【26】あなたと夜明けまで

俺はエリィを抱き上げて、彼女の部屋まで運んだ。

「ほら……大丈夫か、エリィ」

エリィの華奢な体を、ベッドにそっと横たえる。「ん……」と小さな息を漏らして浅めの呼吸をくり返している彼女の寝姿は小動物めいて愛らしい。……だが同時に、男を狂わせるような、悩ましい色香を放っていた。


(……っ、バカか、俺は)

自分を律して視線を切り、平静な声でつぶやいた。


「もう酒は飲むなよ? ともかく、よく休め」

溜息をついて踵を返そうとしたのだが、ふいに衣服の裾に抵抗を感じた。

「? ……エリィ?」

エリィが寝転がったまま、俺の裾をつかんでいる。頬を上気させた彼女は、さみしそうな顔で俺を見上げていた。


「ギル。待って、いなくならないで……」

「何を言ってるんだ、君は」

酒に酔っているためか、口調からして普段と違う。目が潤んで泣き出しそうなのも、甘えん坊の子供のような態度になっているのも、酒が原因に違いない。


「ひとりぼっちにしないで。すごく寒いの。こわいの」


エリィはまるで、幽霊におびえる幼子のようだった。「ともかく寝ろ」と言い放って部屋を出てしまえばいいと分かっていたのだが……結局は判断に迷いが生じて、彼女が寝付くまで隣にいてやることにした。


「ほら。しばらく居るから、安心して寝ろ」

「だめ。朝までずっといっしょにいて」


甘えん坊が過ぎて、庇護欲が抑えきれなくなりそうだ。

エリィの豹変ぶりに戸惑いながらも、俺は引っ張られるまま、ベッドの端に腰を下ろしていた。

「ん……よいしょ」

「!? こら、エリィ!」

何を考えているのか、エリィはよろよろしながら俺に這いよって、俺の膝に頭を乗せた。いわゆる、膝枕という形だ。やがて、エリィはとても残念そうな顔で文句を言ってきた。


「おひざがゴツゴツしてて固い……。おかあさまのは、もっと柔らかかったのに」

「当り前だろうが。ほら、さっさと降りてくれ」


軍人と貴婦人の膝を一緒にされては困る。しかし、エリィはさらによじ登って、寝心地の良い場所を探し始めた。

「おい……ッ、やめろ、待てエリィ!」

「おかあさまと全然ちがうけど、あったかいから、これでいいや……」


エリィは胸まで乗りあがって、俺の膝の上で寝返りを打ってさみしそうに笑った。

「ギルは、いつもあったかい。…………ずっといっしょにいてね」

力の抜けきった笑顔で。でも、エリィはとてもさみしそうだった。


「ひとりだと、寒くなるの。いつもね、ひとりぼっちでいると、……いつか、全部なくなっちゃう気がして怖くなるの。今はすごく幸せだけど、いつか全部なくなっちゃう気がする…………」


笑顔はいつの間にか、泣き顔に変わっていた。


「私……ギルと帰ってこれてよかった」

俺の膝の上で、エリィは泣きじゃくり始めた。


「二度と帰れないとおもった。……怖かった。でも、いつかまた、ひとりぼっちになっちゃうとおもう…………」


「大丈夫だ。落ち着け、エリィ」

俺は思わず、エリィの髪を撫でていた。


「エリィは絶対に、ひとりぼっちにはならない。俺がそんなことはさせない。……ずっと一緒だ。だから泣くな」


やわらかな月影色の金髪が、指の隙間を流れていく。

ぐすん、ぐすんとエリィは嗚咽し続けていた。


「君から何かを奪おうとする者がいるのなら、俺は必ず君を守る。だから、泣くな。……俺はエリィに、いつも笑っていて欲しい」


エリィは、とろんとした目で俺を見上げた。

「どうしてギルは、私に優しくしてくれるの?」


愛でなければ、何だというのだ。

しかし、伝えられるはずがなかった。

今、正直に思いのたけを伝えてしまえば、エリィが苦しむことになる。


俺が答えに詰まっているうちに、エリィは寝息を立て始めた。今度は深い眠りに落ちたらしい。すぅ……すぅと、どこか安心しているような寝顔だった。


「……子供みたいだな」

俺は、思わず苦笑していた。だが、彼女の寝顔を見つめるうちに、どうしようもなく切ない心情になってくる……エリィが幼少期からこれまで、どんな生活を強いられてきたのかと思うと、なおさらだ。


宮廷で、エリィの義妹にして現王太子妃のララに遭遇した。ララを見た瞬間、俺は喉輪を締め上げたくなった。あの浅ましい女やクローヴィア公爵に、エリィはこれまで様々なものを奪われてきたのだろう。だからエリィは、いつも孤独に震えているのだ。


国王陛下の采配一つで、エリィの生き方は決まる――そのことも、エリィを怯えさせる要因の一つであるのは間違いない。エリィの処遇はいったん保留となったが、一生このまま自由でいられる訳がない。大聖女に匹敵する能力を持ち、公爵家という高貴な家柄でもある彼女は、いずれ国王の采配でに嫁がされるはずだ。……国法に則れば、王太子アルヴィンのもとに。


「……子爵位の俺では、エリィを娶ることなど許されない」


俺は騎士団長の任を預かってはいても、所詮は子爵。出自を伏せられ、異民族奴隷の母から生まれた俺ではエリィの夫にはなれない。


……だから、


「すべてが首尾よく進んだら、君に想いを伝えよう。……どうか、それまで待っていて欲しい」


そうつぶやいて、俺は膝からエリィを下ろそうとした――だが、やはりやめた。彼女には、安心して眠っていてほしい。

『朝までいて』と願われた。だから、エリィの希望を叶えたい。


「……君が俺を必要としてくれるのならば。俺は、君にふさわしい者となろう」


俺はそのままエリィの髪を梳き、眠る彼女を見守り続けた。

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