第30章|貿易事務 砂見礼子の困惑 <3>管理職のサービス残業 その1

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――――――うっ・・・・・・・・・。や、やっと、今日の仕事が終わった・・・・・・・・・。



 最後のメールを処理して、スマホを見た。20時を回っている。

娘のみちるのケアと夕食は夫の佑介に頼んで、私はひたすら自分の業務に集中した定時後だった。


とうぜん、疲れている。すごく疲れている。



(管理職としての会議参加、1on1面談、未経験の飛石さんへの指導・・・・・・ハァ)


管理職になったからといって、私が平社員のときに分担していた顧客や仕事から解放されることはなかった。課長分の仕事は、そっくりこれまでの仕事に積み増される形で増えた。昼間のうちに相手のある業務を先に終わらせると、集中して自分の仕事ができるのは皆が帰ったあとの定時後ということになる。



(最近、私、明らかに残業増えてるよね・・・・・・)


うちは共働きだ。夫の佑介も仕事が忙しい。これまでなら私が先に、できるだけ急いで帰宅してみちるの面倒見や家事をやっていた。でも課長になってすぐはそうもいかないからとお願いしたら、夫が一時的に早めに仕事を切り上げられるよう調整してくれた。


みちるはもう、目を離したら転んでケガをするような年齢ではない。

小学校四年生。身辺のことはかなり自立している。だから家事育児に不慣れな佑介でも、なんとか面倒がみれる。

もし、まだうちに赤ん坊がいたら、絶対にこんな残業はできなかった・・・・・・。



(でも本当は、あと一人か二人、子供が欲しかったな)



みちるを産んだあと、なかなか二人目ができずに不妊治療をしていたときのことを思い出す。


不妊治療は、タイミング法、人工授精、体外受精と進んでいった。

あの頃はほんとうに辛かった。『ブルーテイル商運』に入社する前のことだ。



子供が欲しいという、その目的を達せられる女性の時間は限られている。


――――――――仕事が落ち着いてから。お金が貯まってから。もっと不妊治療費用が安くなってから。


そんなことを言って40代半ばすぎになってチャレンジを始めても遅いとわかっていた。


だから周囲に迷惑をかけても、高額を言い値で支払ってでも、今やるしかないと追い立てられた女性達が毎日、大挙してクリニックに押し寄せていた。



私たち夫婦に二人目の子供ができない理由はハッキリしなかった。


夫婦のどちらが悪いとも言えない話。


それでも不妊治療のスケジュールに合わせて会社で謝って回り、治療の副作用や手間に振り回され、長時間の診察待ちや処置の痛みと苦痛に耐えるのは、いつも圧倒的に私ばかりだった。



不妊治療は、仕事の都合などお構いなしに次の受診日が決まる。

とうぜん突然の仕事キャンセル・突発休が多発して、会社の同僚からは次第に白い目で見られるようになった。


ホルモン剤を自己注射して、受診日にはオルゴール調の優しい音楽が流れる患者待合室で、いつ呼ばれるともわからず3時間も4時間も待たされて、順番が来ると内診台に載って足を開いた。


周期が終わるたびに目玉が飛び出るような治療費が請求された。

あの頃、健康保険はほとんど役立たずだった。


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