【14】あなたの役に立ちたい

「きゃぁ!」


騎士団本部のお掃除をしている途中、わたしはモップをバケツに引っかけてしまった。バケツのなかの水が盛大にひっくり返り、床がびしょびしょになってしまった……

「す、すみませ……」


近くにいた騎士たちが一斉に駆け寄って、温かい声をかけてくれる。

「いいよ、いいよエリィちゃん。床拭きなんて、おれに任せとけ!」

「ずるいぞお前、俺が拭く!」

「モップは、こうやって握ると良いんだぜ? ちょっと手を貸してごらん?」

「エリィさん、タオルをどうぞ。お召し物が濡れていますよ」

「着替えあるか、エリィちゃん? 貰ってこようか!?」


「あ、あの……どうかお気遣いなく……」

忙しい騎士の皆さんに、床掃除ごときでご迷惑をかけてはいけない。ましてや、これは私のミスなので……


「本当に大丈夫です。どうか捨て置いてください」

「「「「「「捨て置けるわけがない!!」」」」」」


なんて優しい方々なんだろう……。私が雑役婦として働き始めて、早2週間。失敗した回数は星の数。再現不能な炭料理を作ってしまったり、洗濯物を生乾きのカビだらけにしてしまったり……思い出すだけでも胃が痛くなるような、羞恥の連続だった。


それにもかかわらず、騎士や雑役婦の皆さんたちも生暖かく応援し続けてくれる。雑役婦のリーダーを務めるドーラさんも、今朝「壊滅的なミスはしなくなったし、成長が早いと思うよ!」と褒めてくれた。


「……本当に、申し訳ありません」

ギルベルト様のコネで雇っていただいているけれど。……コネがなければ一瞬で解雇されるに違いない。


「気にすんな、エリィちゃん」

「謝罪じゃなくて、君の「ありがとう」が聞きたいな!」

「そうそう。できれば君のかわいい笑顔付きで………………」

鼻息荒くそう言ってくださっていた騎士の方々は、なぜか突然凍り付いた。


「「「…………で、では。エリィさん。我々は失礼致します」」」

そそくさサササと蜘蛛の子を散らすように去っていく彼らを、私はぽかんとしながら見送っていたのだけれど……


「ふむ……リックとマーヴェとユゴとカインとビルか。あいつら全員、懲罰房行きだな」

という低い声が背後で響き、私は思わず振り返った。


「ギルベルト様……!」

腕を組み、不機嫌きわまりない態度でギルベルト様が騎士たちの背中を睨みつけていた。


「ち、懲罰房!? いけません、ギルベルト様。あの方々は、私に良くしてくださっただけです! 罰を与えるのなら、この私に、」

「……冗談だ」

気まずそうな顔をして、ギルベルト様はため息をついていた。


「冗談……? そ、そうでしたか」

いつも真顔か少し怖い顔の二択みたいなギルベルト様でも、冗談を言うことがあるのね……。と、私は少し驚いていた。


「――ここでの暮らしはつらくないか?」

いきなりそう尋ねられ、ギルベルト様の意図が分からなかった。


「辞めたくなったら、すぐに言うんだ。無理に働く必要はない、いつでも辞めていい」

「辞める……?」


やっぱりギルベルト様は、役立たずな私を解雇したいのだろうか。辞めたくない……だって、辞めたらザクセンフォード辺境伯領で暮らす口実がなくなってしまう。寄宿舎の一室を借りて寝泊まりしている生活だから、解雇されたら暮らす場所がない。


血の気が引いて、指先が冷たくなってきた。

「エリィ?」

気遣わしげに覗き込んでくるギルベルト様に、どう答えたらいいか分からない……


「ちょっと団長ったら! 勝手にエリィを辞めさせないでくださいよっ!? あたしら雑役婦の、貴重な人員なんですからね」

という中年女性の声が、投じられた。

鼻息荒く私たちの間に割り込んできたドーラさんが、がっしりと私の肩に腕を掛けた。


「……ドーラさん!?」

「団長ったら、女心が分からないんだから、もう!」

不敬きわまりない態度で、ドーラさんはギルベルト様に正面切って文句を言っていた。


「この子だってどんどん成長してるし、なにより本人がやる気なんだから! 勝手に処遇を決めたらダメですよ? ……まぁ、可愛い子を他の男の目に晒したくないって気持ちも、よーーーく分かりますけどねぇ?」

そう言われた瞬間、ギルベルト様は顔を火のように赤くしていた。


「っ……おい! ドーラ!!」

「分かりますよぉ、団長。長い付き合いなんだから」

あはははは、と豪快に笑い飛ばしながら、ドーラさんはギルベルト様の背中を何度か叩いていた。「こら」と睨まれてもたじろがず、堂々と歩き去っていく。


「まったく――」

「あの。ギルベルト様……!」

舌打ちしているギルベルト様に、私は勇気を出して言った。……ドーラさんが不敬罪を覚悟で助け船を出してくれたのだから、私だってきちんと言わなければならない。


「お願いします、私を辞めさせないでください! 必ずあなたにお喜びいただけるように、役立ってみせます」

「……役に立つ、か」

ギルベルト様は、なぜか悲しそうに眉を寄せた。


「他人の役に立つことばかりに、固執する必要はないぞ」

「……え?」


「いや……何でもない。君のやる気はよく分かった。居てくれるのなら勿論、働いてくれて構わない。人員は貴重だ」

私の頭にぽん、と触れてからギルベルト様は去っていった。


「……ありがとうございます!」

私は深い礼をして、彼の背中を見送った。


   ***


その夜。

私は自分の個室でベッドに横たわり、ずっと考え事をしていた。


「……私は、どうしたらお役に立てるのかしら」


料理も掃除も洗濯も、たぶん少しずつは成長してきている。芋の皮は剥けるようになったし、モップの使い方も分かってきた。ひとつ失敗するたびに、自分なりに学習できていると思う


……でも、ギルベルト様はあまり喜んでくれていない気がする。


どちらかというと、心配されていると思う。迷惑ではなく、心配……きっとギルベルト様は、本当に優しい方なんだろう。世間から『魔狼騎士』とか『残虐』とか悪口を言われているのが信じられないくらい、ギルベルト様は物静かで優しい男性だ。


それに、ザクセンフォード辺境騎士団は粗野で暴力的な集団だと聞いていたけれど……実際に働いてみると、全然違う。雑役婦の皆さんがのびのび働いているのも、きっと騎士団全体の雰囲気が明るいからだ。


「ギルベルト様も、みなさんも、本当にいい人たちだもの。私もきちんと恩返しがしたいわ」

胸が苦しくて、ごろんと寝返りを打った。


もっと根本的な。騎士団全体の、ひいてはザクセンフォード辺境伯領全土の役に立てるような働きはできないだろうか? ……だって私はこれまで、国全体を導くための鍛錬を11年も続けていたんだから。


大聖女にはなれなかったけれど。これまでの経験を活かしてできることはないだろうか?


「――――――――――――!」


ふと。ひらめいて、飛び起きた。


「できるわ! 今すぐお役に立てること、ちゃんとある!」


興奮で胸が高鳴っていく。いますぐ始めたくて、我慢できなくなっていた!

文机から紙とペンとインクを取り出し、私はさっそく作業を始めた。

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