午前0時の鐘の音が鳴り終わる前に(後編)
「おい、読んだか?」
「何を?」
神殿では神官見習いたちが皆、どこかソワソワしている。その様子にテオドールは首を捻った。
「オーリー・E・ヘニングの新刊だよ!」
「誰? それ?」
「お前、知らないのか? 有名な作家だよ」
「へぇ……オーリー、ねぇ」
(リヴィも、別の愛称は“オリー”だな)
何でもない時にまでオリヴィアのことを考えてしまうなど自分は重症だな、とテオは苦笑いした。
「それが、どうかしたの?」
苦笑いを隠すように質問すると、待ってましたとばかりに説明を始める。
どうやら、その小説は神殿が舞台で神官と町娘の切ない恋物語らしい。街では神殿と神官が一気に流行りだし、神官が街をあるけば、すぐに声がかかると浮ついていた。
オリヴィア以外に興味のないテオドールは片眉を上げて肩を竦めた。――何のための神官だよ? と不純な思考に呆れる。
「テオ、お前も読んでみろよ」
「えぇ……興味ないよ……」
「まぁそう言わずに。お前の幼なじみのオリヴィアちゃんも好きなんじゃないか?」
「えっ?」
“オリヴィアが好き”という言葉につい反応してしまう。ガバッと上げた顔に、イタイものを見るような視線が向けられた。
「女のコたちは好きらしいぞ、こういう話」
「へぇ……」
本をぐいっと半ば強引に“貸してやるから”と押し付けられた。自室に戻ると、机に今、借りたばかりの本を置き、その表紙を眺めた。
『午前0時の鐘の音が鳴り終わる前に』
その本の題名。
いつかどこかで聞いたことがある響き。
いつだったか……どこだったか……
『お姫様の魔法はね、午前0時に解けちゃうの』
(あれは……リヴィが話していた物語だ!)
ハッとしたテオドールはその本を手に取ると夢中で開き、読み進める。一気に読み終わると、背表紙をパタリと閉じた。
その背表紙には、片方しかない女性用の靴が描かれている。そして、その絵の下には、“オーリー・E・ヘニング”と作者のサインが入っている。
――オーリー・E・ヘニング。
“ヘニング”の意味は――“優雅である”。
テオドールは、息を呑んだ。
自分は“優雅である”という意味の名をもう一つ、知っている。
テオドールは部屋を飛び出すと、今ある力を最大限に使って、駆け出した。外はもうすでに暗く闇が迫っていた。
〜・〜・〜
「お誕生日、おめでとう。オリヴィア」
「あなたも立派な成人ね」
「お父様、お母様、ありがとうございます」
にっこりと微笑んだオリヴィアは、豪華な食事を前に胸がいっぱいになっていた。
(これが私の最後の晩餐か……)
最後は笑顔でお別れしたい。
(ああ、イシュメルにも会いたかったな)
そんなことを考えていると、ふとテオの満面の笑みが浮かんでくる。
(今日、会いに行けば良かった……)
自室に戻ると、ゴロリとベッドに横たわり、天井を見上げた。見慣れた天井の模様に昔、テオが泊まりに来たときのことを思い出していた。
あの天井の模様を動物に例えて、教え合っているうちに眠りに落ちていた。
このベッドで二人、仲良く手を繋いで眠った。
テオは私の話す物語を楽しそうに聞いてくれた。
あのお話もそうだ。
『お姫様の魔法はね、午前0時に解けちゃうの』
その言葉に、テオは――
ゴーン、ゴーン、ゴーン……
午前0時の鐘だ。
『僕なら解ける前に、魔法をかけ直してあげるよ』
突然、バタンッという大きな音と共に自室の扉が勢いよく開く。そこには肩を上下させ、ハァハァと息を荒げるテオの姿があった。
「何で……言わないの……」
「えっ……テオ? 何で?」
「僕じゃ……ダメ?」
「な、何の話……?」
手に持っていた本をずいっと私に差し出す。
その本に目を見開いた。――私が書いた本だ。
「“ヘニング”って、“ハンネス”と同じ意味じゃないか!」
私は大きく息を吸った。
テオは一歩一歩、近づき、私の目の前まで来た。
「勘違いじゃないなら、君にかけられた魔法を僕がかけ直してもいいよね?」
最後の鐘が鳴り終わる、その前に。
彼は、愛する人にキスを落とした。
『お誕生日、おめでとう。リヴィ』
〜・〜・〜
「ああ〜っ! お嬢様! なんて素敵な結末!」
興奮気味のエミリアにいつもの様に苦笑いする。あの本の続きをたった今、書き終えたところだ。
エミリアは我慢できずに、編集者よりも先に読んでしまった。まぁ、これは彼女の特権である。
あの日。
部屋に飛び込んできたテオに驚いたものの、自分でも知らないうちにテオに恋をしていたことに気づかされ、彼のキスによって消滅を免れた。
それから、タガが外れた彼の猛攻を受けることになりそうだったが両親によって何とか止められた。
「僕は……納得いかないなぁ」
エミリアが絶賛した結末に、少しムッとした表情で抗議するテオが、私の部屋でくつろぎ、当たり前のようにお茶を啜っている。
テオはあの後、すぐにイシュメルを連れて、正式に婚約を申し込みに来た。
彼の神聖力は神殿でも高く評価され、あっという間に上位神官となってしまったのだ。
そのため、両親も何もいうことがなくなった。
「いいじゃない。ハッピーエンドなんだから」
「えぇ……でも、事実とは違うじゃん!」
いまだにしかめた顔をしている彼に、こっそりと耳打ちする。
「真実は二人だけの秘密の方がいいでしょ?」
それを聞いたテオは、ぱぁっと顔を輝かせる。
キラキラする瞳に少し引いていると、突然ガバッと抱き締められた。
「リヴィ。可愛すぎる! ……やめて」
「ぐっ、苦しすぎる……テオ、離して」
ギブアップを伝えるようにテオの背中をトントンと叩くがびくともしない。
「はぁ、幸せ。これからは毎日、幸せにするから」
「うん……それは、ありがとう」
「ツレナイなぁ、リヴィ。僕はあのまま君が消えてしまっていたらと思うだけで、ツラいんだよ?」
確かに、そうかもしれない。
私もこんなに幸せな日々が送れるなんて思ってもいなかった。それもこれもテオのおかげだ。
「うん。本当に感謝してる」
「感謝より愛を伝えて欲しいなぁ」
ゴーン、ゴーン、ゴーン……
午後0時の鐘が鳴る。
その鐘の音が鳴り終わる、その前に。
『愛してる』
私は、愛する人に、愛を囁いた。
午前0時の鐘の音が鳴り終わる前に 夕綾るか @yuryo_ruka
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