第38章|娘のハーフ成人バースデー<7>夫との言い合い(砂見礼子の視点)

<7>



 マラソン大会にでも参加してきたかのように、佑介の息は上がって、ダラダラと額から滝のような汗が流れていた。


「いない・・・・・・。ハァ。公園も学校も、近所の通学路も探したけど、いない!! 」


「公園の公衆トイレも探してくれた? 」


「探した! 女子トイレも!! 誰もいなかった!! 」


さっきまで近所を全力で走り回っていたのだろう。夫も床に膝をついた。


「ねぇ、みちるがいなくなる前、何か変わった様子はなかったの!? 」


「ないよ・・・・・・ハァ、ハァ、帰ってきたら、突然、いなくて、ハァ、ハァ。変わったこと・・・・・・炊飯器のフタが、開いてたくらい・・・・・・」


「炊飯器ッ!? 」


「お米・・・・・・炊いてた・・・・・・晩ご飯用に・・・・・・それが、ハァ、減ってて、ハァ、炊飯器のフタが開きっぱなしになってた」



「・・・・・・・・・まさか」



――――――先日のみちるとの会話を思い出した。



(「じゃあ聞くけど。みちるは将来、何になるつもりなの? 」)


(「決めてない。この前の農業体験は面白かったから、農家とか? 」)


(「先のことはママにはわからない。ただ、とにかく言いたいのは、みちるがコメ農家を目指しても、おそらく大したお金は稼げないし、人生設計が難しくなるだろうってことなんだよ。でも、英語なら色んなことに使える。将来のためになる。だからママはあなたのためを思って、仕事終わりで疲れてるのに英験ドリルに付き合ってあげるって言ってるんだよ? 」)


(「・・・・・・ママの手伝い、いらない!! 英験ドリルも、やらないから!! 」)




「も・・・・・・もしかしたら、あの子、埼玉県に向かってるのかもしれない!! ほら、この前、稲刈り体験をさせてもらった農家の・・・・・・!! 」


「えっ・・・・・・そんなところにこの時間から行くか!? 」


「私、みちるとこの前、その話で喧嘩したのよ! 誕生日なのに残業して帰ってこない母親に腹を立てて、当てつけに農業体験した場所まで家出しちゃったのかもしれない!! 」


「ここからあそこまで、電車で行ったら着くのは深夜だぞ。それにあのあたりは駅なんて夜は真っ暗だろ、どうやって現地まで歩くんだよ」


「わかってないのよ。子供だから!! と、とにかく電話してみよう、『しゃらん』で農業体験を予約した履歴が残っていれば・・・・・・」


スマホで旅行関連予約サイトを開こうとして、またガクガクガクと手が震えて携帯電話を取り落としそうになる。


「こんな時間に繋がらないよ。そんな不確実な話より警察に連絡したほうが・・・・・・」


「わかってる!! じゃあ、警察にはあなたが連絡してよ! 」


「警察ってどうやって連絡するんだよ!! 」


「知らないわよ!! 私だっていちども連絡したことないんだから!! 110番に電話したらいいんでしょ、そのくらい自分でやってよ!!! 」


「そんなこと言われても・・・・・・」


「もうっ!!! そんなんだから娘に家出されちゃうんでしょ!! そうやっていつもボーッとしてるから、会社でも出世できないのよ!!! それで私が働かなきゃ生活していけなくなって、こうやって家族がめちゃくちゃに・・・・・・っ!!! 」



家族の緊急事態に警察に連絡を入れることくらい、自分でやってほしい。

そう思ったついでに口が滑った。


夫のプライドに配慮して、と思って、普段は絶対に言わないようなひどいことを言ってしまった。

彼の収入が少ないことは、言うつもりなかったのに。



仕事だって、本当は働きたかったのは私のほうだ。


子供と二人きり、小さな家庭の中に閉じ込められて、10円でも安い野菜を求めて自転車でスーパーをハシゴするような節約生活をするくらいなら、外に出かけて働くほうがずっと効率がいいと思った。


下着一枚を新調するのにも夫に遠慮するような生活をするくらいなら、自分で稼いで対等に暮らしたかった。


何より、社会に出て働くのは楽しかった。

ワーキングマザーになると決めたのは私のほうだ。



「なんで俺のせいなんだよ!! そっちだって子供を部屋に残して短時間、外出することくらいあるだろ!? 小学校四年生なんだぞ!? 自分の意思で黙って出て行ったんだ、防ぎようなんか、あるか!! 」


ふだんは温厚な夫もさすがに真っ青な顔でキレ返してきた。


彼の怒りはもっともだ。

みちるが家出したとしたら、その原因になったのは彼ではなく、私のほうだろう。



「わかんない・・・・・・。もう、どうしていいかわかんない。私、そんなに強くないのよ!! 全部を器用に、全部を上手になんか、やれないの!!! 」



悲痛な叫び声を絞り出したその時、私の携帯電話が鳴った。



――――――会社からだ。



「今、それどころじゃないっ!!! 」


急いで電話の『切ボタン』を押した。もう知らない。『オタ・オタ商事』の貨物がどうなってもいい。チームの残業過多も、高ストレス者も関係ない。

中間管理職になんか、ならなきゃよかった。責任なんて感じなければよかった。調子に乗って、ヴァンクリが欲しいなんて思わなければよかった。



「と、とにかく・・・・・・。け、警察に、電話をしよう・・・・・・」


佑介がそう言ったとき。また私の携帯電話が鳴った。



「何コレ。知らない番号・・・・・・・・・」



電話を切ろうとした私の手を佑介が止める。



「待って。切るな。それ、誘拐犯からかもしれない! 」



「ええっ・・・・・・・・・・・・ゆ、ゆ、誘拐!!!?」




ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ。ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ。



携帯電話はしつこく震えて鳴り続けている。




「・・・・・・もしくは駅員さんとか、みちるを保護している誰か」



「それを、早く言ってよ!! 」



急いで『受話ボタン』を押した。


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