第8章|右肩上がりの市場価値 <6>『ジュリー・マリー・キャピタル』栗栖貞乃さん

<6>

 

 約束を取り付けた金曜日に、鈴木先生と揃って『ジュリー・マリー・キャピタル』社に行った。


 オフィスは『株式会社E・M・A』とご近所で、歩いて行けるくらいの距離だった。



 エレベーター前にはセキュリティゲートが設置されていて、自由に出入りはできない。受付の女性に声をかけて、訪問の約束があることを確認してもらい、一枚ずつ、QRコードの載った用紙を発行してもらった。



「こちらのコードをゲートの読み取り装置にタッチすると、入ることができますので」

受付の人は、親切丁寧に説明をしてくれた。



「気軽には入れない、厳重セキュリティですねぇ……」私が呟く。



「投資に関する機密事項が多いからでしょうかね」

鈴木先生が、QRコードをゲートに読み取らせると、オフィスエリア入口のバーが開いた。



 病院で看護師として働いているときや、無職になったときは、こんな場所に自分が入ると思ってもみなかった。


にわかに気分はキャリアウーマンだ。




 ゲートを通り、エレベーターに乗り込むと、既に到着階のエントランスフロアに、雑誌記事で見た、栗栖貞乃さんの姿があった。

記事ではわからなかったけれど、実物を見ると、すらっと背の高い女性だった。


私達を見つけると、満面の笑みで歩み寄ってくれた。

エリート御用達雑誌に数ページにわたって掲載されるような人なのに、全然偉そうじゃない。



「はじめまして。どうぞよろしくお願い致します」



 お互い、名刺を交換する。


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ジュリー・マリー・キャピタル株式会社


 代表取締役

       栗栖くりす 貞乃さだの


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 名刺交換した時に見えた栗栖さんの爪は、長すぎず短すぎず、爪先から根本まで、ツヤツヤのネイルカラーが施されていた。

桜貝みたいな上品な薄ピンク色に、白で描いたマーブル模様。少しだけネイルストーンが付いている。



「うわ、栗栖さんの爪、綺麗ですねぇ……」

 思わず私が呟くと、栗栖さんが笑った。

「フフ、ありがとうございます。行きつけのネイルサロンで、定期的にやっていただいてるの。お洒落は先端に現れる、と聞いたものですから」



 栗栖さんがニッコリ笑ってくれた。50代になっても女性らしさを忘れていないお姉さん、って感じ。笑顔が眩しくて、思わずファンになってしまいそう。



 鈴木先生が栗栖さんと挨拶の言葉を交わしている間に、そっと栗栖さんのファッションを観察した。



―――“お洒落は先端に現れる”



その言葉の通り、足先も気合が入っている。

靴先がほどよく尖った、高さ8cmはありそうなハイヒール。


(あんな高いハイヒールを履きながら、背筋を真っ直ぐ伸ばして立てるなんて、もうそれだけで尊敬の対象だよ……)



 栗栖さんの服装は、ウォームイエローのセットスーツ。少し珍しい生地感だ。上はテーラードジャケットで、下はタイトスカート。カモシカみたいなふくらはぎには、ブラウン系の薄手ストッキング。襟元には、水色を基調にしたスカーフをふんわりと巻いて、パールのブローチを着けている。



 私は今日も、一着きり持っているリクルートスーツと、無難なローヒールパンプスの組み合わせで来た。


 この前、『サクラマス化学株式会社』で、南アルプス工場の富士田さんに、“典型的なリクルートスーツ”って言われたから、ちょっと気にして、今日はインナーに、“ジー・ウー”で買った590円のシャツを着てきた。



でも、栗栖さんと私の差は、服の値段の差だけじゃない、と思う。



栗栖さんのは、“主役としてのあるべき衣装”。……そんなことを思った。



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