【28】実父と義妹の暗躍

自分の左胸に聖痕が戻ったことに戸惑いつつ、私は今日の仕事をするために厨房に向かった。厨房の作業をしながら、雑役婦の皆さんと雑談をしていたときのこと。


「え? ギルベルト様が、ご出張に?」

「うん、そうだよ。知らなかったのかい、エリィ?」

雑役婦の皆さんから、ギルが複数の部隊を伴って数日間の出張に行くという話を聞いた。


「私、全然知りませんでした……どうして教えてくれなかったんでしょう」

何日か留守をするなら、私にも教えて欲しかったのに……。しょんぼりしている私を見て、皆さんは大笑いしている。


「あはははは。だってエリィは昨日、ひどく酔いつぶれてたじゃないか。話せる状況じゃなかったんじゃない?」

それを言われると、耳が痛い……。


「それにしても、団長も大変だよねぇ。王都から戻ったばかりなのに、今日からまた出張だなんて。それに昨晩エリィと一晩いたってことは、つまり寝たけど寝てないわけだろ??」

「?」

雑役婦の皆さんが、意味ありげな目でニヤニヤしていたけれど。ちょっと意味が分からない。


「ギルベルト様は、「鍛えているから立ったままでも安眠できる」と言ってましたけど」

言われたことをそのまま教えただけなのに、皆さんは「あらいやだ! さすが団長!!」などと騒いで盛り上がっていた。……皆さんとても楽しそうだ。


「まぁ、ともかく今日からしばらくお別れなんだから、エリィも挨拶しておいで。今ごろ練兵場で、出立前の詰め作業でもしてると思うよ」

と言って、皆さんは私に時間をとらせてくれた。




   *


練兵場には数十人の騎士がいて、それぞれ物資や馬の確認作業をしていた。ギルの姿もそこにある。


騎士たちの顔ぶれを見て、私はふと疑問を持った。

(あの人たち、「特務隊」だわ。……それじゃあ今回のお仕事は、いつもと違うのかしら)


ザクセンフォード辺境騎士団には「特務隊」という特殊な部隊がある。普段は通常の部隊のなかに組み込まれているのだけれど、他領騎士団との合同作戦や、領外活動のときだけ編成されるのが「特務隊」だ。


練兵場の片隅で様子を見ていた私に気づき、ギルが一人でこちらに来てくれた。その精悍な笑顔を見て、私は改めて決意を固めたーーこれから仕事に出るギルを心配させてはいけないのだから、きちんと笑顔で送りだそう。聖痕のことで不安はあるけれど、勘付かれないようにしなくちゃ。


「どうした、エリィ」

「お仕事中にすみません。お仕事でしばらく戻らないと聞いたので、ご挨拶をと思いまして」

「いや。俺も今から君に話しに行くつもりだった。エリィのほうから来てくれて助かる」


忙しいギルに、長々と話しかけるわけにはいかない。手短に挨拶してすぐに立ち去ろうとしたのだけれど、ギルは私を引き留めた。

「エリィ。数週間は戻らないかもしれないんだ。今朝のうちに伝えるつもりだったのが、……うっかり他の話題で夢中になってしまった」


数週間? 思っていたより、かなり長い。うっかり悲しい顔になりかけてしまい、あわてて笑顔を取り繕った。

「……わかりました、お気をつけて。お帰りをお待ちしています」


「首尾よく進めば、もっと早く戻れるかもしれないーーが、油断は禁物だな。今回の件で成果が出たら、君に伝えたいことがある。……どうか、それまで待っていて欲しい」

「?」

あなたを待つのは、当然のことなのに……どうして念を押すんだろう。


「エリィ。これを受け取って欲しいんだが」

ギルは懐から何かを取り出し、それを私の薬指にはめた。

「……指輪?」

トパーズのような金色の石のはまった、珍しいデザインの指輪だ。


「きれい。でも、この指輪は一体……?」

「母の遺品だ」

「お母様の形見!? そんな大切なもの……受け取れるわけがないじゃありませんか!」


私が恐縮して指輪を外そうとすると、彼は私の手を止めさせた。


「この指輪は、異民族母の民族の護身具なのだと聞いている。俺が不在の間、君を守るよう祈りを込めた。俺には魔術の心得はないから、実用性は期待できないが」


それでも、エリィに持っていて欲しい。ーーまっすぐな目でそう言われ、私は高鳴る鼓動を抑えられなくなっていた。

「……お預かりするだけなら。…………でも、できるだけ、早く戻ってきて下さいね」

切実そうだったギルの美貌に、とろけるような笑みが浮かんだ。


「ありがとう。今回の仕事から戻ったら、改めて君に合うものを贈らせてくれ。……だからひとまず今は、それを預かっていて欲しい」





ギルと特務隊の騎士たちは、それからしばらくして出発した。作戦の内容を、もちろん私は知らない。私にできるのは、彼らの無事を願うことだけだ。

ーー早く帰ってきて下さいね、ギル。

指輪のはまった薬指を、私は静かに撫でていた。でも、感傷に浸ってばかりはいられない。

「…………さぁ。私もお仕事をがんばらないと!」

大きく伸びをしてから、雑役婦の仕事を続けた。



  *


昼前に「納品作業」を行うのが、雑役婦としての私の日課だ。近隣に住む農婦が持ってきてくれた農作物を、確認してから厨房に運ぶ。顔なじみの農婦のアンナさんが、今日もいつもと同じ時間に食材を持ってきてくれた。


「こんにちは、アンナさん。いつもお疲れさまです」

いつもと同じようにアンナさんを出迎え、食材を受け取ろうとした。……でも、アンナさんの様子がおかしい。


「………………エリィちゃん、……」


アンナさんはひどく青ざめていて、目線が定まっていない。私に何か言いたそうなのに、決して目を合わそうとしない。今にも泣き出しそうな顔をしている。

「どうしたんですか? アンナさん」

「……あの、………………あのね………………ごめんよエリィちゃん!!」


ーーーーえ?


何が起きたかわからなかった。

アンナさんが唐突に私を押し倒し、湿ったハンカチのような物で鼻と口を押さえ込んで来た。ーーゆらりと意識が遠のいて、何がなんだかわからなくなる。



目の前が真っ暗になった。



   ***


気絶したエリィの体を担ぎ上げ、農婦のアンナは泣きながら駆け足になっていた。


ーー誰かに見つかったら大変だ……。あたしが、上手くやらなきゃ。絶対に失敗できない。ごめんよ、ごめん、エリィちゃん。でも、あたしは…………


頭の中がぐちゃぐちゃで、何がなんだかわからないまま、アンナはエリィを運び続けた。約束の場所にたどり着くなり、エリィの体を地面におろす。


「約束通り、エリィちゃんをさらってきたよ!! これで満足だろう!?」

涙声で、アンナは叫んだ。


木陰からひっそりと姿を現したのは、数名の騎士たちだ。……ザクセンフォード辺境騎士団とは、異なる装束を纏っている。


「ご苦労だった」

騎士たちはエリィの風貌を確かめ、「間違いない」とうなずき合った。一人の騎士がエリィにくつわを噛ませて縛り上げると馬に乗せ、迅速に駆けだす。


残る騎士たちに取りすがり、アンナは青ざめながら訴えた。

「あたしは命令通りにやっただろ!? だから約束通り、あたしの子供を返しておくれ!」

騎士たちは、ぞんざいな態度でアンナを突き飛ばした。


「バカな農婦だ。約束など、守ると思うか?」

「……そ、そんな」

地面に手を突いて抜け殻のようになっているアンナを見下ろし、騎士たちが冷酷な笑いを漏らしている。


「俺たちが証拠を残すわけがないだろう? クローヴィア騎士団を、甘く見て貰っては困る。……あぁ、お前のような農婦には、クローヴィアを名乗っても分からぬか。ならば、冥土の土産に教えてやろう!」

リーダーとおぼしき騎士が残虐そうに顔をゆがめて、鞘から剣を引き抜いた。



「お前がさらってきた小娘は、クローヴィア公爵家の長女エリーゼ嬢だ! クローヴィア公爵ならびに王太子妃ララ様は、エリーゼ嬢を所望しておられる!」

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