第11話 恋をしていた時間はもうない

「結婚したんですか、先輩」

「偽装ですよ。世間体のために、夫というトロフィーが必要だったんです」

「それを許してくれるとか、旦那さんは頭おかしい人なんです? あ、ホモ?」

「どちらかと言えば、前者ですね。頭は正常寄りですけど」

 身体の一部が壊れているだけだ。それを治そうとしない辺り、完璧な正常ではないにせよ。

 後輩は高校と大学が同じで、恋人だったのは高校の一年間だけだ。別れたのは、彼女の方から不毛だから、と言ってきたからで、私はそれを否定できるだけの知性を当時、持っていなかった。

 今となれば、引き留めることができるかもしれないが、私はもうこの後輩をそんな目で見られないし、彼女の方もそうだろう。私たちは友達か、あるいは先輩後輩でしかない。

 後輩は学生の頃より垢抜けた印象だった。サブカル系とでもいう服装をしていて、髪の色も三色と派手だ。それでいてメイクはナチュラル目だから、どこかアンバランスさがある。それがかわいいと言う男はいるかもしれない。

 彼女が今でも女を愛する嗜好かどうか、私にはわからない。大学時代には彼氏はいなかったが、今いないとは限らない。

「変な人なんですね。お似合いですよ」

「元カノから言われると、複雑ですね」

「一応、純度百パーセントの善意ですけど」

「一応はいらないでしょう」

 私が言うと、後輩はくしし、と笑った――昔はそんな笑い方はしなかったが、趣味が変わったのかもしれない。

「私は、あれです」

 今度はいくらかはにかんで、後輩が続ける。そんな顔に見覚えはあったが、私の知るそれよりは大人びていた――事実、大人になっているのだが、なぜだかそれを認められない私がいた。

「今、彼氏と同棲してますね」

「あぁ、道理で」

「わかりました?」

「なんとなく――いい彼氏には思えませんけどね」

「ですね。まぁ面倒な相手ですけど、楽な相手といても面白くないですよ。面倒なやつをどう篭絡していくか――恋愛ってそういうゲームじゃないですか。私馬鹿なんで、それに気づくのに時間がかかりましたけど」

 後輩は笑って言う。

「先輩は楽でしたからね、良くも悪くも。ああいう恋愛って、楽しくはなかったって今は思いますよ――当時は面白かったんですけどね」

「けなされてますか?」

「怒ってもいいですよ。それか、元カノに非難されたって、旦那さんに言ってもいいです」

「相手にしてくれませんよ」

 もししても、先生は自分にメリットがないという答えを出すだけだろう。ついでに言えば、私にもそれがない――過去の恋愛の話なんてものは、大体はそんなものにしかない。

 後輩を見る。

 幸せそうだ。私の前でこんな表情をしていただろうか――学生の恋愛なんてものは、今思えば物足りないもので、なるほど、彼女の言うように思い返せば面白くないものでしかないかもしれない。肉体関係の有無とかではなく、もっと単純に、純粋であるがゆえに良くも悪くも相手のことを見ていなかった。

 社会人になっても、私はそんな恋愛しかしていない、とも言える。相手の心には残りたいが、相手を自分の心に残すのは嫌だとなれば、それが精一杯になってしまう。

 後輩は、そんな所はもうとっくに通り過ぎている。今の恋愛が健全かと言えば、それも断言できないが――恋愛をゲームとして見ているなら、それは不健全かもしれない――、私よりはまっとうな恋愛をしているかもしれない。

 他人、と言うには近い。

 友達、と言うには遠い。

 元カノ、と言えばそれもまた違う。

 後輩との関係を表す言葉を、私は持っていない――それこそ、そんなものは先生が見つけて、作品にすればいいものだ。

 が。

 どこか寂しさを覚える私が、確かにいる。

「でも、あれですね」

 後輩が言う。

「先輩の顔見てると、旦那さん、いい人かもって思いますね」

 いくらか意外な発言に、私は視線で続きを促して、後輩はそれに気づいた――妙な親しみが残っているものだと、少し、呆れる。

「昔より、なんていうか、希望のある顔してますもん。あと、嫉妬してますね」

「……嫉妬?」

 希望も気にはなったが。

 それだけは解せなかった。

「先輩、大好きなおもちゃを取られた子供みたいな顔してましたよ、会った時とか特に。私、学生の時に保育園でバイトしてたんで、そういうの、結構わかるんですよ」

「失礼な。先生――旦那をおもちゃ扱いですか?」

「こりゃ失礼しました。でも、大切な人と大切なおもちゃに、そんな差がありますかね? どっちも大切で、同じような価値があるなら同質のものだって言ってもいいと思いますよ」

 それは理解しかねたが――何より。

「そもそも、嫉妬とかないですよ。私たちは偽装結婚ですし、私、先生に愛情を感じたことなんてありませんから」

「愛情がないと、嫉妬ってしないものですか?」

「……違いますか?」

「私は、違うかなって。嫉妬って色んな形が生まれるものです――人の感情って、なんだってそうだと思いますけどね。平面的に見た方が論じやすいですけど、人の感情、つまり心っていうのは多面的で掴みづらいものじゃないですか」

「……大人になりましたね」

「彼氏がそーいうことばっかり言ってますから、影響されましたかね」

「いい人かもしれませんね」

「どうですかね――あぁ、セックスは先輩の方が上手ですよ」

「……それ、気付かせてはいけませんよ」

「当然です。墓場まで持っていきます」

 墓場まで行くつもりなら。

 私の居場所はもう、彼女の中にはないのだと、そんなことに思い至った。

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百合の私と立たない先生 @aoihori

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