【20】私にしか出来ないこと

――お願い、早く。早く来て。

祈るような気持ちで、私は増援が到着するのを待っていた。


私は今、クレハ市を囲む外門で辺境騎士団の騎士たちが来るのを待っている。市内に潜む魔獣の気配を察知したため、急きょ討伐作戦を決行することになったからだ。


「大丈夫だ、エリィ。彼らは日没前には必ず到着する」

ギルベルト様が私の肩に手を置いて、なだめるようにそう言った。

「戦う前から消耗してはいけない。君は、悠々と構えていろ」

「はい……」

……落ち着かなければ。私は自分に言い聞かせ深い呼吸をくり返した。


   *


ギルベルト様の言うとおり、騎士たちは空が淡い朱に染まり始めた頃に到着した。それぞれの馬から降りた15人の騎士たちが、ギルベルト様に敬礼している。

「団長。第一部隊15名、参上いたしました」


ザクセンフォード辺境騎士団は精鋭ぞろいだというのが世間一般の評価である。実際に、敏速に駆けつけた騎士たちを目の当たりにすると、彼らがいかに優れた軍人だかよく分かった。


……寄宿所でのんびりしているときとは完全に別人みたいだ。いつもカード賭博で盛り上がったり、お酒を飲み過ぎてグデグデになったりしてるところばかり見てたけど……これが皆さんの、お仕事中の顔なのだ。


騎士団長の装束を纏ったギルベルト様は、彼らに鋭い視線を返した。

「ご苦労。辺境教会の聖女・聖騎士隊は別件出動中にて、本作戦には参加しない。よって、今回の魔獣討伐作戦は我ら辺境騎士団のみで遂行することとなる。総員、気を引き締めよ」

「Yes,Sir!」

総員が即座に承知の意を示す。その後、第一部隊隊長のカインさんが尋ねた。


「団長。クレハ市内にて討伐作戦とのことですが、魔獣はどこにいるのでしょうか?」

「魔獣については、エリィが説明を行う」

「……エリィさんが?」

ギルベルト様が、後ろに控えていた私を指し示した。私は、覚悟を決めて前に進み出た。


「皆さん、私は魔獣の気配を感知することができます。ギルベルト様のご許可をいただき、本作戦に参加させていただくこととなりました」

騎士たちの表情に、わずかな動揺の色が浮かぶ。


「現段階ではまだ、市内で魔獣被害は出ていません……ですが、数日中に必ず被害が出ます。私は、魔獣の『幼生体』の気配を感じることができます。無血生物系魔獣……すなわち触手生物や昆虫に似た魔獣は孵化後に幼生体となり、大気中の魔力素を吸って生育するのが特徴です。そして成体まで育つと、人間を喰らい始めるのです」


私の説明を聞いて、騎士たちは狼狽していた。雑役婦であるはずの私が、いきなり魔獣について語り出したのだから当然だ。できるだけ素性を明かしたくなかったけれど……事態は急を要するのだから、仕方ない。


「魔力素の乱れから推測するに、成体になるまであと数日。なので、今すぐ討伐しなければなりません! 皆さんのお力をお貸しください」

説明を終えて私が下がると、ギルベルト様が騎士たちに言った。


「エリィはザクセンフォード辺境伯領の宝だ。エリィに関して本日知り得た全ての事柄を、他言無用とせよ」

「Yes,Sir!」

15人の騎士たちが、一糸乱れず敬礼をした。


   *


クレハ市街の民間人は、すでに全員退去させている。


人々は不満を露わにしていた――「魔獣の被害も出ていないのに、どうしていきなり追い出すんだ!?」「もうすぐ夜なのに、なぜ避難なんてしなきゃならないの!?」「辺境騎士団は横暴だ!」と、声高に怒る人も多かった。作戦や魔獣の詳細を知らせることはできなかったから、彼らが怒るのも無理はない。


半ば強制的に民間人を退去させ、からっぽの市街地に私たちは立っている。そろそろ日没――血のように赤かった夕暮れ空が、東から闇の色に染まり始めていた。


「エリィ。頼む」

「お任せください」

私は儀礼用ナイフを握って胸の前に掲げ、聖女の礼をした。


私以外の誰も魔獣の気配を感知できないのだから、魔獣の居場所を暴くのは私の仕事だ。聖痕が失われた今、私の感知能力にはかつてのような鋭さはない……でも、これまで築いた経験と感覚が、足りない部分を補ってくれる気がした。


神経を研ぎ澄まし、一歩。二歩。閉眼のまま歩き始める。


大気に薄く広がり、生体内部に凝縮されて、この世のありとあらゆる場には霊的な流動物質が満ちている。その流動物質を、魔力素と呼ぶ。


大気中の魔力素は不均一に分散している。空気のよどみや生物の動きに影響され、密度に粗密が生じうる。とりわけ密度の濃い場所を、私は探した。


――ここだ。


私はゆっくり立ち止まり、目を開けた。

場所は酒場の一階。私は、天井からつり下がったシャンデリアに目を留めた。煌々と照るシャンデリアの上。目で見ても何も見えないけれど――確かに、いる。


私は後ろを振り返り、ギルベルト様や騎士の方々に視線を送った。彼らがうなずきを返す。今から、魔獣討伐が始まるのだ。


私は儀礼用ナイフをシャンデリアに向けて投擲した。ナイフはシャンデリアに当たる寸前の空間で静止し、空中にぴたりと止まっている。ぐにゃり、と透明な空気が歪んだ――やはり、ここにいた。透明化していた幼生体が、シャンデリアに付着して生育していたのだ。


――来る!


ぐりゅり、ごきゅり。という咀嚼音のような不気味な音が漏れ出した直後、ぶしゃ、と弾けるようにしてシャンデリアから無数の触手が噴き出してきた。一直線に私を襲う数多あまたの触手を、ギルベルト様が切り伏せる。


半透明状の触手生物が、シャンデリアからずるりと落ちてきた。

「総員、蹂躙せよ」

ギルベルト様の静かな声を合図に、騎士が陣形を組んで魔獣に向かう。鮮やかな手並みで幾千本の触手を次々と断ち切っていった。ギルベルト様が一足跳びに跳躍し、触手生物の核に迫る――躊躇ない一撃。触手生物が、断末魔の悲鳴を上げる。


魔触手ローパーか……ザクセンフォード辺境伯領では珍しいな。大陸風に乗って飛来したか」

彼がそう呟いたときには、触手生物は既に息絶えていた。鮮やかすぎる手並みに、私は嘆息してしまう。


「お見事です! さすが辺境騎士団、お噂以上にお強いですね。中央教会の聖騎士隊の討伐に立ち会ったことはありますが、皆さんのほうが鮮やかでした」

「エリィが幼生体を見つけ出してくれたお陰だ。人間を襲う前で良かった」

剣に付着した紫色の体液をぬぐいながら、ギルベルト様は穏やかに答えた。騎士たちも余裕の表情だ。つい先程までキリリと引き締まっていた騎士たちの顔が、日常っぽく緩んでいた。


「……いやぁ! びっくりしたよ、エリィちゃんってすごい子だったんだなぁ」

「聖女みたいだったよ、エリィちゃん!」

「むしろ、ホンモノの聖女?」

「てゆーか、聖女よりよっぽど凄かったぜ!? おれ、エリィちゃんに惚れそう!」

騎士の皆さんが、私を取り囲んで勢いよく話し出す。……どう答えたらいいだろう、と私が悩み始めた瞬間、『がつん』、『ごつん』という暴力的な音とともに騎士たちが昏倒していった。


「貴様ら! エリィについては詮索無用・他言無用と言ったはずだが!?」

美しい顔立ちを怒りに歪ませ、ギルベルト様は騎士たちを殴り飛ばしていた。

「ぎ、ギルベルト様!? 暴力はいけませんっ」

あたふたしている私。不機嫌そうに口をつぐむギルベルト様。ぶたれた頭を抱えながら愉快そうに笑っている皆さん。

ひと段落ついて、ゆったりした空気が流れていたそのとき――



「きゃぁああああああ!」

という甲高い悲鳴が屋外で聞こえた。

私たち全員に衝撃が走る。ギルベルト様を筆頭に騎士たちが外に滑り出した。



「……魔触手ローパーがもう一匹!?」

幼体の魔触手が暴れ狂っている――絡め取られて悲鳴を上げているのは、民間人の女性だった。


(不覚だったわ……もう一匹の気配を見逃してしまうなんて! でも、どうして民間人がいるの!? 退去しているはずなのに!)

その場にいた民間人は、彼女だけではなかった。彼女の夫と思われる若い男性が、絶叫しながら魔触手に飛びかかろうとしている。男性の後ろには3歳くらいの幼い女の子がいて、腰を抜かして泣いていた。


騎士の一人が剣を構えて毒づいた。

「ちっ、お前ら、退去命令を無視したな?」


丸腰で魔触手に飛びかかろうとしていた民間人男性を、他の騎士が取り押さえる。

「下がっていろ! 民間人が魔獣を倒せると思っているのか!」

「う、うるさい、放せ!! お前ら辺境騎士団なんて、信頼できるもんか!! おれの嫁はおれが助けなきゃなら――」

男性が怒鳴り終わるより先に、魔触手の断末魔の悲鳴が響いた。


断末魔の悲鳴。


魔触手の体を貫通して、剣身が突き出していた。背後から貫く形で、誰かが魔触手の核を穿っていたのだ。

「……返す返す、魔触手が成体化する前で助かった。数日遅れていたらと思うと、ぞっとする」

「ギルベルト様!」

死んだ魔触手がぐにゃりと脱力した瞬間、魔触手の後ろに立つギルベルト様の姿が見えた。


女性を絡め取っていた触手も、筋力を失って地面に落ちる。解放された女性は、泣きながら夫と抱き合っていた。


私がホッと安心していたけれど、騎士団の皆は緊張を緩めなかった。ギルベルト様が、民間人の夫婦を見下ろして鋭い声音で問いかける。

「魔獣討伐のために民間人は漏れなく退去せよ、と通達したはずだが? なぜ命令に背いた? 自らの命を危険に晒すとは、愚かとしか思えんが」


ひぃっ、と女性が顔を引きつらせた。男性も青ざめていたが、虚勢を張った様子でギルベルト様に反論していた。

「うるさい! おれたちは辺境騎士団の命令なんかには従う気はないんだ……! お前らの横暴はよく知っているんだぞ……どうせ、また立ち退かせて略奪でもするつもりだったんだろう!」


略奪? ……この男性は、何を言っているんだろう。実際に魔獣から助けてもらったのに、なぜ略奪とかいう話になるんだろうか。


「それに、退去命令に従わなかったのは、おれたち家族だけじゃない! なぁ、そうだよな、皆!?」

男性が声を荒げると、少し戸惑いがちに、二十人くらいの老若男女がいくつかの家屋から出てきた。


「おれたちは皆、サラヴェル村からの移住者なんだ! ようやく辺境騎士団と無縁の穏やかな暮らしができて、心の傷も癒えてきたところだったのに……またお前ら騎士団に追い出されるなんて、絶対に我慢ならなかった!! だから命令に背いてやったんだよ!」


男性の怒鳴り声に吊られて、「そうだ」、「そうだ」と声が上がり始めた。

「お前たちがした悪行を、オレらは絶対に忘れないぞ!!」

「よくも、わたしの子を殺したわね!? あんたたちを呪ってやる!」

「偽善者ぶった騎士団の奴らになんて、絶対に従うもんか!!」


罵詈雑言の嵐。でも、ギルベルト様も騎士達も、怒った様子もなく彼らの怒号を聞いていた。……どうして怒らないんだろう? 私は震えながら、人々の声を聞いていた。


「そもそも、どうして魔狼騎士が騎士団長になっているんだ!?」

「貴様の横暴を、俺たちは許さんぞ!」

「魔狼騎士のギルベルト・レナウを騎士団長に据えるなんて、領主様はいったい何をお考えなんだ!」

「おぞましい貴様の姿なんぞ、二度と見たくない!」

人々の怒りが、やがてギルベルト様ひとりに向かった。ギルベルト様は表情もなく、静かに彼らの声を聞き続けている。


「騎士の皮をかぶった悪魔め! 死ね、消えろ!!」


――やめて。


「いい加減にしなさい!」

私は声を張り上げていた。


人々と騎士たちの視線が、一斉に私に注がれる。

「横暴なのは、あなたたちです。辺境騎士団の騎士たちは、この地に潜んでいた魔獣を2体も討伐したのですよ? あなたたちも実際に、見たはずでしょう!?」


ギルベルト様が、手振りで私を制止しようとしていた。でも、私は止まる気はない。

「略奪? 偽善者? 何を言ってるの!? あなたたちを守るための退去通達だったのに、それを無視したあげくに騎士団を非難するとは何事ですか!」


怒りの止め方が分からない。


「この街に誰ひとり被害が出なかったのは、騎士たちの対処が適切だったからです。未然に災厄を防いだことへの感謝もなしに、どうして無茶苦茶な態度を取れるのですか? 恥を知りなさい!」

騎士団を侮辱されたことが悔しくて、私はいつまでも怒鳴り続けようとしていた。そんな私の肩を引いて強引に止めたのは、ギルベルト様だった。


「もういい、エリィ。十分だ」

「でも……」

「いいんだ。彼らが逆上するのにも、相応の理由がある」

静かだけれど有無を言わせない声音で、彼は私にそう言った。だから私は、従うしかない。



胸の悪くなる沈黙。

……幸せな旅行からの、一転した息苦しさ。


そんな沈黙を断ち切ったのは、幼い子供の声だった。

「ありがとーござました」

その声は、すぐ足元で聞こえた。ハッとして足元を見ると、3歳くらいの女の子がギルベルト様を見上げて目をきらきらさせていた。


「おかあさんを、たすけてくれて、ありあとござます!」


どうやらこの女の子は、さっき魔獣に襲われていた女性の娘さんらしい。どこからか毟ってきたらしい雑草の花々を花束みたいに寄せ集めて、女の子はギルベルト様に『雑草の花束』を渡そうとしていた。


重苦しい沈黙の糸が、ぷつりと切れた。

ギルベルト様が複雑そうな笑顔を浮かべてひざまずき、その花束を受け取っている。

「……ありがとう」

「どいたましてー」

女の子がニカっと笑う。幼い笑顔に毒気を抜かれたのか、人々の空気が少し緩んだ。


「……魔獣討伐は完了した。死骸の撤去が済み次第、全域の退去通達を解く。それまでは全員、各戸にて待機するように。誰ひとりの例外も認めない。以後の違反者は、厳罰に処す」

静かだけれど有無を言わせない声音で、ギルベルト様が民間人たちに命じた。今度は誰も反論せず、黙ってそれぞれの家に戻っていった。


団長命令を受けた騎士たちが、すばやく死骸の撤去を始めている。

「日没までに完了させ、騎士団本部へ戻るぞ」

「「「承知いたしました、団長!!」」」

息のそろった騎士団員たちの仕事を、私はぼんやりと見つめていた――

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