異常事態
翌朝。千尋は何時もの仕事である、パンドラの観察へと向かった。
ほんの数年前まで、パンドラは様々な場所を歩き回っていた。しかしここ三年間はこの地域、つまり東京の外には出ていない。
パンドラにとって余程居心地が良いのか、はたまた何か『悪巧み』をしているのか。パンドラが答えてくれぬ以上、人間が自力で突き止めなければならない。
そうした日頃の調査も千尋の仕事である。毎日毎日、パンドラを観察して、彼女がどんな行動をしていたか記録する。それはそれで『面白い』のだが、パンドラは妙な行動をせず、世界に異変も起こらず三年が過ぎた。いくら興味があれども、変化がないと飽きは来る。
だから今日はとても楽しい。
何故なら秀明が、一緒に来ているのだから。
「……いやぁ、やっぱりさっきのは、こう、色々不味いんじゃないかなぁ」
ちなみに当の秀明本人は、とても釈然としない様子だったが。腕を組み、首まで傾げている。
廃墟と化した東京。良く晴れた初夏の日差しを浴びながら、瓦礫の上を歩く千尋達二人。自然に還りつつある大地をピクニック気分で歩いていた千尋は、秀明の不服そうな反応にむくれた。
「もー。手続き上は問題ないって言ったでしょ? 実際許可は出たし」
「許可された内容と全然違う行動をしているじゃないか。これでは申請の意味がない」
秀明が心底不服そうに文句を言う。
彼が不服そうにしている理由は、自衛隊基地からの外出許可が下りたから、である。
千尋達の家ことコンテナ部屋がある自衛隊基地は、言うまでもなく自衛隊の管理下にある。国防を担う組織なのだから人員の出入りは厳重に行わねばならない。そのため基地から外出する時は、外出申請書などの書類を用意し、審査に通らなければならないという規定があった。
提出期限は外出日の前々日の朝まで。そして移動経路や目的について、事細かに記載しなければならない。審査自体は然程厳しくないが、書類不備があれば即座に不許可が突き付けられる。また外出距離も特別な場合(法事など)を除き、二時間以内に基地に帰還出来る位置でなければならない……等々の制約がある。
秀明もその規定に則った書類を出した。そして審査は通り、秀明は『買い物』目的での外出が許された。
ただ、向かった先がお店がある都市ではなくパンドラの活動圏なのだが。
「別に、何も嘘は言ってないよー。ただちょーっと寄り道しているだけで」
「これは寄り道と言わないだろう。もしバレたら……」
「へーきへーき。あんなの形式だけで、割とみんなやってるから。部隊長さんもどう考えても遠く離れた地元のお土産を持ってきた事あるし。問題が起きない限りバレようもないからねー」
「げ、現場のモラル崩壊を目の当たりにしている……どうしてこんな事に」
余程ショックが大きいのか、秀明は大きく項垂れながら嘆く。確かに経営者という立場で見れば、現場がルールを守らず勝手に融通を利かせている(なお問題が起きた時の事は考えない)のは悪夢のような光景だろう。
確かに、ルールを守っていないのは悪い事だ。しかも上から理不尽な納期の短縮を言い渡されたり、ルールが非現実的なまでに複雑だったりなど、破らねばならないほど困難なものという訳でもない。バレて叱責された時、千尋には反論の余地がない。
だが一つ言い訳をするなら、士気の低さを放置している上層部にも問題はある。
「パンドラには勝てず、あの基地でやっているのはパンドラの監視だけ。そのパンドラも、遠出するような気配もない。しかも監視しているだけだからって、年々あそこに配置された隊員のお給料も下がってる。あと娯楽もない。これじゃあやる気なんて出なくて、ルールを守る気なんてしないよ」
「うぅむ……これは良くない、良くないなぁ……」
千尋の言い分に納得は出来ない様子の秀明だが、理解は出来たのか。愚痴るように言いつつ、反発はかなり弱まっている。元経営者としてはルールが守られないのは不本意でしかないだろうが、それも現場の協力があってこその話なのは否定出来まい。
或いは、駄目だと分かりつつもやはり一目で良いから見たいのかも知れない。
人類を窮地に陥れ、今ものうのうと
「……まぁ、今更愚痴をこぼしても仕方ない。深山くん。パンドラには、あとどのぐらいで会えそうなんだい?」
「うーん、相手の気分次第かなぁ。東京からは出ないけど、居場所は結構転々としているし……あ、でもこの二年ぐらいはよく工場跡地に行ってる気がする」
「工場跡地?」
「うん。なんの工場かは分からないし、多分パンドラも気にしてない。ただ、工場に使われている金属は、よく持っていっていたね」
ほら、あんな感じ―――― 一際高い瓦礫の山の頂上に立った千尋は、地平線の付近を指差す。
そこにパンドラの姿があったからだ。
体長百メートルの巨体も、数キロと離れていると随分小さく見える。目を凝らしてよく観察しなければ、何をしているのかの確認は出来ないだろう。
パンドラは工場(都市と共に放棄されたもの。十年以上放置されていて外壁は随分と汚い)に歩み寄ると、巨大な腕を振るって建物を破壊する。コンクリートの瓦礫が派手に飛び散り、『中身』が露出した。
ある程度壊すと、パンドラはその中身……鉄筋などを掴む。それからまじまじと眺め、気に入ったものは傍に置き、いらないものは無造作に投げ捨てる。
これを近くに建つ他の工場にも行う。工場内で使われている鉄筋の数はそれなりに多く、数もこなせばかなりの量を得られる。しかしパンドラの目利きは厳しめのようで、大半の鉄筋は投げ捨ててしまう。
それを何度も何度もやって、少しずつ鉄筋の山を作り上げていた。せっせと鉄筋を探し、選び抜き、真面目に集める姿は何処となく人間の労働者に似ていて、妙な親近感を抱かせる。
しかし何より気になるのは、その行動原理だろう。
「……なんで、鉄筋を集めているんだ?」
秀明は首を傾げながら、大半の人間が抱くであろう疑問を呟く。
その疑問については、ナノマシンやロボットについて詳しい千尋であれば答えられる。あくまでも、仮説ではあるが。
「多分だけど、身体の材料に使うためじゃないかな」
パンドラはロボットであり、その身体は様々な金属パーツで出来ている。そしてどんな機械にも言える事だが、部品というのは使えば使うほど劣化していく。
そのため定期的なメンテナンス、要するに修理が必要なのだが、これには材料を消費する。如何にパンドラといえども、無から有は作り出せない。
加えて劣化した部分というのは、酸化や紫外線などの影響で元の素材の性質が失われている(というよりその状態を劣化と呼ぶ)。これをそのまま次の材料としてリサイクルする事は……分子レベルの加工を可能とするナノマシンなら出来なくもないが、それには多くのエネルギーが必要だ。古いものは『排泄物』として捨て、新しい素材を取り込む方が効率的である。
つまりパンドラが生きていくには、定期的に新しい資源を補給する必要があるのだ。工場を破壊して新たな金属を摂取し、その巨体を維持しているのだろう。
そしてこれが、パンドラが東京から離れない理由の一つとも考えられている。
「東京は世界有数の大都市。大きな建物には鉄筋が使われているし、避難時の混乱で置いていかれた車もたくさんある。あまり遠くまで移動しなくても『餌』があるから、都合がいいって考え」
「成程……」
千尋の説明を聞き、秀明はこくんと頷く。仕草では納得したように見えるが、しかしその顔に浮かんでいる顔はやや険しい。
そんな顔になるのは仕方ない。今の説明では、明らかに不足があるのだから。
「……いや、おかしくないかい? 少なくとも十年前、パンドラはナノマシンを四方八方に伸ばす事で、金属を吸収していた。あんな風に鉄筋をわざわざ回収するより、ナノマシンを直接伸ばした方がずっと効率的だろう?」
秀明が口にした通り、効率的に金属を集めるのであれば工場を潰して回る必要はない。『生誕地』である東郷重工業の工場での出来事、そして百メートルまで巨大化した時のように、ナノマシンをあちこちに伸ばせば事足りる。
なのに今のパンドラはそういった機能を使っていない。人類との戦いに対抗するため高性能化した結果、ナノマシンの制御に何かしらの問題が生じたのではないか? という仮説もあるが……このような金属の運搬は、ここ三年ほどで見られるようになった行動だ。それまでの間、確かに人類の攻撃は偶に行われていたが、十年前の日米共同作戦ほど戦略的・攻撃的・技術的に優れた攻撃はしていない。何か変化があるとすればこの時が妥当であり、七年間そういった行動が観察されていないのは不自然である。
別の推論としては、集めた金属を自己製造プラントの建材に使っているのではないかというものがある。ナノマシンによる自己修復機能を持つパンドラには、当然ながら自分の設計図が記録されている。故に作ろうと思えば、パンドラが
しかしこの案も、いまいち現実味がない。
単に自己を複製するなら、工場を建設する必要などない。自分の設計図が入ったメモリとナノマシンを腕にでも押し込み、その腕を切り落とせば良い。後はナノマシンが勝手に身体を再構築して、新たなパンドラが生み出される。身体の材料となる素材についても厳選する必要はない。ナノマシンは分子レベルの加工が可能であり、錆びた鉄から純鉄どころか鋼鉄(鉄に僅かな炭素を加えたもの)を作り出す事も出来てしまう。勿論相応のエネルギーを消費するが、言い換えればエネルギーさえあれば問題はない。実際、パンドラは良い材料なんてなかった筈の住宅地で体長を倍、質量では推定八倍の成長を遂げている。
この説も結局のところ、わざわざ良質の素材を探す必要がないという問題で行き詰まる。それに、そもそもパンドラが自分の複製を望むのか? という問題がある。パンドラはナノマシンの力で大体の金属は材料に出来るが、だとしても資源は有限だ。掘り起こすにしても、地球という有限の環境では得られる量にも限度がある。自分のコピーを増やせばその分資源消費量も増大し、自分の暮らしが厳しくなるだろう。これは人口増加により資源争奪・環境破壊が起こり、減らした方が良いと言われても国力やら経済云々で増やし続け、どんどん問題を悪化させていった……人類史を見れば明らかだ。
強いて増やすメリットがあるとすれば、自分が壊れてもコピーがいれば『血筋』は絶えない点が……生物なら兎も角、コンピューターにそんな衝動があるかは分からない。生物が繁殖するのは、繁殖を行う個体の子孫が生き延びた結果だ。自然淘汰により選択された形質であり、事故で誕生したロボットに自然と備わる様なものではない。ましてやパンドラは人類の失敗をネットで知る事が出来る存在だ。同じ轍を踏むとは考え難い。
そんな理由から、自己増殖関連の説はあまり有力視されていない。他にも色々あるが、どれも決め手に欠ける。
「……という訳で、その謎は現在調査中です」
そういった様々な説も含めて話した千尋。要約すれば「よく分かってない」という事を言われ、しかし先程よりは納得したのか秀明は朗らかに笑った。
「成程なぁ。人工衛星などが使えて、行動を追えれば良いんだろうが」
「パンドラを撮影しようとした衛星、みんな逆に乗っ取られちゃうからね。ヘリや車で追うのも駄目らしくて、そういう事するとミサイルで撃ち抜かれちゃう。ここで観察するのがギリギリ許されている感じ」
「徹底している。余程見られたくないという意味では、何か大掛かりな事をしていそうだが……ところで深山くん、それは機密情報ではないかな?」
「機密だけど、これ独り言だし。自衛隊に出した書類上、今此処に東郷くんはいないし」
「うーん、深山くんがどんどん悪い方に染まっていく」
心底困ったような顔になるのは、秀明が千尋を子供扱いしているからか。
さながら『父親』のような態度に千尋は思わず笑みを溢す。
尤も、その笑みに対する秀明の反応は、大きく目を見開いてポカンと口を開くという――――凡そ『娘』の笑顔に対するものではなかったが。
「……どうしたの?」
あまりにも脈絡のない反応だったため、千尋は尋ねてみる。すると秀明はパクパクと口を何度か空回りさせ、他人からも分かるぐらい困惑。
「……なんというか、こっちを、見てないか?」
やがて出てきた言葉は、これまた今までの話と繋がりがないもの。
見てないか、とはなんの事だろうか? 千尋にはその意味が分からない。訊きたいところだが、呆けた秀明の状態からしてまともな答えが返ってくるようには思えず。
ならば一番簡単なのは、その視線を追う事だろう。
善は急げ、という訳ではないが、手っ取り早い方法があるならそちらを選ばない理由はない。千尋はまず、秀明の視線を追ってみる。
すると、確かにこっちを見ていた。
工場を破壊して、金属部品を集めていた筈のパンドラが。
「……!?」
ぞわりとした悪寒が、千尋の背筋を駆けていく。
不味い、と思った。思ったが、その時には既に手遅れ。
自分達の方を見ていたパンドラが、猛然とこちら目掛けて走り出してきたのだから。
「! ま、不味い! 深山くん、一旦ここは逃げよう!」
即座に逃げようと判断する秀明。彼の考えは至極尤もだ。数多の殺戮を繰り広げてきた巨大マシンが駆け寄ってくるのに、逃げないなんてどうかしている。
千尋は
「ううん、無理。あれは、こっちを完全に捕捉してる。どう足掻いても逃げ切れない」
体長百メートルをパンドラの歩幅は、人間のそれよりも遥かに大きい。そして彼女の動きは、人間のものよりほんの少し緩慢に見えるだけ。
つまりパンドラは人間よりも圧倒的に速く移動出来る。十年前の日米合同作戦の時に観測された数値では、時速五百キロもの猛スピードを出していた。今回のパンドラも大きく腕を振るい、足を開いた如何にも全力疾走。十年前と同じか、或いはそれ以上の速さを出している。
歩いていたって逃げ切れないのだ。抵抗するだけ無駄。むしろ相手の目的次第では、怒りを買うだけかも知れない。
「刺激しないように、動かないで」
「……! わ、分かった」
千尋の真剣に指示すれば、秀明は驚きつつも従う。現場では基本的に専門家の判断を優先した方が良い……『経営者』としての判断が、彼に冷静さを保たせた。
千尋と秀明が大人しく待っていると、パンドラはものの一〜二分で二人の傍まで肉薄。歩くだけで大地の揺れを感じるほどの近さに、千尋は自分の心臓がバクバクと鼓動しているのを覚えた。
【……………ガギギギ】
やがてパンドラは立ち止まり、しゃがみ込んで千尋達を見下ろす。
秀明は、無意識の行動だろうか。千尋の前に立ち、パンドラから千尋を隠すように動く。守られる立場になった千尋は、気恥ずかしいような嬉しいような、この状況に巻き込んでしまった申し訳なさも混ざって、感情がぐちゃぐちゃになってしまう。
困惑する千尋と、男気を見せる秀明。
二人の人間が見せる反応を、果たしてパンドラはどう受け取ったのか。しばし二人の事をじっと見つめていて巨大ロボットは、不意に両手をこちらに伸ばしてくる。
叩き潰すつもりか。
と、思ったのは一瞬。手の動かし方が遅く、こちらを潰そうとしているようには見えない。そもそも叩き潰すのなら、余程パニックになっていない限り両手は出さないだろう。
何より、掌が上を向いているのが奇妙だ。
秀明もその奇妙さに気付いたようで、パンドラの手が迫っても(警戒は緩めないが)慌てる事はない。パンドラも、千尋達が逃げないからか動きは丁寧なまま。
伸ばした手は地面を付き、土を削りながら千尋達の下に迫り……二人を土ごと掬い上げた。
「ひゃっ!?」
「くぅ……!」
千尋はその時の衝撃で尻餅を撞いてしまう。秀明はどうにか立ち続けたが……結局はパンドラの手の上だ。
【……ガキリリリリリッ】
二人を持ち上げると、パンドラは嬉しそうに鳴く。
危害を加えてくる様子は、今のところは見られない。
ただし、くるりと踵を返し――――二人を何処かに連れて行こうとするのを、『危害』と呼ばないのであればの話であるが。
「あー……これは、その、予期せぬ行動という事で良いのかね?」
最早どうにもならないからか。どう考えても絶体絶命の状況なのに、秀明は極めて落ち着いて現状を確認してくる。
対して、秀明と比べれば間違いなく専門家である千尋は落ち着きをなくす。
パンドラは自分達を連れて何処に行くのか。
秀明の考えている通りの『予期せぬ行動』に、だからこそ技術者である千尋は少なくない興奮を覚えてしまうのだった。
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