第36章|砂見礼子の奮闘 <3>営業同行 その3
<3>
1日の外回りを終えて、灰原さんと会社に戻った。時間はすでに18時を過ぎていて、退社している社員も多く、デスクが空っぽになった座席が目立っていた。
席に戻ってPCを立ち上げると、灰原さんが大笑いして営業社員に今日の出来事を話しはじめた。
「いやぁ~、それにしても今日の、秋葉原のメイド社長は衝撃的だったなぁ。後ろにずらっと座ってたオタク達、やっぱし、アレかな、穴兄弟なのかな? 」
日報を書こうとしていた手を思わず止める。イラッとしてたしなめた。
「灰原課長!? そういう下品なことを言うのはやめてくださいよ!『オタ・オタ商事』の社長さん、確かに扱ってる商材や本人のファッションは奇抜でしたけど、ビジネスへの情熱は感じる人だったと思います。男性が社長で、女性社員が数人いる会社でも灰原さんは同じこと言うんですか? 若い女が出る杭になってると、すぐそうやってゲスな笑いで
「うわ・・・・・・砂見さん、怖っ・・・・・・。だってあのコスプレと抱き枕よ? なんか事務所の雰囲気、エロくなかった? 」
「『オタ・オタ商事』の若い女社長のファッション、あれは男ウケを狙ったものじゃないと思います。短いスカートやメイド服はセクシーに見えるかもしれないけど、徹底的に男目線にするならあんなに爪を長く尖らせないし黒くも塗らない。ブーツだって厚底すぎます。あの人はあくまで自分のために、あの服装をしてるんだと思いますよ。それに私たちの仕事は、彼女の品評会をすることじゃなくて、『オタ・オタ商事』の商品輸送を手伝うことじゃないですかっ!! 早く日報書きましょう!! 」
私の言葉を聞いて、灰原さんが肩をすくめた。
PC画面の右下にある時計を、ちらりと横目で見た。
今日も残業になってしまうなぁ、と頭の片隅で思いつつ、それでも思ったよりは早く帰社できたのが嬉しかったのに、灰原課長みたいにダラダラと話していたらあっという間に夜になってしまう。
今日、娘のみちるは習い事の日で、学校が終わったら直接学習塾に行っている。一人で夜間に帰宅させるのは心もとないから、塾へのお迎えは夫に頼んである。でも、もし夫の仕事も長引いてしまったら、娘は暗い塾の入り口で、待ちぼうけさせられてしまう。
ここ数日はけっこう忙しくて心の余裕がなく、塾の担当教師の名前、受付の係員の性格などまで、夫に完璧に申し送りできていない。これまでは、娘の育児で予定外のことが起きたら、いつも私が対応してきたから、今日どうしても仕事を抜けられないとか、突然何かのハプニングが起きたら、夫はうまく立ち回れるだろうかと不安でそわそわする。
いざとなったら私が塾に電話を入れて、娘を中で待たせてもらう交渉をしないと・・・・・・と素早く想定パターンと対処を計算した。
主婦の奥さんが家にいてくれる灰原さんと違って、私には帰宅後の時間の余裕なんかない。
「あ。ところで砂見さんさ、そろそろ帰んなくていいの? もう遅いけど。お迎えとかあるんだよね~? 」灰原さんの声で、ふっと意識が仕事に戻った。
「えっ、全然・・・・・・きょ、今日は何時まででも残業できますから大丈夫ですよ! 最後まで営業報告書、一緒に書きますから」
本当は、大丈夫ではない。
だけど、それを言ったら、『ダイバーシティ枠はこれだからサ・・・・・・』と、あとで悪口を言われかねない。私が共働きかどうか、子供がいるかどうかなんて、会社には関係ないことだ。
ここは無理をしてでも、最後まで仕事に同席しなければならない、と思って唇を噛んだ。
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