第23章|人生ゲーム <15>織田さんが契約を決めてくれた理由(折口勉の視点)

<15>


数日後、俺は織田さんの部屋にお邪魔していた。『シューシンハウス』で家を建てたいと言っていただいたので、ご挨拶に伺ったのである。


「このたびは、ありがとうございます」

開口一番、織田さんに向け丁寧にお辞儀をした。


正直、住宅契約が取れる直前まで来たのは久しぶりの久しぶりなのである。久しぶり過ぎて、この後のクロージングの流れを一瞬思い出せなかったほどに久しぶりである。


「まぁ、うちの場合は、これからまず土地探しですけどね。よろしくお願いします」織田さんが笑った。


「あの……差し支えなければ、今回、家を建てたいとご決心された、ポイントをお聞かせ願えますか」


「そうですねェ……僕のパートナーのトシちゃんが心を決めたのは、この絵を見たからですね」


織田さんが見せたのは、伏野さんが図面に付けていたイメージ図だった。

当初の織田さんの希望であるウッドデッキを、リビングとひと続きにして庭ではなく玄関側につけ、さらに外から見えないように半囲いをつけていた。その壁に『こども食堂 開催中』という看板がぶら下げてある。


「トシちゃん、こういう家なら楽しそうだって、感心していました。僕らは男性同士のカップルで、子供を持つことはないかもしれないけど、本当は子供は好きなんです。それにせっかく家を建てるなら、お店とまではいかなくても、人が来てくれる家がいいと思っていた。このスペースなら、時には『こども食堂』にもできるし、家族のくつろぎにも使える。色んな人に気軽に来てもらえる半公共的なスペースがあるこの設計図は、ダントツで僕らにとって惹かれるものがありました。僕のパートナーのトシちゃんは、ゲイだってことを世間に知られたくない派だったんですけどね。でも、家を建てる話をきっかけに、少し考えが変わったみたい」


「なるほど……。ただ、お言葉ありがたいんですけど、気になっていることがありまして……」


「なんでしょう?」


「先日お話したように、自分はアルコール依存症です。織田さんのお仕事はワイン輸入業ですから、なんというか……ご自宅を建てるにあたって、自分が営業担当だと、とか思われませんか…………」


「いいえ。確かに僕はお酒を売るのを仕事にしています。でも、売り上げが上がるとしても、みんなに際限なく大量のお酒を飲んでもらいたいとは思っていません。酒を取り扱う者として、お酒を美味しく、楽しく飲んでいただきたい。そのための方法も考えていく責任があると思っています。折口さんがアルコール依存症なら、僕は折口さんの治療を応援したいとは思いますが、縁起が悪いとか、関わりを避けたいとは別に思いません」


「そうですか……。ありがとうございます……。いや、なんか“アルコール依存症”って言うと、気持ち悪い、怖い、と思われるかなって思ってしまってて……」


「うーん……。僕は、絵画が好きなんですけどね。古来から“楽しい酒盛り”は絵画などの芸術で好まれ、よく用いられる題材である一方で、酒の害に注意喚起するような言葉や絵も、たくさん残されているじゃないですか。つまり裏返せば、酒に酔う、酒に溺れるということも、昔からある姿、ってことなんじゃないでしょうか。アルコール依存症の問題は、飲酒が行き過ぎてしまった、健康に害がある、日常生活に悪影響を及ぼしている、ってことであって、アルコール依存症になってしまったこと自体は、気持ち悪いだの怖いだの、偏見の目で見られるようなことじゃないと思いますよ」


「織田さん………」

俺は驚いた。心の中で俺自身が一番、“アル中”の自分を恥ずかしく思って、蔑んでいたのかもしれない。

「あっ。そ、それと、その、蛇足とは思いますけれど、この図面を持って工務店さんで相見積もりを取られたら、何十万か安く建てられる業者もあるかもしれませんが……。今回、本当に『シューシンハウス』で決めていただいてもよろしいのでしょうか。……ね、念のためご確認を…………」



俺の言葉を聞いた織田さんがおもむろに立ち上がり、ワインセラーの中に並ぶワインを、愛おしそうに眺めながら言った。


「………折口さんがこれまでに住んだ、一番好きだった家って、どこですか? 」


「えっ……と、………大学時代に住んでいた、寮でしょうか。急に、どうして……」


「いや、ね……。僕、ワインの個人輸入をしているでしょう。僕の仕入れるロットじゃ、大規模農場には縁がないし、そこを攻めても面白くない。家族経営しているような小さなワイン農家さんをいくつも訪ねながら仕入れ先を探すんです。しかし向こうだって、いきなり日本からやってきた男がワインを仕入れたいと言ったら多少警戒する。だから試飲をさせてもらったり、食事を共にしたりしながら、お互いを知ろうとじっくり話をする。でも、ひと通りの話が終わると、話題がなくなることがあるんです。そういう時、僕はさっきの質問をすることにしてるんです。

“これまでに住んだ、一番好きだった家って、どこですか? ”

するとね、どんな国の、どんな年齢の人でも、必ず何か、個人的な話を打ち明けてくれるんですよ」


「例えばどんなことを……ですか? 」


「その人の人生。どこで生まれて、次にどこへ引っ越して、誰と住んでいたか。どんな子供だったか。どんな家族だったか。印象に残っている思い出。そういうこと………。

人間って、家には特別な思い入れがあるんじゃないですかね。

そして、意外とよく覚えているものなんですよ。その家を紹介してくれた不動産業者や大家のこと、住み始めた日のこと、荷物を全部運び出して、最後に離れるときのことなんかを……」


俺は京京大学の『吉野寮』を思い出していた。

大正時代に作られた躯体はとんでもなくボロボロで、いつ倒壊してもおかしくないと言われている建物だ。古びた柱は削れ、水回りなどは便利とは言い難い。それでも俺は、あの寮が大好きだった。


確かに、初めて寮を見学に行ったときの、世捨て人のような先輩の姿や、荒れた部屋、山田と食った焼肉のこと、卒業が決まり寮を出た日のことを、鮮やかに覚えている……………。 


「折口さん、同性事実婚のカップルが家を買う時の色んな制度を、詳しく一生懸命に調べてくれましたよね。それに折口さんが、僕に対しても、僕の大切なパートナーに対しても、最初から普通に、親切に接してくれたことも嬉しかった……『哲学カフェ』も、なかなか楽しかったし」

織田さんが俺の目を見た。

「僕は、僕らがこれから建てる家、これからずっと長く住む自宅の、になる住宅営業の人は、折口さんがいいな、と思いました。だから相見積もりをとる予定はありません。このまま『シューシンハウス』にお願いしたいです」


「あっ………は、は、はい。そう言っていただけると……、営業マン冥利に尽きます! 」


「新しい家で生活するのが、今から楽しみです。折口さん、最後までよろしくお願いしますね」


「はいっ。竣工からアフターフォローまで、責任をもってサポートさせていただきます!! 」




――――新しい家の、……か……。


――――俺は、住宅営業の仕事を、営業マンを、そんな風に考えたことはなかった。


――――けれど、お客様は、そんな気持ちで営業マンを見ていることがあるのかもしれないな……。


――――お客様が長く住む家の、「最初のいい思い出」を一緒に作らせてもらう仕事、って考えると、なんか、悪くないな………………。


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