知らない。


 

 外にでると、女ふたりは、いくつかの大きな壺を荷台に乗せた。終わると、ひとりが荷台に馬をつなぎ、くらに乗って歩かせる。むかう先は、郡境ぐんきょう関所せきしょ

 もうひとりの女が、

「ねえ、『あの人』に会ったら、あたしがどんなにあの人を思っているのか伝えるんだよ」

「はいはい」


 建物のかげから、十戌と呉起がふたりをみはっていた。



  

 関所まで来ると、地味な服装の女は役人と話し、馬上から通行証を見せた。


「私は商人です。となりのぐんまで商品を売りに行きます」

「とおれ」


 女は馬をあやつり、荷台ごと門をくぐった。

 しばらくして、十戌と呉起がやってくる。

 役人はかれらをとめた。


「おまえらはなんだ」


 十戌はふところから、紙をとりだし、だまって役人に見せつけた。

 領主の家紋かもんいんがおされている。

 役人はぴんと背筋をのばした。


「失礼しました。お通りを」

 



 にぎわっている街。とおりに面したとある建物の軒先のきさきに、屠殺とさつされた豚の頭がいくつもつるされていた。肉屋であることのしるしだ。

 豚の頭の下で、おう進賢しんけんが明るく売り子をしていた。


「安いよ。おいしいよ」


 数人の買い物客がとおりかかる。


「お兄さん、すこし肉をくれ」

「はい。まいどあり」

「お兄さん県府けんふの王さんでしょう。なんで肉屋をはじめたの?」

「県府の給金だけじゃ生活がなりたたないんだよ。親や妻子のためにたくさん働かなきゃ」

「あんたの奥さんがうらやましいよ」


 そこへ、大きな壺の乗った荷台を馬でひく、地味な服の女がやってきた。


進賢しんけん。しいれてきたよ」


 彼は女を見ると、満面の笑みをうかべた。


「やあ、いつもごくろうさま。先に中に入って、待っていて」  


 女はうっとりと笑い、肉屋の中に入った。



    

 裏路地。十戌と呉起はものかげにかくれつつ、そろそろとようすをうかがう。周囲にはだれもいない。ふたりは肉屋の建物のうらの、壁に近づいた。


「あの女はこの肉屋に入りましたよね。まちがいないはずです」

「うむ。なかのようすを知りたいが」


 十戌はよく確認する。肉屋の屋根と壁のあいだに、換気用の空間がある。

 すきまから、天井には細いはりがかかっているのが見えた。


「壁をのぼり、あそこからようすをうかがおう」

 



 呉起に肩車かたぐるまさせ、十戌は換気用の空間に手をかけた。のぼると、帯ひもをたらし、呉起につかませひっぱりあげる。



 

 はりの上から、十戌と呉起は下のようすをみおろした。はりには、縄がかけられ、肉塊にくかいが吊るされている。

 そのすきまから、ようすがうかがえる。厨房ちゅうぼうらしき部屋。温厚そうな平凡な男が、妓楼にいた地味な服装の女と話していた。

 呉起が梁からつるされた、赤黒いかたまりに気づく。


「あ……あ……」


 青ざめ、ふるえだした。


「しっ。声をたてるでない」

「あ、あれを……」


 呉起は梁の下を指さした。それを見て、十戌も血の気がひく。


「すぐに役人に知らせにいくぞ」

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