【25】幸せに酔う
馬車の中。ささやくように、あなたの名を呼んでみた。
「――ギル」
「……どうした?」
金色の美しい瞳が、そっと私を見つめてくれる。
「馬車がザクセンフォード辺境伯領に入りましたね。……本当に戻ってこれたんだなと思ったら、ようやく肩の力が抜けました」
「途中で連れ戻されるとでも思っていたのか?」
苦笑しているあなたに、私は正直な気持ちを漏らした。
「はい。「やっぱりこのまま王都にとどまって、大聖女の代わりをしろ」とでも命じられるのではないかと。……だって、そのほうが国王や中央教会にとっては、都合がよいでしょう? 私ひとりのワガママを通して遠方の辺境伯領に住まわせてくれるメリットなんて、彼らにはありませんから」
「エリィひとりの我が儘じゃない。どちらかというと、俺の我が儘だ」
さらりと言ってのけるあなたの言葉に、また胸が熱くなってしまった。
「ギルが国王陛下と懇意にしているなんて、知りませんでした。私を連れ戻して下さって、……ありがとう」
真っ赤になってつぶやくと、ギルは少し言葉に詰まっていたけれど。やがて、
「……俺はただ我が儘を通しただけだ、感謝には及ばない。ーーさあ、騎士団本部が見えてきたぞ。明日からはまた仕事が忙しくなる」
窓の外に見える騎士団本部の遠景を見て、笑っていた。
私は本当に、幸せ者だ。
「「「「おかえり、エリィちゃん! ………………と、団長!」」」」
温かく迎えて下さる、騎士団の皆さんがいる。
「エリィ! あんた、すごい身分のご令嬢だったんだねぇ! ん? 「隠してて済みません」って……? 謝るほどのことじゃないだろ、訳ありなのは、最初から分かってたし。あんたが今まで通りでいいって言うんなら、あたしらもこれまで通りにさせて貰うからさ。これからもよろしくね」
仕事仲間として扱ってくれる、雑役婦の皆さんがいる。
自分の得意を活かして貢献できる仕事を、今後は堂々と行うことができる。……大好きな人の、すぐそばで。
「……エリィ? なぜ泣いているんだ」
「幸せだからです」
気遣わしげに私を覗き込んできたギルに、私は心からの笑顔でそう答えた。
*
その日の夜は、宴会だった。「定期的な慰労会」という名目だったけれど、実際には、私の帰還を祝う会だったらしい。
「エリィちゃん、お帰り!」
「これからもよろしくな!」
「ほらほら、主役のあんたが雑用なんかしなさんな。主役席にどっかり座って飲み食いしてなよ」
……という具合で皆さんが私を気にかけてくれるし、ギルも当然のように私を主役扱いしてくれたから。
(……団長を差し置いて私がチヤホヤされるのって、良くないんじゃないかしら)
と思って副団長のカインさんにこっそり尋ねたのだけれど……
「辺境騎士団の総力をあげてエリィさんを徹底的に喜ばせよ、との団長命令ですのでお気遣いは無用です。……おっと、今のは機密事項ですので、どうかご内密に」
とのことだった。生真面目一徹のカインさんが言うのだから、事実なのだろう。
(……それならお言葉に甘えて、楽しませてもらおうかな)
社交場以外のパーティなんて、生まれて初めてだ。皆さんに囲まれて、気を張らずにたくさん笑いながら料理を楽しむ。皆さんが気さくに笑って、私にお酒を勧めてきた。
「エリィちゃん、酒は飲める口?」
「えぇ。たしなむ程度ですが、実はけっこう好きです」
王太子の婚約者という立場上、社交場でお酒を交える機会も多かった。社交場で表明することは決してなかったけれど、実はかなりお酒に興味があったりする……
「良かった! じゃあこれ飲んでみたら」
「この土地の特産品なんだ」
ハーブの香りが豊かな、とろりとした琥珀色のお酒だった。
「美味しそうですね」
「絶品だよ!」
「アブサントって酒なんだけど、この土地では祝いの席で必ず出るんだ」
「甘味付けしてあるから口当たりが良いよ」
へぇ……
私は興味津々で、お酒のグラスを見つめていた。
社交場でお酒を交わす機会は多かったし、「美味しいなぁ」とは思っていたけど、いつもほとんど飲まずに我慢していた。……酔っぱらって無様な姿を晒すことなんて、絶対に許されなかったから。
でも。今日の宴会なら、少しくらい酔っても皆さん笑って許してくれる気がする……
「……私、飲んでみたいです」
「お! どうぞどうぞ」
「でも気をつけな? かなり度数高いから、一気にあおったりすると……」
……注意を、最後まできちんと聞くべきだった。
うっかりゴクリと飲み込んでしまい、頭の中が白くなる。
ぐにゃっと世界が大きくゆがんで、あとはぜんぜんわからない…………
「え、エリィちゃん!?」
「大変だ! エリィちゃんがぶっ倒れたぞ!!」
たおれた? ……だれが………………?
*
宴会場の外に出て夜風に当たっていたギルベルトは、「エリィちゃんが倒れたー!」という叫びを聞いて血相を変えた。
宴会場に駆け込むと、エリィが床に倒れ込み、周囲が慌てふためいているのが見えた。
「どうしたエリィ!?」
エリィのもとに駆け寄ったギルベルトは、愕然とした。エリィの顔は真っ赤に染まり、全身の力が抜けきって、くてんとしている……完全に泥酔状態だ。
「おい、貴様ら! なぜこんなに酔うまでエリィに酒を飲ませた!?」
「す、すみません団長!! アブサントを勧めたんですが……まさかたった一口で倒れるなんて」
「アブサント? そんな強い酒を飲ませるんじゃない!」
怒鳴りつけても、もう遅い。自分がエリィから目を離していたのがいけなかったのか――と、ギルベルトは自分の判断ミスを悔いていた。
今までずっと独りぼっちで生きてきたエリィに「自分には仲間が沢山いるのだ」と実感してもらいたくて、「今日は騎士団総出でエリィをもてなしてくれ」と頼んだのは、ギルベルト自身だ。
団長であるギルベルトが見張っていたら、エリィが遠慮して騎士達と談笑できないだろう――と考えて、敢えて傍観者の立場でいようと決めていた。ついでに言うと、自分以外の男がエリィと親しく話している場面なんて見たくもないし、うっかり男どもを殴り倒してしまいそうだから外に出ていた……というのも本音だ。
「くそっ。お前たちが羽目を外しすぎる可能性を、きちんと考慮しておくべきだった!」
ギルベルトは、酔ったエリィを抱き上げた。とろんとした上目遣いで、エリィがこちらを見つめている。
「あぅ……リルベルトさま……?」
「完全に呂律が回っていないな。今すぐ部屋で休め」
「いえ……らいりょうぶれす……」
大丈夫です、と言いたいらしい。
エリィはそのまま、ギルベルトに身をゆだねてくぅくぅと寝息をたててしまった。
「しっかりしろ、エリィ! ……くそっ、お前たち、後で覚悟しておけよ」
魔獣もかくや、という鋭い目で騎士達を睨みつけると、ギルベルトはエリィを抱いて宴会場を出て行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます