殺「許」鬼

例えどんな楽しいことをしているときでも、1人でいると不意に、どうして自分は生きているのかわからなくなる。

突出した才能があるわけでもなく、皆の心の支えになれるほど優しくもなく、むしろ優しい人たちを困らせるだけなのに。何の役にも立てていないのに。全然いい子じゃないのに。


小さい頃は、こんなこと考えもしなかった。帰ったら当たり前のように宿題をして、テストの前には勉強をして、特に嘘をつくこともなく家事の手伝いをしていた。大きくなったらもっといろんなことができるようになって、自然と素敵な大人になれるのだと信じていた。

それが、今はどうだ。当たり前にしていた勉強は何かと理由をつけてさぼり、楽しいことが最優先。ネズミのように息を潜めて夜更かしし、翌日の授業はほとんど爆睡。テスト直前になってからしか勉強せず、酷い点数を取っても肩をすくめておしまい。

色んなことを覚えて、体も大きくなって、出来ることは増えているはずなのに出来ないことばかりが増えている気がする。


喉に異常はないはずなのに妙に息がしづらくて、仲良く喋っているはずの友達の顔さえ頭に入ってくれなくて、歩くも学ぶも座り込むも同じ感覚で、自分の全てが他人事。この世の全てが霧の中。


私の寄る辺はただ一つ、叔父からもらった「生きてていい」の一言だった。

―――でもそれすらも疑い始めた私を、私はどうすればいいのだろうか。


不意に震えたスマホを見れば、チャットアプリに通知が1つ。

今日も叔父は事件の捜査が忙しいらしく、帰ってこれないと連絡が来ていた。スマホをスリープモードにして、傍らに投げ出す。ソファーの低反発クッションが鈍い音と共に受け止めたそれは、たまにメールやその他アプリの通知などを知らせてバイブレーションするものの、何度も鳴り響くそれに次第に苛立ってきて通知を全部切ってしまいたくなった。

でもそんなことをすれば、緊急の連絡が来ても気付けなくなってしまう。以前部活かクラスかどちらかは忘れたが、重要な連絡がチャットアプリで共有されていたにも関わらず通知を切っていたせいで気付けず、連絡のことを知ったのがその連絡内容について先生が話し始めたときだったということがあった。それ以来どんなにうるさくても通知は切らないようにしているが、それでもやっぱりうるさいと思ってしまう。


窓の外を見やれば、ビルと街灯の明かりでほのかにオレンジ色に染まった夜景が見える。私は月すらない夜空に誘われるように、部屋着を脱ぎ始めた。

すっかり外出着に着替えた私は、ふらふらとただ足と気分の赴くままに歩いていく。携帯するべきスマホはソファーの上でお留守番。車の走る音をBGMに、より暗い方へと進んでいく。


夜という時間は、1日の中でも特に好きな時間帯だった。朝や夕焼けの綺麗なグラデーションの空もいいけれど、夜は何より空気感がいい。静寂たることを押し付けるような冷たさと、傍らに寄り添っていてくれるような穏やかさ。相反する雰囲気が混ざって生まれる、怖いような物寂しいような空気が好きだった。


何の気なしに覗き込んだ細い道の奥に、人影が見えた。スーツを着たオフィスワーカー風な人で、しきりに時計を気にしていることから早く帰るためにこの道を通っているのだということが分かった。

手袋を嵌める。ちらりと辺りを見回しても、監視カメラの類は見受けられない。

道は人ひとり通るのがやっとぐらいの幅で、誰かとすれ違おうと思えば双方がカニ歩きをする必要がありそうだ。もしも荷物が多かったりしたら、すれ違うのはとても大変だろう。

足元や道の脇に音の鳴りそうなものやぶつかりそうなものはない。

上空でさらりと雲が流れて、スーツの人のいる辺りが少し明るくなる。叔父の纏うスーツとは違って、わりとファッション性の高いものだということが見て取れた。


足音もなしに猛然と走り出したそのときさえ、脳が凍り付いてしまったかのように動いてくれない。

それでも私は後ろから口元を鷲掴むように塞ぎ、首に果物ナイフを滑らせた。切り口からは鉄錆臭い液体が勢いよく噴き出し、弱い光に照らされたそれが赤色をしているのだということを頭のどこかが認識する。

その液体が一般的に何と呼ばれるものなのか知っているはずなのに、一向に固有名詞は出てこない。

それが卑怯な私の逃げだと知っていて、それでも卑怯さ故に追及しない。自分のことが嫌いなくせに、自分のことを守ろうとしてしまうから。


「・・・馬鹿みたい。」


どろりと濡れた果物ナイフを首に当てる。ひんやりとした刃物の、無機質な硬さ。少しでも動かせば、足元に倒れるもののように赤い液体が滲みだすだろう。

ああ、本当に馬鹿みたいだ。どうせ私はこの刃物を1ミリたりとも動かせないことが分かっていて、こんなことをしているのだから。

私は果物ナイフを鞘にしまい、足元に倒れ伏すそれを見下ろした。腕を体に沿わせ、肘で曲げて胸の上に。動きづらくなってきている指を無理矢理動かして、組み合わせる。足も閉じさせて、最後の仕上げと鞄を体のわきに置いて。


「―――――。」


口を開く。胸の奥から湧き上がる、音にならない言葉が無音で透明のまま口から流れ出していく。


「―――――。」


これは間違っても、私が言ってはいけない言葉。だから声に出すことなく、呼気に乗せて胸の内から追放する。


「―――――。」


口を閉じる。息がしづらいのは、きっと息を吸い込んでいなかったせい。だからほら――大きく息を吸い込めば、少しだけマシになる。


「・・・・・帰ろ。」


今日の散歩はもう終わり。ご飯を作って食べて、さっさと寝なくては。


◆◆◆◆


細道に転がる遺体を見て、俺は深々とため息をついた。きちんと閉じられた足と、組み合わされた手。体の横に置かれた荷物。そして、首に開いた切り傷。

これが模倣犯でなければ、俺が最近追っている連続殺人犯によるものだろう。


職業年齢など被害者に共通点はなく、こういった細い道にいた人間ばかりが襲われている。首の切り傷には躊躇いもない癖に、遺体を整えていくというのが不気味だった。荷物には漁られた形跡もないため、可能性が高いのはやはり。


「『殺人鬼』の犯行ですかねぇ。」

「・・・その可能性が高いな。」


殺人遺伝子をホモで持っている人間は保有者キャリアと呼ばれ、彼らは生涯で殺人を犯す確率が異常に高くなるという。彼らの犯す殺人には大まかな傾向があり、『対象選択型』『手段選択型』『ジェノサイド型』『サイコパス型』に分けられる。

もちろん保有者キャリアでも殺人を犯さず生涯を終える人もいるし、各方面で活躍している人もいる。しかしこういった、目的の見えない殺人の犯人が「殺人鬼」であることが多いのもまた事実だった。


「しかし、それだけじゃ絞り切れないぞ。この町だけでもどれだけの保有者キャリアがいると思ってるんだ。」

「そーなんですよねー。身も蓋もなく言えば捜査員も候補に入っちゃいますもんねー。」


俺の兄貴もそうだった。そして、今共に暮らしている姪っ子もそうだ。今よりずっと小さな姪っ子の、虚ろな瞳がフラッシュバックする。


「・・・少し、仮眠取りましょうか。昨日の夜から寝てませんし。」

「15分したら起こしてくれ。」

「はーい。」


殺人を犯した保有者キャリア――「殺人鬼」の話題が出た後はいつも、昔々の夢を見る。俺の兄貴が妻を殺し、そして娘をも殺そうとした日のことを。


知らせを受けて駆け付けた兄貴の家、階段を駆け上がり覗き込んだ寝室で、首をぱっくり切られた義姉は安らかなほど静かに事切れていた。壁には兄貴がもたれかかっていて、その手は自分の娘の首に回っていた。

姪っ子は髪をぐしゃぐしゃに振り乱し、頬に大きなアザを作って自分の父親に首を締め上げられながら、壊れたように自分の父親に包丁を突き立て続けていた。喉が壊れてしまうんじゃないかと思うほどに意味の分からない音を垂れ流しながら。その様は獣が咆哮するようにも、人間が断末魔を上げているようでもあった。

確かあの時俺は「止めろ!」と叫びながら、姪っ子から包丁をもぎ取ろうとしたのだ。姪っ子の力と眼光は大の大人である俺や他の警察官ですらも怯むほどだったことを覚えている。幼く錯乱した少女の振るう包丁は俺や他の警察官たちに幾つかの傷を付けて。兄貴の手が喉から外れたその瞬間に、糸が切れたように動きが止まった。

包丁を両手で握り締めたまま床に座り込んだ姪っ子は、虚ろに凍り付いた瞳を俺たちに向けて問うたのだ。


――おじさん。

――わたしは生きてていいですか。


当然だ、お前は何も悪くない。生きてていいんだ。反射的にそう叫んだら、姪っ子は首を傾げて小さく微笑んだ。その笑顔を俺は、どうしても思い出せない。


◆◆◆◆


正しく機械的に足を動かして、学校に辿り着く。今日も授業内容は先日あったテストの返却と採点だろう。昨日は珍しく早寝したから、きっと今日の授業は起きていられるはずだ。

教室で友達にそう言ったら、呆れた目を向けられた。ところで・・・この子の上の名前はなんだっただろうか? 下の名前はよく呼ぶから覚えているのだが、上の名前は忘れてしまった。


(まあ、いいや。)


友達と話すのに上の名前など必要ないし、気にする必要もないだろう。ああ、どうしてだろう。息がしづらい。


チャイムが鳴って、授業が始まる。今日初めの授業はもうテスト返しが済んでいるから、普通の授業。先生が黒板に何か書く度に、それを忠実に写し取る。予想通り今日は寝ずに済んで、友達たちにノートを見せてもらわなくても大丈夫。毎回頼んでいると流石に気が引けるから、助かった。


息が、しづらい。

肺と肋骨の間に何かが入っているような感じ。健康診断で何の異常もなかったはずなのに、どれだけ息を大きく吸っても満たされた感じがしない。二酸化炭素と酸素が交換されぬまま、吸った空気をそのまま吐き出してでもいるかのような。


(胸の奥が重たい。)


肺と肋骨の間の何かは、どうやったら出て行ってくれるのだろうか。息を吐き出すだけでなく、声に出せばよいのだろうか。でもこれは、声に出したところで言葉になりようがない。意味もなく喚き散らせば楽にはなるのだろうが、それではけものと同じだ。

一応これでも人間なのだから、けものと同じことをするのは、ちょっと。


(じゃあ、どうすればいいの?)


深く長く、息を吐き出す。軽くなったような気がするのはほんの一瞬、息を吐いている間だけ。普通に呼吸をしているだけでは、重く溜まる一方だ。

何か気を紛らわすものはないだろうかと鞄の中を漁っていると、この鞄の中にあるべきではないものがあった。まるでかみさまが、この息の辛さを解消する方法を教えてくれたみたいだ。

私は鞄を机の横にかける仕草に隠して、それをポケットに移動させた。


次の授業が始まる。次の授業は、テスト返し。私は割と出席番号が早いから、そこはかとなく憂鬱だ。

先生に名前を呼ばれて、受け取って。苦手教科ということも手伝って、テストは惨憺たる有様だった。でもまあこれも、どうでもいいことだ。

机の上に、置いておく。他のみんなは点数の部分が見えないようにしているようだが、面倒なのでそんなことはしない。取ってしまったものは仕方がないのだから。


(―――あ。)


今朝名字の思い出せなかった友達の名前が呼ばれた。そうだ、こんな名字だった。

彼女はわざわざ机を回り込んで、私の机の横を通る。通り過ぎるときに交わした微笑みが、見えなくなったそのときに。


立ち上がって、手を伸ばす。ポケットの中の果物ナイフの鞘を弾いて、煌めく刃を突き立てて。


悲鳴が上がった。私の腕の中の友達だけでなく、周りからも。男子も女子も一様に、叫んで喚いて遠ざかって。


「ねえ、屋上って行ったことある?」

「い、痛い! ねえ、抜いて! 痛いよ!!」

「この学校は屋上開放してないから、私行ったことないんだ。」

「放してぇ!!」

「あ、先生に鍵借りに行かないと。職員室にあるかな?」

「ぃっ、いや! やあ!!」


暴れまわるのがうっとおしい。突き刺した果物ナイフを少し動かすと、甲高い悲鳴を上げてさらに暴れられた。頬に手がぶつかったのが、地味に痛い。


「たすけ、だれか、助けて!」「失礼します。屋上の鍵を借りに来ました。」


先生たちは状況が分からないようで、動き出してくれない。仕方がないから、鍵は自分で取ろう。

友達の首に手を回し、首に刺した果物ナイフを掴む。

首に手を回すのは女子同士では滅多にやらないから、新鮮な気分だった。


「あ、あった。」「いたい! やだっ! やあぁぁ!!」

「鍵取れたよ。屋上行こっか。」


鍵はポケットに入れ、友達と一緒に階段を上って行く。だんだん友達の声は小さく、動きが鈍くなってきた。階段の最上部、屋上への扉前は人がほとんど来ないし掃除もされないしでひどく汚い。私も友達も喘息持ちでなくてよかった。

鍵をポケットから取り出して、鍵穴に差し込む。初めは開ける向きが分からずガチャガチャやる羽目になったが、無事開いた。


「風強いね。あーあ、髪の毛ぐちゃぐちゃ。直さなくていいの?」

「っ、ひっ! あ、ぁやあ、あ」

「なんて?」


聞き返してみるも、言葉の体を取れていない。これは聞くだけ無駄だろう。


「ねえ、見て! すごいいい景色。私の家も見えるかな?」


いつものように、口を鷲掴むように塞いで、首に刺しっぱなしの果物ナイフを握る。勢いよく引けば、今まで果物ナイフに止められていた血液が一気に飛び散って空中に撒き散らされた。

友達を地面に横たえるも、顔は涙や鼻水でぐちゃぐちゃだ。この子はおしゃれに気を使っていたから、この惨状を鏡で見ればさぞ嘆くことだろう。


ハンカチやティッシュで顔を綺麗にして、風で乱れた髪を整える。手を体の横に沿わせて肘で折り曲げ、胸の上で手を組ませる。スカートが捲り上がらないように揃えた足の間に挟みこんで。


(・・・何か足りない。)


化粧をしてくることは禁止されているから、彼女の唇は自然な色のまま。でも前遊んだ時に付けていた口紅は、よく似合っていた。

私は首から溢れるあかいろを小指で取って。


紅を刷いた友達は、いつか遊んだ時のように可愛らしかった。


◆◆◆◆


連絡を受けた俺は、比喩抜きで凍り付いた。年若い相棒も、愕然とした表情で俺を見ている。


「・・・あの、」「行くぞ。」


数人の警官と共に駆け付けた、姪の通う高校。三者面談にも行ってやることが出来なかったから、来るのは入学式以来か。校門に回る際たまたま校庭の横を通ったが、そこから見える高校の白い壁に赤い飛沫が飛び散っているのが見えた。あり得ざる水玉模様に顔を顰めて、アクセルを踏み込んだ。


教師の案内で屋上へ向かいながら状況を聞く。姪っ子はテストの返却中に突然友人の首に果物ナイフを突き刺し、友人の首にナイフを突き刺したまま職員室へ来て屋上の鍵を取り、階段を上って屋上へと向かったとのことだった。校庭に避難した生徒たちの多くが、友人の首を掻き切るのを目撃したという。


(首を掻き切る・・・まさかな。)


こうやって階段を一心不乱に上っていると、あの日のことを思い出す。虚ろなまま凍り付いた瞳はあれ以来見ていないのだが、それは俺がきちんとあの子を見てやれていなかっただけなのだろうか?

頭を振って気持ちを切り替え、そっとドアノブを回す。予想に反して、鍵はかかっていなかった。


ほとんど体当たりのような勢いで屋上になだれ込み、銃を構える。フェンスの傍に胸の上で手を組んだ女子生徒が倒れていたが、首の傷の様子から見てもう事切れているだろう。姪っ子の姿は、ない。


(一体どこに・・・? 飛び降りたって言うんなら、もっと校庭が騒がしくなっているはずだし教師からも連絡がくるだろう。屋上に出る扉はここだけだし、既に屋上を離れていたとしても校舎から出ようと思ったら柵を乗り越えたりしない限り監視カメラに映るはずだ。こうなったら、校舎を虱潰しに探すしか・・・。)


そのとき、何か重いものがコンクリートにぶつかる音がした。音のする方へ眼をやれば、制服警官の1人を姪っ子が押さえつけている。関節でもめられているのか、何とか拘束から脱しようともがくが苦痛の表情を浮かべるだけで終わっていた。

久しぶりに見た姪っ子の顔は、いつもと同じ。俺の姿を認めて、少し目を細めて微笑んで。


「久しぶりだね、叔父さん。ちょっと待ってくれる?」


ごきんばきんと痛そうな音がして、制服警官の腕から力が抜ける。構えていた銃を暴発させないように優しく取り上げ、無造作にポケットに突っ込んだ。自分の足の下で上がる苦鳴など存在していないかのように姪っ子は立ち上がり、制服警官も引っ張って立たせる。その喉に血濡れたナイフを突きつけたまま、姪っ子は屋上のフェンスを背に立ち止まった。


「お待たせ、叔父さん。」

「・・・どこに、いた?」


相棒の呆然とした呟きが聞こえたのか、姪っ子は笑みを含んだ言葉で答える。


「上です。屋上の扉って、屋上から出っ張るみたいな形になってるでしょう? その上ってはしごで登れるようになってるみたいで。私も知らなかったんですけど、叔父さんたちが来るまでの間屋上をぶらぶらしてたら見つけたんです。流石にそこから飛び降りたら、ちょっと痛かったですけど・・・。」

「何で、その人を襲った? その人を離せ!」

「別に理由なんかないですよ。強いて言えば、銃が欲しかったんです。―――すいません、これってもう引き金引くだけでいいんですか?」


答えるな、と首を振る。制服警官は痛みに耐えながら頷いた、が。


「そういうのいいので、教えてください。」


姪っ子の持つ果物ナイフの刃が3ミリほど、制服警官の首に飲み込まれた。つうと伝った血は、色違いの涙に見えて。


「で、撃てるんですか?」

「う、撃てます!」

「一発目が空砲とかではなく?」

「空砲ではありません・・・!」

「嘘だったら殺します。」

「嘘ではありません! 本当です!」

「あの子みたいに、首を切って。」

「本当です!! 本当です!!」

「綺麗に整えて。」

「本当なんです!!! 信じてください!!」

「んー・・・叔父さん、本当?」

「ああ・・・。」

「じゃあ、もういいです。ありがとうございました。」


果物ナイフを首から外し、制服警官の背中をぽんと押す。彼はよろよろと数歩歩いてから、バランスを崩して倒れ込んだ。肩を脱臼しているようだが、今治している暇はない。

踊り場で待ってもらっている教師に手助けを頼み病院に行くよう言い、俺は姪っ子と真正面から向かい合った。


「何をしてるんだ。」

殺人ひとごろし。」


聞いたこっちが拍子抜けするほどあっけらかんと、姪っ子は答えた。罪悪感の類は、ひとかけらも見当たらない。


「ここのところ続いている連続殺人も、お前の仕業か。」

「他の人のと混ざってなければ、たぶんそうだよ。」

「何で殺した。」


姪っ子はすぐに答えずに、ちょっと首を傾げた。そのまま、フェンスにもたれかかる。


「いつからか、ね。いきがしにくくなっていったの。」

「どんなに楽しいことをしていても、ふっと我に返る瞬間があるの。」

「そういうとき私は不思議なほどいつも、『どうしてまだ生きてるの?』って思うの。」

「ずっと無視してた。死ぬ気なんてなかったから、放っておいてた。」

「ずっと奥の方が叫んでた。『何で生きてるの?』って。楽しいときも、辛いときも、歩いてるときも、喋ってるときも。」

「でもそれがずっと続くうちに、わけがわからなくなってきたの。」

「私が、どうして生きているのか。」

「壊れてしまいたかったけど、私は壊れられるほど弱くなかった。跳ね除けたかったけど、跳ね除けられるほど私は強くなかった。」

「だから―――抗うことを、止めた。」


いつの間にか姪っ子の瞳は、かつて見た虚ろに凍り付いたものになっていた。こちらを見ているようで、どこも見ていない目。


これ・・は随分壊したがりで、面倒くさがりで・・・私に『早く死ねば』って言う癖に、殺す気は毛頭ないの。」

「私は殺さない。世界で一番都合がよくて、便利な道具だったから。物も壊せない。物を壊せば叔父さんに怪しまれるから。だからお散歩に行って、誰もいなくて監視カメラとかもない細い道にいた人を代わりに殺すことにしたの。」

「だから殺したって言うのか!? お前のせいで、どれだけの人が苦しんだと思っているんだ! そんなに人を殺したきゃ、自分で自分を殺してろ!!!」

「あなたにとっては所詮人が死んだことも他人事で、他人の死はあなたの日常に埋没していくものでしかないんでしょう? ・・・私は叔父さんに聞きたいことがあるんです。黙っててください。これ以上喋るなら、さっき借りた銃をグラウンドのみんなが一番密集してるとこに向かって撃ちます。」


相棒がまだ言い足りないとでもいうような顔で口を噤んだ。あまりに身勝手な言い草に、腹が立ってしまったようだ。

こういうときは容疑者を刺激せず、なるべく話を引き延ばして逮捕する隙を作りだすべきだ。ただこのときの俺はそんなことさえ忘れて、姪っ子だけを見ていた。ここがどこかも、周りに誰がいるのかも忘れて、姪っ子だけに集中していた。


「ねえ、叔父さん。私のさっきまで話してたこと、理解しないでね。何かしてほしかったわけじゃないの。ただ、言いたかっただけ。」

「そうか。―――さっき言ってた、『聞きたいこと』ってのは?」

「叔父さん。昔、私に『生きてていい』って言ってくれたよね。覚えてる?」

「・・・ああ。」


傍らに遺体。周りに数人の警察官。階段を上った先の空間で、凶器を持った姪っ子と向き合っている。

きっとこの子はあのときのまま、外側だけが大きくなってしまったのだろう。そんな風に思ってしまうほど、「あの日」とよく似た光景だった。


「私ね、この前のテストの点数酷かったの。・・・当然だよね。勉強らしい勉強はほとんどテスト前日にしかしてなかったんだから。」

「宿題だけは一応やってたけど、ときどき出すの忘れちゃったり遅れたりした。夜更かしして遊んでばっかりいたから、学校の授業ほとんど全部寝ちゃったりしてた。」

「あとね、お父さんとお母さん。あれも、本当は私が殺したの。お母さんを殺した後、寝てるお父さんも殺す予定だったんだけど・・・ばれて私の方が殺されそうになっちゃった。」

「殺した人たちを整えたのもね、何となくだったんだ。何となくだったんだけど、火葬する前に棺桶の中にその人が好きだったもの入れたなぁって思い出して・・・。だから、殺した人たちがやりたがりそうなことをしてあげてから帰ることにしたの。」


姪っ子はひとつ、息を吐いて。あの日と同じ、虚ろに凍り付いている癖にどこか縋ってくるような、そんな瞳でこちらを見た。


「答えて、叔父さん。」

「こんな悪い子の私でも、生きてていいですか?」


即答出来るはずだった。それなのに、言葉が口から出てくれない。始めて言葉を重たく感じた。

姪っ子は、ただ口を開閉させる俺を見て、小さく首を傾げて微笑んだ。ぞっとするほど、綺麗で優しい微笑み。


「叔父さん。」


言葉を発さずに、唇だけで姪っ子は言う。ゆるしてくれてありがとう、と。


姪っ子は酷く自然な仕草で、スカートのポケットから銃を取り出した。ごつりとこめかみに押し当て、躊躇いもなしに引き金を引く。

横合いから突き飛ばされたようにたたらを踏んで倒れた姪っ子は、俺が今の今まで忘れていたあの笑みのまま、事切れていた。




―――事件の事後処理が終わった後、俺は警察を止めた。相棒には随分引き止められたが、終いには折れてくれた。

今俺は、保有者キャリアを支援するNPOでカウンセリングをしている。何故それをやろうと思ったのかは、正直俺もよく分かっていない。


確かなことはただ一つ。俺は一生、「殺人鬼」という言葉を聞く度に、姪っ子の最期を思い出すということだけだった。

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殺人鬼 夢現 @shokyo-shoujo

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