【16】怯えなくていい

「エリィ……これは、何の書類なんだ?」


デスクの上に、冗談のようにうず高い書類の山が積み重ねられている。俺と並んで椅子に腰かけたエリィは、説明を始めた。


「ザクセンフォード辺境伯領内で発生しうる魔獣被害の予測と、最適な聖女・聖騎士の人員配置を検討してみました」

「…………?」


なにを言っているんだ? と、思わず首をかしげてしまった。 エリィは目を輝かせながら、一枚目の書類を俺に手渡してきた。

「まずは、こちらをご覧ください。領地の概略図ですが、間違いはありませんか?」


「概略図? とても正確な地図だが……この地図はエリィの手書きなのか? ザクセンフォード辺境伯領に、ずいぶん詳しいじゃないか」

湖畔面積や山岳の配置まで、正確な比率で書き込まれている。


「ギルベルト様のお屋敷の書庫で、地図も読ませてもらっていたので。だいたい記憶していました」

「……暗記したのか? すごい技能だな」

俺はすでに驚いていたが、エリィは得意がる様子もなく次の書類を差し出してきた。


「2枚目以降の書類ですが……概略図を前提として、地理・魔力素流動の特性を考慮し、発生しやすい魔獣をリストアップしてみました」


「!? 魔獣の出現予測……そんなことができるのか? 教会の高位聖職者でさえ、魔獣の行動は読み切れないと言われているぞ?」


俺がそう言うと、エリィは申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみませんが、私の予測も完ぺきとは言えません。だいたい7割くらいの正確さだと考えてください」


7割? ……十分すぎるほどの精度だ。俺が唖然としていると、エリィは残念そうに声を落とした。


「聖痕が失われる前までは、もっと正確に魔力素の流れを感知できたのですけれど。……情けないことに、今はぼんやりとしか分かりません。あまりお役に立てず、恥ずかしいです」


「ちょっと待て、どこが恥ずかしいんだ。つまり……エリィは魔力素の流れとやらを感じ取って、地理情報と照らし合わせながら魔獣の出現予測を立てたのか!?」


「はい。実は、アルヴィン殿下に婚約破棄されるまでは、中央教会にびたって毎日のように魔獣の発生予測をしていたんです。……王都と、司教座のある大都市の予測が中心でしたが」


エリィは、言いにくそうな顔でつぶやいた。


「本当は辺境や貧困地帯の予測も行いたかったんです。でも、情報不足でほとんどムリでした。それに私はあくまで大聖女『内定者』だったので、情報の信ぴょう性を担保できない状態だったんです。正式な大聖女になれていたら、国内全土の魔獣対策をすることができたのですが……」


力及ばず、申し訳ありません。と、エリィは頭を下げていた。


エリィの説明は、その後も1時間以上続いた。

領内に派遣されている聖女2名・聖騎士15名の魔力特性や身体能力を考慮して、もっとも効率よく配備する方法。

出現する可能性の高い魔獣の種類と予測出現数・発生時期――討伐時に有効となる作戦など。


エリィの見識の深さは、俺の知識と経験をはるかに超えている。エリィがザクセンフォード辺境伯領内――いや、国内の魔獣学者の誰よりも、優れているのは間違いない。



少し緊張しながら頬を染めて説明し続けるエリィを、俺はただただ見つめるばかりだった。


「…………以上です、ギルベルト様。参考になる部分は、ありましたでしょうか?」


彼女が不安そうな目で、俺を見上げている。これほど素晴らしい力を持っているのだから、もっと堂々とすればよいものを。エリィはどこまでも気弱そうだった。


「……あの。ギルベルト様…………?」

「すばらしいよ」


俺がつぶやくと、エリィはパッと顔を輝かせた。今まで見た中で、一番幸せそうな表情だ。


「本当にすばらしい。君がくれた情報をもとに、辺境教会と連携して魔獣対策を始めたいと思う。魔獣に襲われて命を落とす領民の数も、大幅に減らせるはずだ」


エリィには、本当に驚かされる。持って生まれた才能ばかりでなく、凄まじい努力と忍耐力の末に磨き上げた技能なのだろう。俺はまぶしいものを見るような想いで、じっとエリィを見つめていた。


「……明日ユージーン閣下にこの書類をお見せしたいのだが、問題ないか?」


「もちろんです! 明日の朝まで待っていただければ、もっと詳しいものもご用意できます!! さっそく続きを書いてきますね!」

そういうと、興奮した様子でエリィは部屋から飛び出そうとした。

――俺はとっさに、エリィの手首を取った。


「待てエリィ。……今から続きを書くのか?」

こんな夜更けに。しかし、エリィは当然のように頷いていた。


「はい。手元を照らせば問題なく書けますので」

「違う。そう言うことじゃない。……きちんと休めと言っているんだ」

「休む? 次のお休みの日に、きちんと寝かせてもらうので大丈夫ですよ、ギルベルト様」


私、とても嬉しいんです! と、エリィは眠気を一切感じていない様子で声を弾ませている。


「ようやくお役に立てることが見つかって、とても安心しました。だから、止めたくないんです。今日は寝れそうもありませんから、筆が続く限り追加の記載を――」

「駄目だ」


俺は彼女の言葉を遮っていた。鋭い声音になってしまったようで、エリィがびくりと身をこわばらせている。


「……ギルベルト様?」

「もういい。十分だ。それ以上、身を削るな」

よく分からないようで、エリィは不安そうにしていた。


言ってしまおう。たとえ彼女を傷つけることになったとしても、ここで言うのが一番だ。


「エリィを見ていると、俺はたまに不安になる。誰かの役に立とうとしている君は、とても美しい……しかし、役立つことに固執しているようにも見える」


静かな声で、そう告げた。エリィは目を見開いたまま、氷のように身をこわばらせている。そんなエリィを少しでも安心させたくて、俺は彼女の両肩に手を置いて覗き込んだ。


「俺には、エリィがいつも怯えているように見える。……もしかして君は、「役に立てなければ生きる資格がない」とでも、思っているんじゃないか?」


エリィは凍り付いていた。

感情が失せたようにその場に立ち尽くしている。やがて、つぅ――と静かな涙を目からあふれさせた。

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