第3章|駆け出しの産業保健師 足立里菜 <3>新人の受け入れ先

<3>


「う~~~~ん。どうしようかしら……」


 赤坂の『株式会社E・M・A』オフィスにて。

先ほどから、緒方社長はひとり頭を抱えて、唸っている。


「社長……それは……例の……。新しく入社した、足立里菜さんのペアを誰にするか、という件でしょうか?」


「そう、それ。そうなのよ、高根さん。産業医の鈴木先生に、足立さんとペアを組んでほしいって、何回も頼んでいるんだけどね、断られちゃって……」



――――うん、まぁ、それはそうだろうな。


「そうですか……。確かに、足立さんは、完全に未経験者ですからね。しかも、私が見たところ、社会人としての経験も乏しいご様子。鈴木先生は仕事に対するプロ意識が非常に高い方ですし、長らくペア保健師を持たずに、おひとりでも産業医業務を完璧にこなされてきましたからね……今さら、足立さんとペアになるメリットもないかと」


「あのね、それ、違うのよ、高根さん!私は、足立さんとペアになることが、きっと鈴木先生を、さらに成長させるかてになると思っているの。だって私たちの顧客は、それなりの規模の会社ばかりよ。そこで働いている人達は、組織で動いているわ。出来損ないの部下を持つ苦労も、成長の遅いタイプを育てるツラさも、組織で働く人間にとっては、避けて通れない問題でしょ?だからこそ、足立さんと組むことが、鈴木先生にとって、絶対良い勉強になるって思うの」


「その緒方社長のお気持ち……、鈴木先生に率直にお伝えになってみられては?」



―――“出来損ないの部下”に、“成長の遅いタイプ”……。けっこうはっきり言うねぇ。ま、確かに、何もないところで派手に転んでガラス扉を割ったり、お預かりした顧客企業社員の健診結果をシュレッダーにかけそうになったり、ね。その度、こっちはいい迷惑してますよ、ホント。


先日、足立保健師が衝突してヒビが入り、応急処置でガムテープを張ってあるガラス扉は、不格好極まりないものの、敢えて緒方社長への警告の意味を込めて、修理せず置いている。



「んもう、そりゃ、勿論、既に伝えたわよ!でも、『ペア保健師の指導は、当初の契約書に記載がない業務ですので』……って断られちゃったのよ……鈴木先生って、納得しないとテコでも動かないんだから」



――――契約書の中身を一行も読まなかった足立さんと、契約書の詳細を読み込んで、自分を守る盾にする鈴木先生、まさに正反対のタイプだな。そりゃ合わないよ。



「なるほど……。緒方社長、差し出がましいかもしれませんが、研修の受け入れ体制が整わないうちに足立さんを雇い入れてしまったのは、やはり時期尚早であったのでは……」


「ううん、そんなこと、絶対にないわ!私、あの子はきっとやってくれる、って、直感したのよ。電車の中で急病人を助ける、熱いハートがあるんだから、やれるハズよ?」


「そうでしょうかねぇ……」



―――多分、それとこれとは別、と、俺は思いますけどね。


「あああ!」


「突然、どうされましたか、社長」


「良いこと思いついちゃった!!交換条件にするのよ!」


「例えば、足立さんの指導を追加の業務であると捉えて、『株式会社E・M・A』と鈴木先生で新たに契約を結び、特別報酬を支払う、とか……?」



――――それは、会社運営の観点から望ましくありません。コストが増えますし、既に”ペア保健師”を持つ、黒木先生や荒巻先生との釣り合いが取れなくなりますから、社長。



「ううん、ちょっと違うわ。鈴木先生って、契約ガー、契約ガー、ってうるさいけど、必ずしもお金で動くっていうタイプでもないのよ。でも、先方の要請で、足立さんが鈴木先生のヘルプに入ってくれる、ってことにしちゃえばいいわ。足立さんに助けてもらう代わりに、一緒に行動することに同意してもらうの」


「なるほど……。しかし、足立さんが鈴木先生のヘルプに入って役に立つことなど……ありますでしょうか?」


「あるわ。これ見て。『サクラマス化学株式会社』のファイルよ。“『働く女性の健康サポート策』について、アドバイスが欲しい”って、人事課長から、ちょうど相談されていたのよ。鈴木先生がどれほど有能な産業医であっても、男性であることは変えようがないんだから、『女性からの視点をアドバイスしてもらうため』ってことで、無理やり、足立さんと一緒に行かせましょう!」


 緒方社長は、顧客ファイルを誇らしげに見せながら、宣言した。



 ――――へーえ。女性、女性ってね。


 女性としての視点だけが強み、なんて保健師が、果たして必要でしょうかね。

 性別が女性というだけの社員なら、『サクラマス化学株式会社』にだって、既に沢山いらっしゃるでしょうよ。


 さて……どうなることやら。


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