【32】断罪のときは迫る
「――ィ。……エリィ」
温かい声に名を呼ばれ、私は目覚めた。
息が乱れる。涙で頬がびっしょり濡れていた。
私は、ベッドに寝かされていたらしい。気遣わしげに覗き込む、ギルの顔が見えた。
「大丈夫か。ひどくうなされていたぞ」
そっと涙をぬぐってくれたギルに、私はぎゅっとしがみついていた。
「……………………ギル!」
体の震えが止まらない。ここはどこなのか、私は今どういう状態なのか、全然わからない。
「大丈夫だ。もう、危険はない。……もうすぐ、すべてに片がつく」
怯える子供をなだめるように、ギルは私を抱きしめながら、背中をさすってくれていた。
「エリィ、ここは宮廷だ」
「……宮廷?」
「クローヴィア公爵領に拉致された君を、我々ザクセンフォード辺境騎士団が救出した。その後、君は『仮死薬』の影響で昏睡状態に陥り、宮廷医師・魔術師たちの治療を受けていた。……精神的なショックも、少なからず影響していたのだと思う。君の命を狙ったクローヴィア公爵夫妻と王太子妃のララは、投獄されている。……じき、国王陛下が処遇を決める」
――あぁ。やっぱり『あれ』は、夢ではなかったんだ。
私は本当に、父たちに殺されそうになっていたんだ。本当に、家族と決別したんだ。
とても悲しいけれど……でも、ふしぎと『寂しい』とは感じなかった。
「10日前、君は辺境騎士団の寄宿所で、いつものように働いていた。……しかし、クローヴィアの騎士たちが君を攫った。近隣の農婦を脅して、君を誘拐させたんだ」
「農婦……」
ぼんやりとしていた記憶を、私は一生懸命たぐりよせた。
「そうだわ……アンナさんの様子が、おかしくて……」
「連中は農婦の娘を人質に取り、『娘の命が惜しければ、エリィを誘拐してこい』と命じたそうだ。……そして、農婦は命令に従った」
険しい表情で、ギルが説明を続けていた。
「だが、連中は約束を守らなかった。口封じのために農婦を殺害しようとしたが――その直前に、ザクセンフォードの騎士たちが駆けつけて食い止めた。彼らの活躍もあって、農婦とその娘は無事だ。連中はその場で捕らえられ、尋問の末にクローヴィア公爵の手の者であることが暴かれた」
ギルの話を聞いて、私は安堵した。
「アンナさんたちが無事でよかった。ギル……お願いだから、アンナさんを罪に問わないで。アンナさんの気持ちを思うと、やりきれないの」
そう訴えると、ギルは小さく笑った。
「君なら、そう言うと思った。分かった、早馬を飛ばして農婦アンナを自由にさせよう。もちろん、今も監禁などはしていない。母子ともに保護して、寄宿所で生活してもらっている」
胸をなでおろした私を見つめながら、ギルは再び声を少し低くして話し続けた。
「……攫われた君を助け出せたのは、天の導きとしか思えない。本当に、運が良かった」
そうだ。
特別な任務で領外に出ていたギルが、クローヴィア公爵領にいた理由……私は、それを知らされていない。
「なぜ、ギルはクローヴィア公爵領にいたの?」
「国王陛下のご命令で、クローヴィア公爵と王太子アルヴィンの素性を探るため、公爵領に潜入していた。彼らの『事業』に、いかがわしき点ありとのことでな」
ギルは、少し疲れた様子で息を吐き出した。
「事実、彼らは許されざる所業に手を染めていた。彼らを断罪するにはさらなる証拠が必要だ――そう考えて任務を続行していた最中、伝令が入った。『クローヴィア公爵の配下がエリィを誘拐した』と聞いて……ぞっとしたよ」
そしてクローヴィア公爵邸に駆けつけたギルは、窓から『何か』が投げ捨てられるのを目撃したそうだ。
「鈍い光を放ちながら地面に落ちていくそれは……俺の母の、形見の指輪だった」
ギルは沈痛な表情で、懐からその指輪を出した。指輪にはまっていた金色の石は、見る影もなく黒ずんでしまっている。精緻な彫刻の施されていた銀の指輪は、ひび割れだらけになっていた。
「……ごめんなさい。私、あなたの大切な指輪を…………」
「何を言っているんだ」
また泣き出しそうになっていた私を、ギルがきつく抱きしめた。
「きっと、母が君を守ったんだ。……この指輪に導かれなければ、クローヴィア公爵の暴挙を止めることはできなかった。俺は、君を永遠に失うところだった」
ギルの腕が、ふるえている。
「意識を失った君を部下に預けて宮廷に護送し、俺は残りの部隊とともに王太子アルヴィンを追った。クローヴィア領内の離宮に潜入したが、あと一歩のところで取り逃がしてな。……国外逃亡を図っていたアルヴィンを、国境付近で捕縛した」
「アルヴィン殿下が……国外逃亡しようと?」
王太子という身分にありながら、国を捨てて逃げるなんて、ありうる話なのだろうか。あまりにも無責任だし、愚行としか思えない。アルヴィン殿下は、どうしてそんな無茶苦茶なことを……
「アルヴィンが犯した罪は、魔獣の産業的利用だ。エリィなら知っているだろうが、魔獣の血や肉を使って魔道具を作ることは禁忌とみなされ、極刑さえも検討されうる重罪だ。アルヴィンは古代の知識を発掘して、さまざまな古代魔道具の復元を試みていた。……君の聖痕を奪った短刀も、アルヴィンが復元させた古代魔道具だ」
聖痕を奪う古代魔道具……?
思い出そうとしたら、ずきりと頭が痛んだ。でも、靄がかった頭の奥で、記憶がよみがえっていく。
「………………思い出したわ。数か月前、アルヴィン殿下に婚約を破棄された日。私は父たちに拘束されて、聖痕を奪われたの。血のように真っ赤な短刀で。……妹に無理やりドレスの襟を解かれて、露わになった素肌をなぞるようにして、アルヴィン殿下が短刀を使って儀式めいたことをしていた」
「素肌をなぞる?」
ギルの美しい顔立ちが突如として歪み、わなわなと震え出した。
「ギ、ギル……? どうしたの?」
「………………何でもない」
額に血管を浮かび上がらせたまま、ギルは不機嫌そうに首を振った。
「…………まぁ、いい。どうせアルヴィンはもう終わりだ」
「終わりって……?」
要領を得ない私を見つめて、ギルは答えた。
「国王陛下が君をお呼びだ。君が落ち着いたところで、俺とともに行こう。……すべてに決着を、つけたいと思う」
*
数刻後、身なりを整えた私は、ギルとともに謁見の間に通された。国王陛下は、安堵の笑みで私を迎えてくださった。
「エリーゼ嬢! よく生きていてくれた……! そなたの命が失われずに済んだことは、この国にとっての救いだ。そなたを救い、同時に逆賊どもを見事捕縛してきたレナウ子爵ならびにザクセンフォードの騎士たちには、最高の栄誉を約束しよう」
かしこまって礼をとる私達に向かって、陛下は嬉しそうな声を投じていた。――でも、次の瞬間、陛下の顔が苦痛そうに歪んだ。
「栄誉を与える前に、余は国の王としての責務をまっとうしなければならない。愚息アルヴィンのすべての罪を明らかにし、償わせる必要がある」
「アルヴィン殿下に……裁きを?」
「うむ。エリーゼ嬢にとっては二度と見たくもない者かもしれぬが。アルヴィンが古代魔道具を用いて奪った聖痕を完全にそなたに戻すためにも、あやつをここに呼ばなければならん。これより、アルヴィンを呼ぶ。……良いな?」
思わず、びくりと身がこわばってしまった。あんな人、もう二度と会いたくなかったのに……
「大丈夫だ、エリィ」
ギルが私の耳元でささやいた。会いたくないけれど……ギルが居てくれるなら……
私が小さくうなずくと、国王陛下は控えていた騎士たちに声を投じた。
「それでは、幕引きと行こう。第一王子アルヴィンを地下牢より連れて参れ!」
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