【22】ふたりきりの夜空

隣に座って一緒に星を見ていると、ギルベルト様はそっと肩を抱き寄せてきた。いきなりのことだったし、ドーラさんの『団長はあんたに惚れてる』という言葉を思い出してドキドキしてしまった。


「……あ、あの。ギルベルト様?」

「夜に外に出るときは防寒しておけと言ったじゃないか。今日は俺が外套コート代わりだ」

「コート? あなたが……?」


なんだ、やっぱり惚れられてるわけじゃなくて、ただ優しいだけなのか……と拍子抜けしてしまった。筋肉質な人は熱の産生が多くて体温が高いと聞いたことがあるけれど、なるほど確かにギルベルト様に抱かれているとあったか――

「い、いえ、そういうことじゃなくて! 今すぐコートを取ってきます」

慌てて立ち上がろうとした私を、彼は引き留めた。


「このまま君と星を見たい。……居てくれないか?」

「…………はい」

罪な人だな、と思いながら、私は彼に身を寄せる。それから私たちの間には、いつもの沈黙が流れた。


「今日は、君に救われることばかりだった。俺のような卑しい者に、君はいつも手を差し伸べてくれる」

見上げると、彼はまっすぐ私を見ていた。優しいけれど、とても悲しそうな目で。


「あなたは卑しくありません」

私がきっぱりそう言うと、ギルベルト様は少し驚いた様子だった。

「ドーラさんから、サラヴェル村の人たちの話を聞きました。ギルベルト様たちが最善の働きをしたことは、間違いありません。あなたを悪く言う人がいるなら、私がその人を怒りに行きます」


エリィ、と小さくつぶやいたきり、ギルベルト様は目を伏せた。どうしたら、この人を元気にできるだろうか。


「あなたの金色の瞳は邪狼の色ではなく、灯り星の色です! ……あなたを悪く言う人たちの言葉と、あなたを信じる私の言葉。ギルベルト様は、どちらを信じますか?」

前に言われたのと同じセリフで、私は彼に問いかけた。私の言葉が意外だったらしく、彼はぽかんとしていたけれど。やがて大きな笑顔を浮かべた。

「悩むまでもない。俺が信じるのはエリィだ」


こんなに嬉しそうなギルベルト様を見るのは、初めてだった。


「俺が灯り星だというのなら、君は北極星だ。旅人が迷わないよう道を示す北極星のように、エリィはいつも俺を導いてくれる。幼いころから、君は変わらない」

「幼いころ……?」

私が戸惑っていると、彼は申し訳なさそうに首を振った。


「――失礼。幼いころは、別の話だった。君によく似た少女に救われたことがある」

「……私に似た人とは、いつどこで出会ったんですか?」

聞いてしまった。

ひとのプライベートに踏み込むなんて、失礼なことだと分かっていたけれど……ずっと胸に引っ掛かっていたから。


「13年前だ。宮廷の庭園で出会った」

「宮廷?」

「あのとき俺は、父親を殺しにいくところだった」

「…………!?」

いきなり恐ろしい話になり、私はびっくりしてしまった。


「俺は、貴族の父と異民族奴隷の母の間に生まれた子供なんだ。高い身分の父親が、奴隷の女を無理やり孕ませてできた子供が、俺だった。……俺の金の瞳は、母親から受け継いだものだ。髪の色は、父親から。おかげで邪狼のような外見になってしまったが」


自嘲気味に、彼はつぶやいた。


「ずっと父親を憎んでいた。世間から隠され、罪人のように狭い部屋で生かされる日々――そんなある日、事件が起こった。父の正妻に毒殺されかけてな。すっかり絶望した俺は、父を殺して自分も死のうと思った。だから俺は、夜の宮廷に忍び込んだ」


私なんかが聞いてもいい話なのだろうか? でも、ギルベルト様は穏やかな声音で話し続けている。


「庭園でその少女に出会ったのは、本当に偶然だった……5歳かそこらの幼い少女だ。彼女は転んで足を怪我したらしく、一人ぼっちで泣いていた。怖い目に遭って、パーティの途中で逃げ出してきたのだと言っていた」


無表情だったギルベルト様が、ふいに優しい笑みを浮かべた。


「俺は彼女の足を、手当てしてやった。……早く父親を殺さなければならないのに、なぜこの子を放っておけないんだろうかと自分でも不思議だったが。……彼女が嬉しそうに笑ってくれたから、俺も嬉しかった。復讐なんてバカらしくなって、彼女と一緒に星を見たんだ」


灯り星の物語も、そのとき聞いたんだ――と、懐かしそうに笑っている。


「彼女は俺の目を、灯り星のように温かくてきれいだと言った。誰からも疎まれていた俺に、親しくしてくれた。――あの日のことは、一生忘れない」


「その女の子とは……それからどうなったんですか?」


「星を見ていたのも束の間、俺たちはすぐ見つかって引き離された。彼女は高貴な家柄の令嬢だったし、二度と会えないのは明白だった。……俺は、そのあとしばらく投獄された」

「投獄……」

「よく処刑されなかったものだと、今でも不思議でたまらない。……異母兄が理解ある人だったから、いろいろ手を回して俺を守ってくれたらしい」


私の肩を抱くギルベルト様の手に、力がこもる。


「彼女に出会って、俺は変わった――彼女に誇れるような生き方を、しなければならないと思ったんだ。隔離された生活の中でも出来うる限り勉学に励み、自衛のためにと鍛錬を怠らなかった。……そんな俺を、兄はたいそう気に入ってな。兄が当主になったとき、俺は隔離を解かれた。以後は、兄と親交の深いユージーン・ザクセンフォード辺境伯閣下のもとで働き、今では辺境騎士団の団長の任を仰せつかっている」


長い話はこれで終わりだ――。と、ギルベルト様は静かに言った。




私は。

私は分からなかった。


どうしてこんなに切ないんだろう。

なんで『懐かしい』と感じてしまうんだろう。


ギルベルト様の思い出の人は、私じゃないのに。

私が初めて彼に会ったのは、ほんの数か月前のことなのに。


分からない。

分からないのに――


「……ギル」


唇が勝手に、彼を愛称で呼んでいた。ギルベルト様が驚いた顔をしている。

私は、慌てて自分の口を押さえた。

「ごめんなさい! なぜか、勝手に…………」

慌てふためく私を、彼は目を見開いたまま観察していた。

「すみませんでした、ギルベルト様!」

言い直すと、彼の美しい顔立ちに悲しそうな影が差した。


「――そのままが良い」

「……え?」

「出来れば、今後はそのままで。君にはギルと呼ばれたい」

彼は両手で私の頬を包み、慈しむように笑みを浮かべた。

「…………でも」

「俺をそう呼ぶのは嫌か?」


嫌なわけがない。


「でも、……私なんかが、本当に呼んでいいんですか?」

「呼ばれたいんだ」


呼びたい。呼んでしまいたい。


「ふたりきりの時だけなら……失礼になりませんよね?」

恥ずかしくて身体が震える。目線をうろうろ彷徨わせながら、私はかすれる声で囁いた。


――ギル。と。

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