第30章|貿易事務 砂見礼子の困惑 <5>管理職のサービス残業 その3

<5>


「なんで!? 女も男と同等に働いてください、健康保険料は徴収しますけど不妊治療とか妊婦健診とか出産のためには使えません、不妊治療の選択肢は日本独自の自主規制で一部制限されていますので妊娠成功までに時間がかかったり流産したりするかもしれませんがとりあえず従ってください、って・・・・・・・・・!!!! 

『日本は少子化で困ってる』!!?? そりゃあ、少子化にもなるでしょうよ!!!!!!!! 」


・・・・・・精神破綻寸前になり、ブチ切れた私が狂ったように泣くのを見て、夫は困り顔で私をなぐさめるばかりだった。



「まぁまぁ・・・・・・しょうがないじゃん・・・・・・」



もしかしたら夫の佑介は、そこまで切迫した気持ちではなかったのかもしれない。

不妊治療にあたって彼がしてきたことは、せいぜい精子の提出に協力することと、治療費の半分を負担する程度だったのだから。



そこで、のんきな顔をしている夫にせめて私が体験している治療のつらさをわかってもらおうと、例え話を考えてみた。


しょっちゅう突然仕事を休まなければならなくて、ホルモン剤で体調が悪くて、お腹が腫れて、3時間待合室で待って、人前で股を開いて、手術台にのぼって毎月を針で刺されて、期待した結果が出なくて落ち込んで、必死で貯めたお金が病院の受付で何十万円も吸い取られていくのを見るって、どんな気持ちだと思う?? とか・・・・・・・・・・・・。


でも、結局夫には響かなかったようだ。

だって私の考えた例え話は空虚だ。


男性に不妊治療をしている女性の辛さを実感・体感してもらうことなんて、できようがない。

どんなにお互いを思いやっていても、夫には生理の感覚さえ体験させることは不可能なのだし、夫は妊娠することも、妻の代わりに出産することもできない。


いくら想像力をたくましく巡らせても、夫がを蹴られたときの苦しみを私が一緒に感じてあげることはできない。悶え苦しむ夫かわいそう、どうやら死ぬほどに痛いらしいよ? と頭でわかったつもりになれても、そもそもタマがついてない立場からでは、理解にも限界がある。それと同じだ。



私は結局、二人目の子供を諦めた。


そのあとで、日本でも不妊治療に一部、健康保険が適用されるようになったけれど。

今でも、女性達が満足のいく治療を自由に受けられるとまではなっていないようだ。


例えば、公的健康保険を使って実施してよいと国が認定した不妊治療は基本部分だけなので、染色体検査のような認定外の追加検査をひとつでも組み入れると『混合診療』とかいう扱いになってしまい、保険対象の基本部分まで合わせてにされ、治療費全額が患者の自己負担払いになる。


私にはもう関係のない話だけれども、それを聞いたときには、薄ら寒い気分になった。



日本の医療制度では、高齢者が医療を受けるとき、彼らがどれだけ蓄えた資産を持っていようと、寝たきり患者への延命処置であろうと、医療費の自己負担は1割から最大3割までで、それすら青天井にならないように自己負担上限額が決められている。


なのに、これから子供を産みたいと願う若い女性への医療補助は不十分だ。


社会の理解や制度は少しずついいほうに変わっているし、これからも変わっていくと期待している。私には間に合わなかったこともあるけれど、もう過ぎたことだ。せめてこれから先の働く女性たちに対しては、女ならではの苦労を少しでも減らしてあげられるといいのだけど。



(・・・・・・・・・あれ。私、なんで今、こんなこと考えてるんだっけ)



ハッと我に返った。


人間って、疲れてくると被害妄想的になるみたいだ。


私は仕事と家事育児の狭間でジレンマを感じると、特に不妊治療で経験したイライラを思い出しがちだ。



実は、うちは夫の佑介よりも私のほうが、給料が多い。


それでもやっぱり、仕事をセーブして、帰宅する娘と夫を迎えてあげるのが、結局は一番丸くおさまる『最適解』なのではないかと、私自身、考えてしまうことがある。


だから夫に娘の面倒を任せてオフィスで残業している今日のような日には、板挟みの気持ちと罪悪感で苦しい気分になって、つい、あの不妊治療の日々を思い出してしまうのだ。



男女差、子供を孕むことが可能なのは女性だけ、という生物学的事実。

それに繋がって女性に期待されている、性別による役割分担。

いくら女性の社会進出が推奨されても、望むと望まざるとにかかわらず、それらは太くて強い杭のように、私を繋いでいる。

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