【35】「泣いているの? ギル」
「エリーゼ嬢。
突然のことで――理解できない。
「…………陛下の、弟? ギルが……王弟殿下?」
ひざまずいて私の掌に唇を寄せていたギルが、優しい笑顔でうなずいた。
「ギルベルト。全てを明かすことを許可しよう、そなたの口から、聞かせてやれ」
「兄上のご高配、誠に痛み入ります」
そして、ギルは教えてくれた。
「エリィ……。俺の父は先王陛下だ。母は前に語った通り、異民族の奴隷だった。父の過ちで生まれた俺は存在そのものを伏せられて、10歳ごろまで離宮に隔離されていた」
ある日、先王陛下の正妻に……つまり、王妃に毒殺されかけて、ギルは生死をさまよった。――それも、星空の下で話して聞かせてくれた話だ。
「生きることに絶望し、父への憎しみに駆られた俺は離宮を逃げ出して、父を殺そうと宮廷に忍び込んだ……異民族の血を引くためか、幼い頃から身体能力には長けていたんだ。そして月明りに濡れる庭園で――俺は君と、初めて出会った」
「……私と?」
それは、おかしい。
ギルは、『私に似た少女』に出会って、人生が変わったのだと言っていた。
「ギル……私ではないわ。だって、私はあなたに宮廷で会ったことなんてないもの。ギルも言っていたでしょう? 私ではなく、私に『似た人』だったって」
そう答えると、ギルは眉を寄せて悲しそうな顔をしていた。
「ギルベルト、もう伏せずとも良い。先王の愚行でお前が苦しむのは不条理だ」
国王陛下は侍従に指示して、香水瓶のようなものを持って来させた。私は侍従からその小瓶を受け取った。瓶の中は、夜を閉じ込めたような紺色の液体で満たされている。
「それは王家に伝わる魔道具のひとつだ。特定の記憶を奪うもので、王の采配でのみ使用されうるものなのだが。……先王が、そなたの記憶を封じていた。小瓶を開けよ、エリーゼ嬢」
言われるままに、小瓶の栓に手を伸ばす。おそるおそる、栓を開けた。
「あっ」
瓶に閉じ込められていた液体が、瞬時に揮発して私を包み込む。
……これは?
目の前に広がったのは、星空で。
私は7歳くらいの少女。隣で空を仰いでいたのは、10歳を少し過ぎたくらいの、あなただった。
あなたと私は、庭園で出会った。
私は足を怪我していて……でも、もう痛くなかった。
出会ったばかりのあなたが、手当てしてくれたから。
あなたと2人で寄り添いながら、星を見た。お母さまが教えてくれた『灯り星』の話をしたら、あなたはとても嬉しそうに話を聞いてくれた。あなたの金色の目がとてもきれいで、灯り星にそっくりだと言ったら……あなたは、泣いてしまった。
とても幸せそうに泣いていた――
「……ギル?」
目の前にいるギルの頬に、私は両手で触れていた。
「泣いているの、ギル」
ギルの金色の瞳は、夜露のように濡れている。
「……………………嬉しいんだ」
やさしく笑って、涙をにじませるあなたは、昔と変わらない。
「……私もうれしい。二度と会えないと思っていたの。やっと会えて、嬉しい」
ずっと忘れていて、ごめんなさい――私は彼に抱きついた。
彼も、強く私を抱きしめ返す。
このまま溶けてしまうくらい、2人できつく抱き合っていた。
「……若い両名の邪魔をするのは無粋だとは思うが。そろそろ返事を聞かせてもらおうか、エリーゼ嬢」
咳ばらいをしてそう呟いた陛下の声で、私達はハッと我に返った。あわてて抱き合う腕を解き、2人並んで礼をとる。
「ギルベルト王弟殿下とのご婚約、喜んでお受けいたします!」
「よかろう!」
国王陛下は立ち上がり、王杖を持ってギルの前に立った。
「ギルベルト・レナウ子爵、此度の活躍を評してそなたを公爵へと
「ありがたき幸せに存じます」
首を垂れるギルに向かって、国王陛下は意味ありげに笑って見せた。
「だが、今後のことは分からぬぞ? いつかはそなたに王の座を譲るかもしれん……というのも、王位継承候補のミリアレーナ王女はとんだお転婆でな。優秀なのだが、王位どころか婚約さえ突っぱねる始末だ。……まぁ、娘かわいさに甘やかしてしまう余にも責はあるのだが。ミリアレーナが女王として不適格であれば、いずれお前に王位が巡る」
王位を……という言葉に少し顔が曇るギルを見て、国王陛下は楽しそうに笑っていた。
「ギルベルト並びにエリーゼに命ずる。民草を正しく導き、身を尽くすこと」
「「かしこまりました。国王陛下」」
私達は最敬礼で即答し、互いを見つめて微笑み合った。
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