【15】真夜中の来客

「ここだけの話……エリーゼ嬢の妹って、すげぇ無能な大聖女らしいよ」

生あくびを噛み殺しながら気怠げにつぶやくユージーン・ザクセンフォード辺境伯閣下の言葉を、俺は黙って聞いていた。


「神託のクオリティが、恐ろしく低いんだってさ。198人しかいない聖女をハチャメチャに派遣してるから、貴族どもは裏で青ざめてるよ。大聖女の神託は絶対命令だから、文句言う訳にも行かないから――ってさ。うちの領は相変わらず2人しか派遣されてないから、良くも悪くも現状維持だけど」


「――さようでございますか」

事務的にそう返事をすると、ユージーン閣下はいつものようにニヤリと笑った。


「お前いま大聖女ララのこと考えて、イラっとしただろ?」

「俺には関わりのないことです」

「へいへい。じゃ、本題入るか」

言いながら、閣下は騎士団が提出した魔獣の討伐報告書の束をめくっていた。


「……増えたよなぁ、魔獣。とくに魔狼がやたらと多い」

「メライ大森林の近傍の村々では、魔狼によって百人単位の負傷者が出ております。幸い、巡礼中の聖職者らの協力を得て、死者を出さずに済みましたが……」


「うーん、やっぱりメライ大森林から溢れ出てきたんだろうなぁ。普通は森の最奥に群棲してるって話だけど、最近はやたら人里に出るケースが多いな……。魔獣の生態系みたいなのが、おかしくなってんのかね。いっそメライ大森林を全部切り拓いちまいたいが……」


大森林を切り開くなど、実際にはできることではない。できないと分かりつつ、閣下はぼやいていた。森は魔力の根源だ――森を拓いてしまえば、魔術師たちの魔力は弱まり、聖女や聖騎士の力も低減するだろう。メライ大森林のような始原林なら、なおのことだ。


「仕方ねぇけど、ひとまずは、メライ大森林の周辺を警護する騎士を増やしてくれ」

「かしこまりました。北の湖水地帯にも別の魔獣が多く沸いております、騎士を増員致したく存じますが?」

「任せる。国境の守備も固めとけよ」

「心得ております」


辺境騎士団の仕事は、魔獣対策だけではない。治安の維持や国境付近の異民族への牽制、貧民救護など、さまざまな業務を限られた人員で行わなければならない。


「人手不足って、イヤだねぇ。流れ者の傭兵とか、いっぱい雇って増員しちゃおうかな」

「兵力が増えるのは助かりますが、質の低下は避けなければなりません」

「だよなー」

ユージーン閣下はへらへらと笑っていた。


「うちの領地は現状、騎士のレベルはかなり高いもんな。どっちかって言うと、問題は聖女不足だよ。土地がだだっ広いくせに、聖女が全然足りてないから深刻だ。……だから魔物が湧くといつも後手に回っちまうし、騎士団の負担も減らせない。困ったもんだ」

「同感です」


などという会話をユージーン閣下としてきた、その日。



騎士団本部に戻ってみると、掃除中のエリィに非番の騎士たちが群がっていた。彼女はバケツの水をひっくり返してしまったらしく、騎士たちは鼻の下を伸ばしてエリィを手助けしていた。


「床拭きなんて、おれに任せとけ!」

「ずるいぞお前、俺が拭く!」

「モップは、こうやって握ると良いんだぜ? ちょっと手を貸してごらん?」

「エリィさん、タオルをどうぞ。お召し物が濡れていますよ」

「着替えあるか、エリィちゃん? 貰ってこようか!?」


――何が着替えだ、貴様。……モップの持ち方を教えるために、手を握るだと!?


「本当に、申し訳ありません」

けなげに謝るエリィが、痛々しい。庇護欲を掻き立てられた様子で、騎士どもは息を吞んでいる。


「気にすんな、エリィちゃん」

「謝罪じゃなくて、君の「ありがとう」が聞きたいな!」

「そうそう。できれば君のかわいい笑顔付きで………………」


俺は腕を組んだ。うっかり両手を自由にすると、衝動のままに全員殴り倒してしまいそうだからだ。


「「「ひっ!」」」

ようやく俺がいると気づいた騎士どもは、青ざめて退散していった。

まったく、油断も隙もない、こんな狼みたいな奴らがうろついている場所で、どうしてエリィを働かせなければならないんだ!?


「ギルベルト様……!」

困惑しているエリィに、俺は尋ねた。

「ここでの暮らしはつらくないか? 辞めたくなったら、すぐに言ってくれ。無理に働く必要はない、辞めていいんだ」


不慣れな暮らしに苦労しているのではないかと思って、真心で言ったつもりだったが。俺はかえって、エリィを困らせてしまったらしい。


「お願いします、私を辞めさせないでください! 必ずあなたにお喜びいただけるように、役立ってみせます」


   ***


その夜。俺は寄宿所の自室のベッドに寝転がり、エリィのことを考えていた。メライ大森林で出会ったとき、彼女は俺に訴えてきた。


『私を、あなたのところに連れて行ってくれませんか? 必ず、あなたのお役に立ちます。絶対にあなたを困らせません。だから、お願いします……どうか私を助けてください!』


役立つ。役に立ちたい。


エリィはいつも、口癖のように「人の役に立ちたい」と言う。だが、俺はそんなエリィを見ていると、胸がざわつくのだ。まるで、のだと、思い込んでいるようにも感じる。


「……エリィ」


なににも怯えず、笑っていてほしい。

のんびりと、幸せに生きてほしい。

とびきりの笑顔が見たい……初めて出会った、子供の頃のエリィのように。


喉がつかえて居心地が悪くなり、俺は寝返りを打った。エリィのことを思うと、動悸がする。


「……俺が囲っておくことは、君の幸せにはならないようだ」


外界から遮断された二人きりの世界で、彼女を守って密やかに暮らす。そんな願望が全くないと言えば、嘘になる。……だが、そんな生き方ではきっとエリィは幸せになれない。


不安や怯えのないのびやかな心で、人の輪の中で貢献しながら生きていく……それが、エリィにとっての幸せな生き方なのだと思う。だとすれば、俺が為すべきことは――



こん、こん、という控えめなノックの音がして、俺は目を開けた。

――こんな真夜中に、誰だ?



「……ギルベルト様。起きていらっしゃいますか?」

「エリィ!?」

エリィの声を聞いて、俺は耳を疑った。こんな夜中に、なぜ俺の部屋に来るんだ。


「夜分にすみません。大切なお話があって。……日中では、他の方の目があるかと思って」

「……分かった。待ってくれ」


寝乱れた襟を整えてから、俺は燭台を持って扉に向かった。扉を開けて真っ先に目に入ったのは、エリィのたおやかな美貌――ではなく、顔より高く積み重ねられた書類の束だった。


「エリィ!? なんだその書類の山は」

「……思いつくまま書き綴っていったら、すごい枚数になってしまいました」


書類の束が重いらしく、エリィは足をよろつかせていた。バランスが崩れて書類が舞い散りそうになったので、俺はとっさにエリィを支えた。紙束の奥にあった、エリィの顔がようやく見えた。彼女はとても嬉しそうに、目を輝かせて俺を見上げている。その愛らしさに、俺の心臓が早鐘を打つ……


「……それで、大切な話とは?」

「こちらの書類に書き込んだ内容なのですが、できれば口頭で説明を加えたいです。いま、お時間いただいても大丈夫ですか?」

と、エリィは俺に問いかけてきた。俺の部屋で話をしたい、と言う意味らしい。


「……………………」

真夜中に男の部屋に押し掛ける意味が、分かっているのだろうか? ……いや、絶対に分かっていないな。思いついたアイデアを今すぐ伝えたくて仕方ない! とでも言わんばかりに、エリィはとても興奮している。


むげに断れば、エリィが傷つくに違いない。


……俺が済む話だ。自分を律するように短い息を吐き出してから、俺は大きく扉を開いた。


「入るか?」

「ありがとうございます」


嬉しそうに頬を染め、エリィは俺の部屋に入ってきた。

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