第36章|砂見礼子の奮闘 <7>エキセントリック貿易商
<7>
―――――――御徒町。
アメ横、ジュエリー商、問屋街などで有名な街だ。
けれどこの場所は、年末年始の賑わい報道や煌びやかに輝く金銀・ダイヤモンドのイメージとは違い、いつ来ても煤けた曇り空のような雰囲気を纏っていると思う。薄墨色のコンクリートでできた鉄道の高架橋が町全体を長く縦に走っているのと、問屋特有の簡素で小さな店構えが多いので、そういう印象になるのかもしれない。
灰原さんの後ろをついてガード下をしばらく歩いて案内されたのは、1階に安作りの小さな看板を出したジュエリー修理工房が入る、某ビルの上階だった。旧式のチャイムを鳴らして扉を開ける。扉の向こうの事務所は20坪ほどはあるようだった。これだけの広さがあるなら、普通の事務所なら数人の社員がいて、多少のデスクや間仕切りなど置かれていそうなものだけれど、この部屋にそういったものは一切なく、フェルト生地の床敷、ひとつだけぽつんと置かれた事務机と、デスクを避けるようにごちゃごちゃ置かれた段ボールや小間物、それに部屋の主と思われる高齢男性の後ろ姿までがまとめて一望できた。
―――――ゲテモノ好きの貿易商と噂されていたのは、あのご老人・・・・・・。
「フーン、フーンフーン。・・・・・・『アレクサンダー大王は領土の果てで嘆いた。“もう征服する土地がない”と』。やあこんにちは灰原くん、今日のお連れさんは女性かい。珍しいねぇ」
振り返ったその人が鼻歌まじりに言い、近寄って手を差し出した。
「はじめまして。『ブルーテイル商運』の砂見礼子と申します。よろしくお願いします」
「フ~ん、よろしく、ね」
握手を交わす。
服装は何の変哲もないポロシャツにチノパンだ。髪型もこれといって印象に残らないような短髪。表情も静か。にもかかわらずエキセントリックな雰囲気が漂うのは、前評判のせいかしら。または平凡な装いとは対照的に、黒目がちな両眼が、辺りの情報をくまなく収集するようにまん丸く見開かれているためかもしれない。
「松下さ~ん、いつもお世話になっておりますぅ。こちら弊社の来年用カレンダーです、ささ、どうぞ」
両手でカレンダーを差し出す灰原さんの緊張が空気で伝わってくる。
部屋の外を電車が通る音がして、ガラス窓がカタカタと震えて鳴った。
「灰ちゃん・・・・・・。待ってたよ。で、今夜、どう? 行きつけの店から、ちょうどアナグマが入荷したって連絡来てるけど」
「あ、アナグマですか・・・・・・! ぜひぜひ!! 」
「ん。行こう。アナグマ肉は極上の味だもの。で、そちらのお嬢さんも、一緒に行く? 」
「お、お嬢さん?? え?? わ、私のことですか?? 」
ゲテモノ食いに付き合わされるつもりじゃなかったので、変な声が出た。
「あ、はい~。ぜ~ひ、うちの砂見も、ご一緒させてください! ご挨拶がてらに!! 」
私が返事する前に、灰原さんが返事をしてしまった。
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松下さんが指定したのは、薄汚れた窓ガラスを通して外がうっすら見えるような、お世辞にも清潔感があるとは言いがたい店だった。
ラミネート加工のメニュー表には見事に食べたくないものばかり並んでいる。
希少食材? のオンパレードだ。
(おぇっ・・・・・・。虫系はキモいし、爬虫類も見た目が・・・・・・。生まれかけの卵とかオオサンショウウオとかゲテモノっぽいのは食べたくないし・・・・・・。この中で、一番まともに食べられそうなのはスズメ焼きかなぁ・・・・・・)
街でぷっくり太った呑気なスズメ達を見て、これって案外捕まえて食べたら美味しいかもしれない、と思ったことなら私にだってある。もしこの中で、どうしても何かを食べろと言われたら、スズメで乗り切るしかない。
そのときふと、厨房から何かの肉が焼かれている音がした。
一緒にやってきた、豚でもなく、牛でも鶏でもなさそうな、なんとも言えない臭気・・・・・・。
美味しそうなスズメを懸命に思い浮かべて盛り上げた食欲が、一気にまた減退してしまった。
松下さんがトイレに行っているうちにと、キレ気味のヒソヒソ声で話す。
「で、灰原課長、アナグマは食べたことあるんですかっ!? 」
「あ? ねぇよ! 」
「どうしよう、私、吐いちゃうかもしれない。この店、変な匂いがしません? 」
「失礼だからそういうのやめてよ? わかってると思うけど、これ、接待交際。
反論に詰まって眺めた机の上の調味料の種類は、塩とコショウだけだった。
せめてもう少し、ケチャップとかマスタードとか、野生味をぜんぶ打ち消すような強めのものを置いておいてほしい。
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