魔術探偵は神を呑む

不明夜

魔術探偵は謎と遭う

「おいおい––––––どういうトリックだよ、これは」

 時刻は朝八時。雑居ビルの二階に構えられた探偵事務所の仮眠室にて、起きて早々私は新たな謎に頭を抱えていた。

「(もう一度、昨日のことを思い返そう……)」

 朝から缶ビールを飲みつつ、ゆっくりと思考を巡らせていく。


 *


 底冷えするような、冬の黄昏時のことだった。どうせ依頼人など来ないだろうとたかを括って、コンビニで買ってきた缶ビールとおつまみの袋に手を伸ばそうとしたその時、ゆっくりと事務所のドアが開かれたのだ。

「すみません、酩酊探偵事務所というのはこちらでしょうか」

 入って来たのは、スーツ姿の見知らぬ青年だった。わざわざこんなところに来るなんて、何か困りごとでもあるのだろうか。

「ああ、そうだ。何か依頼したい事でも?どんな事でも善処はするぞ」

 彼に対する第一印象は平凡なものだった。まあどこにでも居そうだとか、これなら普通の依頼で済みそうだとか、正直なところ侮っていた。もっとも、彼の次の一言でその印象はひっくり返る事となったのだが。

「依頼を受ける、というのは私がたとえ死人であっても変わらないでしょうか」

「は?」

 困惑を隠せず、声が出てしまう。ただ、それだけの衝撃が彼の言葉にはあった。

「ああすいません。自己紹介がまだでしたね。私はこういう者です」

「え?ああ。ありがとう」 

 先ほどの発言の意図がわからないまま、差し出された名刺を受け取る。

 名刺自体は至って普通のものだったが、それは逆にあの一言の異質さを際立たせた。

「(死人、か……彼がただ嫌がらせをしに来たとも思えないが……)」 

 私は大変オカルトに馴染みのある魔術師家の生まれであり、動く死体であれば何度か見たことがあった。しかし、そういったものの多くは真っ当な会話はできないものだ。

 少し思考を整理する。私の目の前に立っている彼は流暢に話しているためその線は薄い。魔術師にも見えないし、そもそもただの生きた人間としか思えない。

「まあ、とりあえず何があったのか教えてくれないか?」

 死人が何かの比喩である事を祈りながら、話を進める。

「分かりました。昨日の夜のことです。会社からの帰り道に見知らぬ人とすれ違ったのですが……」

 既に不穏な気配がしているものの、黙って彼の話に耳を傾ける。

「……刺されたんですよ、その人に。何度も何度も刺されて気を失ってしまって」

「それはよく生きていたな。……いや、何故ここにいるんだ?」

「それが分からないんですよ。殺されたはずなのに目が覚めると家にいて……」

「一応聞いておくが……夢だった、なんてオチじゃあないよな」

「それも最初に考えたのですが、私の刺された場所に警察が居て……なんでも、そこに血痕があったらしいんですよ。それで怖くなって」

 普通の探偵なら、事件性は無いと判断するだろう。たまたま刺される夢を見て、たまたま夢の場所で別の事件があっただけ。

「(いいや、違う。これは魔術師による悪意を持った犯行で、事件だ)」

 背筋が凍る。この事件に関わってはいけないと直感が告げる。死にたくなければ今すぐにでも追い返し、聞かなかった事にするのが正解だろう。それでも––––––––

「……概要は理解した。私は何を調べればいい?」

 好奇心で、足を踏み入れる。

「ありがとうございます。受けてくれるんですね、こんな訳の分からない話を」

「生憎と、そういう事件が専門でね。その事件は私、呼神酩酊こがみめいていが受け持とう」

 魔術や神秘といった、科学の発展によって否定されたもの。幸か不幸か、そういったオカルトが実在してしまう事を知っていた。

「ああ。受ける、とは言ったが前金は不要だ。解決できるとも限らないからな」

 本当は、説明できるか怪しいからなのだが。安易に魔術の話をした所で信じて貰えるとも思えないし、そもそも詐欺として訴えられたらまず負ける。

「それは……いえ、ありがとうございます」

「とりあえず今日の所は帰ってもいいぞ。何かあったらここに連絡してくれ」

 そう言いながら、渡す機会を失っていた名刺を渡す。

「今日は真面目に取り合っていただいて、本当にありがとうございました」

 深々と礼をしながら、彼は事務所を後にした。

 

「(血溜まりがあったのならニュースにでもなっていやしないだろうか)」

 依頼人が来た為飲めなかった缶ビールを開け、テレビに電源を付ける。

『––––次のニュースです。出月町で、大量の血痕が発見されました。これに対し警察は、殺傷事件と血液パック等を使った悪戯の両方の線で捜査を進めて行くと発表しました』

「(よし、当たり。……この映像、割と近くだな。確かあのスーパーの裏手か?今から様子だけでも見てくるか)」

 玄関先にかけていたトレンチコートを羽織り、事務所から出る。

「(流石に夜は冷え込むな。ああ、彼にもっとしっかり話を聞いておくんだった)」

 雑居ビルの階段を降りながら、貰った名刺の存在を思い出して電話をかける。

「もしもし、酩酊探偵事務所だ。少し聞きたいことが––––」

「探偵さん?!すみません、ちょっと、今、話せるような、状況じゃ、なくて」

 その息を切らした声により緊急事態であることが窺えた。戦う準備をするために事務所へと引き返しながら、電話越しに状況を確認する。

「話せる状況じゃないのは分かるが話してくれ。今どこにいる」

「今は、あの、交差点の所の、コンビニの、近くに」

「そうか。じゃあ、何があった?」

 比較的近くにいることに安堵しながら事務所の扉を開け、給湯室に向かいながら続きを聞く。

「昨日、私のことを、刺した、やつに、追われて」

「それは––––いや、都合が良い。事務所まで来れるか?」

「はい?いや、あなたを巻き込む、訳には」

 冷蔵庫に仕舞われているを取り出し、封を開ける。

「いいから来い」

「ええ?わ、わかりました」

 事務所に来るよう念を押しながら一升瓶に入った酒を一口飲み、封を閉める。

「(嗚呼、久し振りだよこの感覚は)」

 飲んだ量がたった一口にも拘わらず、酔いが回る。気分が高揚し、自らが事を自覚する。

 

 呼神酩酊は、であった。とはいえ、素面の時はただの魔術師でしかなく、霊酒によって酔っている時のみ神へと近付いていく。


「(うん、やはり不味い。もっと普通の酒で酔えたら良かったのにな)」

 ほろ酔いとなりながらも階段を駆け上がってくる足音を聞き、臨戦態勢へと移行する。

「探偵さん、もう、近くに、奴が」

「了解だ。私のそばから離れるなよ」

「は、はい!……え、まさか戦うつもりですか?」

「大丈夫だ。勝算はあるからな」

 彼が息も絶え絶えに事務所へ転がり込んで来た事を確認し、拳を固める。とても一端とは言え神の力を持っているとは思えない姿だが、強力な魔術を扱うには最低でももう一段は酔わねばいけない為、致し方ない。

「(さて、鬼が出るか蛇が出るか。何にせよ碌でもないだろうが)」

 そして、遂に犯人と対面する。ただ、一つ驚いたことがあるとしたらその見た目だろう。

 身長は百八十前後で、体格からして恐らく男性。しかし問題は服装の方で、コートにズボン、靴もマスクもニット帽までもが黒一色。さらに包丁を握りしめているという、大変に分かり易く誰かを殺そうとしているその風貌に、逆に面食らってしまった。

「さて、対話は人の基本だが……面倒だ。取り敢えず気絶してくれないか?」

 殴りかかる。多くの場合、刃物を持った相手に素手で挑むのは得策とは言えないが、今の私なら話は違う。少しではあるものの神に近づいた私の身体能力は、常人と比べ数倍にも跳ね上がっていた。

 男が反応するより先にみぞおちへと拳が命中し、強烈な打撃音が室内に響く。

「……は?」

 しかし、男は微動だにしなかった。

「––––はは。無傷って、それはないだろ」

「え……たんてい、さん?」 

 痛みが走る。自分の腹から垂れた血を見て、ようやく刺された事を自覚した。

「(これは……うん。助からないな……好奇心は身を滅ぼす……か)」

 ここで終わるのだと理解する。私が死ぬのはいい。彼のことを守れなかったのは少し心苦しいが、それもまあいい。ただ、全くもって謎が解けないまま終わってしまうことだけが悔しかった。

「(こんなのだから死ぬのだろうな、私は)」

 最後まで好奇心を捨てられないまま、意識は闇へと落ちていく。



「おいおい––––––どういうトリックだよ、これは」

 時刻は朝八時。雑居ビルの二階に構えられた探偵事務所の仮眠室にて、起きて早々私は新たな謎に頭を抱えていた。





























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