第36章|砂見礼子の奮闘 <8>アナグマ鍋

<8>



「う、美味うめぇ。アナグマ、イケますね~!! 」


コンロにかけられた小さな土鍋に湯気がのぼり、ぐつぐつとアナグマ肉が煮えている。添え物の野菜はどこにでもあるような、長ネギ、椎茸、春菊など、ふつうの内容だったから安心した。


知っている肉類とは香りが違うけれども、鍋の液面に獣の脂が浮いて、いかにも美味しそうな鍋料理だった。

先に食べ始めた灰原さんのリアクションが真実味を帯びていたので、エイヤと意を決して私もアナグマを食す。


「ん? あ・・・・・・意外に美味しい・・・・・・」

思ったよりも臭くなかった。少し濃いめの味付け、とろけるような脂肪感・・・・・・。


「ここのマスターは下処理がうまいね。心得ている。アナグマは皮と血の匂いで途端にまずくなるから」松下さんも顔をほころばせる。


「良かったね砂見さん、最初に出てきた食材がおいしく食べられるやつで」


「ええ、よかったです」


「灰ちゃん、他のも頼む? 酒のツマミに、いっとこうか? 」


「エ"・・・・・・ッ・・・・・・」

灰原さんの顔が引きつったのを、私は見逃さなかった。

まぁそれもそうか・・・・・・。タランチュラって有名な毒グモだし。


「お嬢さんもイケる? タランチュラ」


「無理です。私アナグマでもうお腹いっぱいです」


「あらそう。少食だねぇ、じゃあいいか。灰ちゃんと僕だけで」


「え。砂見さんも食べなよ。松下さん、この人、見かけによらず大食漢ですから。いっさい手加減はいりませんので、どんどん珍しいもの、食べさせてあげてください」


「ちょっと、何言ってるんですか灰原さんっ」


「だって砂見さん、残業中にお腹すいちゃってめちゃハイスピードでお菓子食ってるじゃない」


「それは、ですねっ」


私が反論しようとしたところを松下さんが止めた。


「いやいや、無理強いはよくないよ。ワタシも自分の食趣味が偏ってるっていう認識はあるからさぁ。あ、でも灰ちゃんは前、『こういうの好きです』って言ってたから食べられるよね。じゃあマスター、タランチュラ10匹、お願いしま・・・・・・」


「じゅっぴき・・・・・・ウッぷ・・・・・・」


灰原さんが小さく呟いて胃の辺りを押さえたので、私はとっさにオーダーを遮った。


「ちょ、ちょっと待ってください松下さん! 実は、ほ、本当は、本当はですね、灰原さんは、ゲテモノ好きなんかじゃ・・・・・・」


ところが、言いかけたところで灰原さんの手で、強引に口を塞がれた。


「砂見、砂見、ちょっとこっち来い!! 」


「えっ!? 」


そのまま店の外に連れて行かれた。


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「おい砂見!! お前、営業やる気あんのかよ!!? 」


「はい。普通にやる気はありますけど? 」


「せっかく俺が頑張って貿易商のおっさんの趣味に合わせてんのに、さっき『本当は灰原さん、ゲテモノ好きなんかじゃありません』って言いかけただろ! 」


「言いました。だって灰原さん、今にも吐きそうな真っ青な顔してたからですよ! 」


「あのなぁ・・・・・・吐きそうなのは毎回のことだよ。俺だって食いたくねぇよ。でも断れないから頑張ってんだよ! 邪魔すんな。しかし、あのおっさん、なんで女には甘いんだよ。突然、無理に食べなくていい、とか言い出しやがって・・・・・・」


「それは私が女だからではなく、ちゃんと断ったからですよ! 灰原さん『僕はゲテモノ、イケますよ』って、最初にいい顔しちゃったんですよね? だから好きで食べてるって誤解されて、誘われ続けてるだけじゃないですか? 」


「そういう問題じゃねーんだよ。この案件はなぁ、社長がまだ自分の足で営業かけてた頃からの、長ーいお付き合いなの。これまで『ブルーテイル商運株式会社』が潰れかけた時に、松下さんには何度も助けて貰ってんだ。最初は社長が頑張って食事会に付き合ってたけど胃を壊して、小澤部長はアレルギーで食えなくて、それで俺が引き継いでんだよ! 重要案件なの!! 」


「その引き継ぎ、意味あるんですか。営業の本質はそこじゃないと思いますけど」


「しらねぇよ! 少なくともウチの会社ではこれが伝統なんだよ! 砂見さんは後から来て、ゴチャゴチャわけわかんない事を言ってるけどさ。それ“私は体力がないけど外科医になりたい、手術時間を短くしろ”って言ってるようなもんだからな? 郷に入っては郷に従うのが常識なの。周りからしたらいい迷惑、って話だよ! 」


「ハァ? 何ですか、その頭の悪い例え話。そうやって意味不明のシゴキみたいな、組織の伝統みたいなもので壁作って、これができるニンゲンしか仲間に入れないってルールにしてしまってるのはそっちでしょ? ゲテモノ好きの貿易商との奇妙な食事会に付き合うのがウチの会社の営業だ、って言うなら勝手にやればいい!! でもそんな意味不明ルールのせいで、まともな営業職がこっそり会社を去ってるかもしれないとは考えないんですか。誰もやりたくないけどどうしても必要な仕事だって言うなら、身体張ってゲテモノ料理に付き合ったら会社から特別手当が出るようにして、やりたくない人はやらなくていいようにするとか、そっちの方向性は考えないんですか。黙って言われたとおりに従ってる灰原さん見てると、私、なんかむしょうに腹が立つんですけど!! 本当は今にもゲロ吐きそうになってるくせに!! 」


「うっせーな。砂見はどうせ、社会科見学くらいの気持ちで営業に来てるだけだろ。いざとなったら旦那の稼ぎあてにして仕事も辞められるだろ。でも俺はなぁ、理不尽だと思っても、簡単にこの会社、この仕事、辞められねーんだよ! 『社内交換留学』とか抜かすなら、逃げてねーで、そういう辛さも含めて体験しろよ!! 」


「そんなの、知ったこっちゃないですよ!! あ。でも、もしかして!! ウチの会社で、せっかく育てた30代の営業マンが次々に転職して辞めちゃってたのって、こういう奇妙な営業習慣に付き合いたくなかったからなんじゃないですか? 『社内交換留学』で初めて、営業部に人が居着かない理由の実態が見えてきたかもしれませんね! 」


「あ? なんだとぉッ!!? 煽りやがって!!! 」



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「・・・・・・・・・・・・まったく、ふたりとも。大人げがないんだよ! 」



――――――次の日。『ブルーテイル商運株式会社』にて。



私と灰原さんは会議室に呼び出され、並んで立って小澤部長に怒られることになった。



「砂見さん、お客様相手に、目の前で否定的な発言は良くないよ。特に松下さんは社長がこの会社を立ち上げた頃から長年うちとお取引してくださっている、重要なお客様なんだからね」


「・・・・・・はい。申し訳ありません」私は頭を下げた。


「それからね、灰原くん。いくら営業方針が食い違ったからといって、砂見さんに『社会科見学のつもり』と決めつけてかかるとは何事か。失礼だよ。砂見さんは真剣に働いているんだぞ。同僚を貶めるのはやめなさい」


「・・・・・・すみませんでした。砂見さん、ごめんね」灰原さんが私のほうを一瞬向いてヒョイと0.5秒くらい頭を下げた。


「大丈夫です、もう、気にしてませんから」目も合わさずに返事をした。



(フン。何よ。小澤部長に怒られてざまあ見ろだわ)



大きな人事異動もなく何十年も過ぎてしまうような小規模な中小企業の社員にとっては、多少のハラスメント発言で上司から注意を受けるくらいのことは、どうせ実質的には大した痛手にならない。


灰原さんが小澤部長から凶暴な性格かもしれないと認識されたところで、スリーアウトになるくらい繰り返し横暴をやらかさない限り、正式な注意勧告・降格・異動などはないだろう。

明日も変わらぬ日常風景が続いていくだけ。それでも腹が立って告発してしまった。


そしてその結果、喧嘩両成敗のような形でふたりで呼び出され、注意を受けている。



「君たちの路上での大喧嘩、店の外に様子を見に出て来た松下さんにも聞かれちゃったみたいじゃないの。接待する側がお客様に心配されるくらい長い時間、ふたりとも中座するなんてあり得ないぞ。しかも我々歴代の営業職が内心、嫌々ゲテモノ料理に付き合ってきたこと、ついに気付かれてしまったかもしれないな・・・・・・」



「申し訳ありません」灰原さんが深く頭を下げる。私も揃って頭を下げた。



「ま、松下さんには僕のほうからもフォローしておくから。あとはもういいよ。仕事に戻りなさい」



小澤部長の言っていることは、きわめてマトモだった。



だけど。


だけどなんか。胸がざわざわするのは・・・・・・。




――――――“『社会科見学のつもり』と決めつけてかかるとは何事か。失礼だよ。砂見さんは真剣に働いているんだぞ。”



小澤部長の言葉が、やけに耳の奥にこびりついて喉のあたりが重苦しかった。

そうだ、失礼そのものだ、と全力で声を上げて、灰原さんを攻撃できないような後ろめたさを感じていた。



それは私が、もう少ししたら小澤部長に、課長職を降りさせてほしいと言うつもりだからかもしれない。


いつも仕事に全集中できずに、しょっちゅう子供や家庭のことで気が散っているせいかもしれない。


そもそも、私はなんで働いているんだろう。

これといった社会貢献への意思も、自己実現の目標もない。


もしも仮に、私の夫が何不自由ない生活をさせてくれる億万長者だったとしたら、それでも私は今日、働いていただろうか。



灰原さんから『ダイバーシティ枠』と馬鹿にされて腹が立ったのを、全身で受け止めて跳ね返してやりたいという高尚なプライドや労働意欲など、私の中にはなかった。


たまたま棚からぼた餅のように女性活躍の時流に乗って課長職にしてもらって。

面倒になったらさっそく、及び腰で逃げる準備を始めている。

私はしょせん、その程度の中途半端なワーキングマザーだ。


灰原さんはそういう私の甘さを、直感的に見透かしていただけなのかもしれない。



そう思うと、ちょっとあの時はカッとなって言い過ぎてたかも・・・・・・と、気持ちが落ち込んだ。


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