【31*】反逆罪と国外逃亡《王太子視点》
王太子が国外逃亡するなんて、我ながら不名誉極まりないことだ――。
小ぶりな馬車に乗り込んだ僕は、「ちっ」と小さく舌打ちをした。クローヴィア公爵領にある離宮から密かに脱出した僕は、あらかじめ用意していた逃亡用の小型馬車に乗り込んで、東の国境を目指している。
(この馬車のほかにも、僕の
もともと、いざというときにはこの国を出て、隣国へ逃げるつもりでいた。僕だけが保有している重要情報を提供する見返りに、僕の身の安全を保障させる手はずだったのだ。隣国の有力者とのパイプも極秘に構築済みだ――もちろん、重要情報の詳細については相手にも知らせていない。だからこそ、隣国は僕を嬉々として迎え入れ、僕を丁重に扱うはずだ。
「……だが。まさか、いきなりザクセンフォードの騎士どもが離宮に踏み込んでくるとはな。おかげで、計画が台無しになってしまった。本当だったら、僕が王位に就くまでの間、計画を隠しておくつもりだったのに。……忌々しい」
きっと父上が僕の行動を怪しんで、ザクセンフォード辺境騎士団を使って探らせたのだろう。父上は特殊任務をさせるとき、王宮騎士団ではなく何故かザクセンフォード辺境騎士団を用いる。……だが不思議だ。ザクセンフォード辺境伯と懇意にしているからとはいえ、なぜ辺境伯の私兵どもを重用しているのだろうか? その理由を、僕は知らない。
「離宮の地下を見られてしまった以上、もはや言い逃れはできない。地下に研究施設を造って魔獣を飼育し、魔道具作りの素材にしていたなんて知れたら……僕の身分剥奪は決定的だ。……くそっ、せっかくうまく行きかけていたのに!」
僕は馬車の壁を殴りつけ、苛立ちに任せて髪を掻きむしった。
――大陸法の定めによって、魔獣の産業的利用は違法とされている。つまり、魔獣を家畜のように飼いならしたり、骨や肉を使って魔道具を作ったりするのは禁忌なのだ。倫理的な問題で禁じられているわけではない……魔獣の骨や血などを扱う行為自体が危険だから、禁止されている。だが――
「せっかく安全に魔獣の骨や血を使用して、強力な魔道具を作る方法を見つけ出せたというのに。研究途中の魔道具も沢山あったのに。邪魔な奴らのせいで……」
歯ぎしりしながら、自分の衣服のポケットの中に手を入れた。……持ち出せた魔道具は、この丸薬ひとつだけしかない。離宮から逃げ出すとき、あいにくと小ぶりなものは手近な場所にはなかったから、ほぼすべての魔道具を離宮に捨て置かざるを得なかったのだ。
「ちっ。……まぁ良い。古文書は無事に持ち出せたからな。古文書と僕の頭さえあれば、隣国で研究の続きができるんだ……」
僕は何度も深く呼吸して、自分のいら立ちを押さえつけていた。
クローヴィア公爵夫妻とララは、ザクセンフォード辺境騎士団に逮捕されたらしい。頭の悪い奴らだったから、捕まるのも当然といえば当然だ。資金繰りが良くてビジネスパートナーとしては最適だと思っていたのだが、あいつらのせいで僕まで足を引っ張られることになるなんて。
(……だが、僕はまだやり直せる。このまま国境を越えて、逃げ切ってやる。)
馬車はとうとう、東の国境付近に差し掛かった。よし、いいぞ、このまま国境を越えて……
そのとき。ガタン、と馬車が急停車した。
「何事だ!」
僕が叫ぶと、御者は震えた声で答えた。
「ぞ、賊です……!」
「賊だと?」
窓の外に、フードをかぶった長身の男の姿が見えた。フードの下の容貌は見えないが、かなりの手練れであることが気配で分かる。男は一人、腰には剣を下げているようだ。
「くそっ。こんなところで、賊なんかに。……もたもたしていたら、追っ手につかまるかもしれないじゃないか!」
賊の男が剣を鞘走らせた瞬間、御者は悲痛な声を上げた。
「ひっ、ひぃいい! 命だけはお助けをー!」
御者は御者台を飛び降り、そのまま逃げ去ってしまった。呆気に取られて、僕は言葉を失った。
「……おい、お前、何逃げてるんだ! 戻れ!」
御者は戻ることもなく、身一つで消えてしまった。馬車の中の僕を、フードの男がぎらりと睨む――男の金色の目は、殺意に燃えていた。
「ひっ」
思わず身がすくんだが、僕はこんなところで賊なんかに殺されるわけにはいかない。ポケットの中に潜ませていたたった一つの魔道具を、僕は口に含んでごくりと飲み込んだ――護身用の魔道具だが、これは即効性がないから今は役に立たない。
だから今は、知恵を巡らせてこの場を切り抜けなければならない。僕は覚悟を決めて金貨の入った袋を掴み、馬車の扉を開いた。
「お前の望みは、どうせ金だろ? くれてやるから、地に這いつくばって拾え!」
僕は賊の男に向かって、金貨をばらまいた。男は金貨を拾う様子もなく、ただただ僕を凝視している。
「僕がお前に、ひとつ良い提案をしてやろう! 逃げた無能な御者の代わりに、お前が馬車を操って僕を隣国まで運べ。そうしたら、この金貨の10倍の報酬をくれてやる!」
僕の堂々とした口ぶりに、男は興味を引かれたようだった。
「……隣国に?」
よし、喰いついた。どうやらうまく行きそうだ、と僕は内心ほくそ笑んでいた。
「そうとも。僕は隣国へ行くつもりなんだ。僕を待っている者たちがいる、無事にそこまで僕を送り届けたら、彼らから報奨金を受け取るといい。僕は特別な人間だから、彼らは大喜びでお前に金をよこすだろうさ」
男は、不愉快そうに唇を歪ませた。目深にかぶったフードのせいで、唇しか見えないが――
「どこまでも卑しい小僧だな、アルヴィン。隣国などに逃がしはしない。……貴様はこの国で死ぬんだ」
男の姿が、瞬時に消えた。あまりに俊敏な動きだったから、消えたように見えたのだ。次の瞬間、僕の左頬に激痛が走る。
「……ぐぁっ、…………っ!?」
殴られた。この僕を、男は躊躇なく殴打したのだ。勢いそのままに、僕の体は地面に転がり込んでいた。
この男、何なんだ……なんで僕の名を知っている。こいつは、ただの賊じゃないのか? ――このままじゃあ、こいつに殺され…………
「エリィが貴様に味わわされた屈辱は、この程度ではなかったはずだ。貴様のような軟弱な青二才が、王太子気取りだと? 反吐が出る……!」
男は地獄の底から響くような声でそう呟き、憎しみに任せて僕を蹴り込んだ。呼吸を奪われた僕は、地面に転がりながら激しくせき込む。
「……ごほっ。……くっ、……お、お前は……!?」
男は僕に答えない。代わりに僕の背を踏みつけて、ぎりり、ぎりりと踏みにじった。
「口を開くな、青二才。俺は機嫌が悪い。お前のような
エリィ……? エリーゼのことか? こいつは、一体……
フードの奥の双眸が、憎しみに燃えている。今まで見てきたどんな魔獣より、男は残虐そうな目で僕を見下ろしていた。
「聡明な国王陛下の血を引きながら、なぜ貴様はこんなに屑なんだ?」
僕を踏みつけながら、男は外套を脱ぎ去った。さらりとした長い銀髪と、黄金色の瞳が露わになる――
「俺の名はギルベルト・レナウ。国王陛下の勅命により、貴様を追いかけて来た。貴様を国家反逆の罪で捕縛する。国王陛下の裁きを受けよ!!」
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