第3章|駆け出しの産業保健師 足立里菜 <1>事務所のみなさんと居残り組の私
<1>
その後、履歴書や看護師免許などを提出して、私は正式に『株式会社E・M・A』の社員になった。
契約書は高根さんが準備してくれた。高根さんは、私が入社することを、最初は心配に思っていたようだけど、緒方先生の推薦もあって、最終的に同意してくれたという。
入社が決まってからの高根さんは、とても親切で、なんでも相談して下さい、と言ってくれた。『株式会社
それに、クビになってしまった埼玉県の病院の寮にはもう住めないので、赤坂とのアクセスを考えて、通いやすい場所に部屋を探して引っ越した。
みんなの期待に応えて、新しい職場で、今度こそは頑張りたい!
やる気!元気!足立里菜!
……と、思っているんだけれど。
けど。
けど。
「ふふ、足立さんの『ペア』さぁ、まだ決まらないんだね~。そろそろ決まってもいいのにねぇ」
先輩保健師の福島さんが、オフィスチェアを揺らしながら、今日も愛嬌のある子犬系の笑顔で私をイジってくる。
――――苗字は『福島』 ですけど、出身地は『島根県』なんで、お間違えのないようにお願いしまぁす!
初対面の時、そう言って自己紹介してくれた。福島さんは、黒木先生のペア保健師だ。週4日、『株式会社E・M・A』で働いて、残りの平日は、訪問診療の看護師をやっているという。
福島さんのペアは、女医の
どうやら、日本の法律では、一定規模以上の事業所(職場)に産業医を置くことは義務付けられているけれども、保健師を置くことは、義務ではないらしい。だから、『株式会社E・M・A』の保健師が顧客のもとに直接訪問するときは、相棒となる『ペア』の産業医と一緒に行動するのが基本なのだ。
「ま、順当に行けば、あの、鈴木のカタブツが、適任やと思うけどなぁ……ふっ……フッ……ふっ……」
オフィスのデスク下に常備してあるダンベルを両手で上げ下げしながら、産業医の荒巻先生が言う。
「うーん。まぁ、オフィスにも保健師の仕事はあるしね。それに、しっかり勉強してから現場に出るほうが対応しやすい事もあるから。大丈夫だよ、里菜ちゃん」
そう言って声をかけてくれるのは、荒巻先生の『ペア』で、こちらも先輩保健師の
持野さんは、いつもバッチリメイクだ。睫毛は音がしそうなくらいバサバサで、日焼けした肌、明るい茶色の髪にカラーコンタクトのせいか、外国人みたいに見えるときもある。
服装はスーツが多いけど、スカート丈は太腿の真ん中くらいで、かなり短い。それは持野さんの趣味なのか、それともペア産業医の荒巻先生の趣味なのか、気になっている。
『株式会社E・M・A』には、鈴木風寿先生、荒巻勝利先生、黒木仁子先生という、1人で数十社の顧客企業を担当しているメインの産業医の先生達がいて、それをサポートする産業保健師は、福島幸一郎さん、持野真穂さん、それに新人の私、だ。
他にも、月に一回程度、『株式会社E・M・A』の契約先企業に訪問してサービスを提供している、非常勤の産業医が何十名か所属している。私が初めてこのオフィスに来たときに、クビを宣告されていた中村先生は、非常勤の産業医だったらしい。
メインの産業医には、ペアの保健師が付く。だとすれば、今『ペア』の席が空いているのは、鈴木先生だけだ。
でも、鈴木先生は、私をペアにすることを、承諾してくれないらしい。
だから、入社してから2週間ほど、産業保健の基礎知識の勉強や、働く人の健康に関わるニュースのチェック、安全衛生委員会の資料作成など、デスクワークばかりやっている。
「あ、黒木先生、そろそろ時間ですよ」
「ほんとだ。福島君、ありがとう。じゃ、出かけよっか」
「おっ。真穂ちゃん。うちらもそろそろ行こか」荒巻先生が、ダンベルを置いて、持野さんが「はいっ」と返事をする。
「あ、皆さん、いってらっしゃ~い!お気をつけて………ご、ご安全に~!」
“ご安全に”というのは、製造業・建設業の現場でよく使われる決まり挨拶らしい。『株式会社E・M・A』でも、先輩たちが時々、ふつうの挨拶の代わりに“ご安全に”を使っているので、私も真似してみている。
……さて。皆が慌ただしく出かけて行ったあとのオフィスで、1人待つ、か……。
正直なところ、この時間は、けっこう寂しい。
「はぁ……。私も、契約先に出かけてみたいナァ……」
そんなことをつぶやきながら、机の上の教科書、『労働衛生のしおり』に目をおとした。
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