【19】あなたと、ふたりだけの旅
「…………」
「………………」
私とギルベルト様の間に、気まずい沈黙が降りていた。私たちが沈黙に包まれるのはいつものことなのだけれど。……今日の沈黙は、ひどく気まずい。
ギルベルト様はものすごく深刻そうな真顔で口をつぐんでいて、いつもよりさらに感情が読みとれない。ふたりきりの、馬車の中。私たちの沈黙を埋めるように、ゴトゴトという馬車の轍の音だけが響いている。
「………………ギ、ギルベルト様。旅行なんて、私、初めてです……」
私は、勇気を出して呟いた。
「……俺もだ。相変わらず、ユージーン閣下の考えることはよく分からん」
隣に座っているギルベルト様が、気まずそうにうなずいている。彼の頬が少し赤いのは、空気が籠もって暑苦しいからなのかもしれない。
「はい……」
再び、沈黙。
ギルベルト様と私は、ユージーン・ザクセンフォード辺境伯閣下のご命令によって、日帰り旅行をしている真っ最中だ。……世間一般では、
事の発端は昨日の夜にユージーン閣下が、寄宿所にぶらりと現れたことだった。
『よぉ。お前ら、おつかれ~! エリィちゃんの
と、閣下はとてもご機嫌だった。そしてギルベルト様と私に言ったのだ。
『ということで。ギルベルト団長並びに雑役婦エリィには、報酬として明日1日の有給休暇を与える! 両名揃って、古都クレハ周辺にて慰安旅行をしてくること! ……あ、エリィちゃん知ってる? クレハって、うちの領土で一番人気の観光スポットね。今はシーズンオフだけど、夏は貴族の新婚旅行でも人気になるよ?』
何を言ってるか、よく分からなかったけれど。要するに「ご褒美にお休みをあげるから、2人で逢引きしておいで」ということらしい……ドーラさん達が、後でこっそり通訳してくれた。
……逢引き!? 逢引きというのは、想い合っている男女がするもののはずだけれど……
私は、隣のギルベルト様をちらりと見上げた。偶然にも目線がばっちり重なってしまい、弾かれたように目をそらす。
(ギルベルト様に申し訳ないわ。辺境伯閣下のご命令とはいえ、私みたいに無口な人間がお供じゃ、退屈よね……)
ギルベルト様は美しい顔をものすごく強ばらせて、窓の外を凝視していた。……やっぱり退屈なのかもしれない。強ばった顔も綺麗だな、とついつい見とれていた自分に気がついて、私はますます恥ずかしくなってしまった……
* * *
馬車で2時間ほど。クレハの街はなだらかな丘陵に囲まれた、緑豊かな古都市だった。
「エリィ。……手を」
先に馬車を降りたギルベルト様が、私に手を差し伸べてくれた。彼の手に自分の掌を重ねて、私も石畳に降り立つ。
私は改めて、ギルベルト様の立ち姿を見た。私服姿もやっぱりすてきだ。ジャケットの布地の刺繍は最小限だし、貴族男性が好む宝石類もまったく身につけていないけれど、むしろ清潔感がある。彼には、身を飾りたてる宝飾品なんて要らない――うなじで結んだ銀糸のような髪とトパーズに似た金の瞳は、どんな宝飾品よりも美しいから。シンプルな私服はこの人をさりげなく引き立てて、本当によく似合っ……
「よく似合っている」
「……え?」
思いがけず自分が思っていた言葉が彼の口から出てきたので、私はぽかんとしてしまった。
「何がですか?」
「エリィがだ。出掛け用のドレスが、君をよく引き立てている。……清潔感があって、似合っている」
思いがけず。再び、思っていたのと同じ言葉を言われてしまったからおかしかった。私が小さく笑うと、彼は怪訝そうにしていた。
「……俺は妙なことを言ったか?」
「いいえ?」
人生初の旅行が……この人と一緒で、良かった。
「……ギルベルト様。旅行って何をしたらいいんですか?」
「俺もよく分からん。が、部下達の言うところによると、その地の美味いものを食べたり景色を眺めたりして楽しむものらしい。……だが、せっかくの娯楽なのに、俺が供では退屈だろう?」
わずかに申し訳なさそうな顔をしている彼を見上げて、私は首を傾げた。
「俺は人生に娯楽を求めたことがほとんどない。悪いが、君を楽しませることは出来ないと思う」
「……もう、とっくに楽しんでいます」
なんだ……申し訳ないと思ってたのは、私だけじゃなかったんだ。ギルベルト様が退屈してる訳じゃないんだと分かって、とても安心した。
「私、とても楽しいです」
私の頬が、自然と緩んだ。笑い方も泣き方も分からなかった数か月前が、嘘みたいだ。
ギルベルト様も、頬をゆるめた。
「……そうか。俺も良い気分だ。……出来る限りエリィの希望を叶えたいんだが、何をしたい?」
「おいしいものを食べたいです。昨日急いで予習してきたんですけれど、この街の名産はリムーザンというお肉料理だそうで……」
私はユージーン閣下に感謝しながら、生まれて初めての旅行を楽しむことにした。
*
おいしいものを一緒に食べて。
石畳をのんびり歩いて。
遠くの山並みを一緒に見つめる。
そんな時間が、あっという間に過ぎていく。
――ふと。違和感がした。
「ギルベルト様、」
彼の袖を、そっと引いた。
「どうした?」
「………………何か嫌な気配を感じます」
穏やかだったギルベルト様の表情に、静かな緊迫が走る。
「……俺には何も感じないが?」
「旧市街の路地裏のほうで、微かに魔力素の乱れを感じます。うまく言語化できませんが……うなじの灼けつくような。無血生物系の魔獣の幼生体が大気中の魔力素を吸って成長しているときの気配です」
ギルベルト様は、精神を統一するように目を閉じた。でも、やはり何も感じられないようだった。
「古都市クレハ周辺では、ここ数年魔獣の出没報告は上がっていない。このあたり一帯を所轄とする聖女・聖騎士の情報でも、クレハには瘴気の発生は無いと聞いている」
ギルベルト様の返事を聞いて、私は口をつぐんだ。辺境騎士団と辺境教会が「問題なし」というのなら、私が口を挟むような真似は、慎まなければ――
「魔獣討伐には人員が必要だ、今すぐ早馬を出して辺境騎士団の第一部隊を招集する。辺境教会の聖女・聖騎士隊の支援も要請しよう」
「……私の話を信じて下さるんですか?」
「当然だ」
と、ギルベルト様はうなずいていた。
「君の能力はよく理解している。俺の及ばない部分を支えてくれて、とても助かる。せっかくの休暇に恐縮だが、もう少し力を借りても良いだろうか?」
胸の奥が、熱くなってしまった。
「ありがとうございます! 私もぜひ、お役に立ちたいです」
『役立たず呼ばわりされないため』ではなく、私は心の底から全力を尽くしたいと願っていた。
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