第6話 アディショナルタイム(1)

 どこからか聞こえるセミの鳴き声が、じわじわと蒸し暑さに拍車をかけ、


 陽に焼かれることによって陽炎が立ち上がっていた土のグランドは、


 運動場使用者の退避後に起動されたグランド地面各部に埋まるスプリンクラーの散水により、わずかばかりの清涼感がもたらされていた。


 


「ご苦労様。今日はヒノキか。」


 


 散水によってヒノキの香りも漂っていた夕方の運動場の脇で、練習前のミーティングに、後衛陣が全員揃うのを待ち構えていた栃ノ木監督が、最後に到着した今日のスプリンクラー香料当番の華尼拉井に声をかけた。


 


「はい。今日の香りはヒノキです。しかし、自分たちでセットをしなきゃいけないので大変ですね。」


「まあ、そう言うな。事業部長も好意で用意してくれたんだから。」


 


 栃ノ木は汗をぬぐいつつ、本題へ入る前に軽い会話を流した。


 


 夏期シーズンの序盤に、運動場のスプリンクラーが改良され、散水への香り付けが可能になった。


 サッカー部を従える立場でもある事業部長が、運動する社員のためにと提案し、そのすぐ後に工事業者に手配されたのであった。


 また、香料は檜・白檀・薔薇の3種類用意され、今後は毎日香りをつけるようにとの指示であった。


 しかし、とってつけた改造のためか、スプリンクラー自体はタイマーで動作するが、香料は毎回手動でセットしなければならなかった。そして、この役割はサッカー部が担当することとなった。


 余計な仕事が増えたとも思われたが、事業部長の人懐っこく陽気な人柄もあり無下にはできず、メンバーは交代で担当していた。


 


「さて、フォーメンションの再割り振りを教えてほしい。」




 栃ノ木は話題を切り出す。良い香りに囲まれつつも、集まったメンバーの表情は明るくはなかった。


 ローズが「はい」と答えて全員の正面に立ち、手に持っていたバインダーを開いた。


 本来であれば、この役割は後衛陣主将の柳島が受け持つべきであったが、彼は諸事情でこの場にはおらず、今回は古参メンバーのローズがとりまとめた。


 


「夏期シーズンの残り期間の、後衛陣のフォーメーションになります。」


 


 間をおいて発表を始めた。


 


「まず、白詰が『ゴールキーパー』と『センターバック』の掛け持ち」


 


 腕を組んで静かに構えていた白詰が、きゅっと表情を引き締めてうなずく。


 春期シーズンでの奮闘によりゴールキーパー廃止は免れることができた。


 事業部長からの施しも、この成果が影響していたのかもしれない。少なくとも、下り坂を転がっていたら手を差し伸べてはくれまい。


 ゴールキーパーのポジションは、チーム参加当初こそはじゃんけんで負けて決められた経緯ではあったが、そこで長く闘ってきた今となっては大事な場所と言えた。


 しかし、しばらくはローズの持ちポジションである右センターバック、およびローズが掛け持っていた左センターバックも兼任しなければならない。


 本来それを受け持つべきであったメンバーは、相当以前から腹痛で休んでいるが、この場にいない者を責めても仕方がない。


 白詰は頷き、「わかった。」と腹を括った。


 


「次に、俺が柳島さんの『レフトバック』と、薊野の『エクス・レフトハーフ』を巻き取る」


 


 ローズは、緊張した空気のなか発表を続ける。


 


「そして華尼拉井は、…『ライトバック』と『エクス・ライトハーフ』を引き続き掛け持ちで担当する。」


「わからりました!」 




 実のところ華尼拉井は、既に現在のポジション『右ウイングバック』のほか、その後方隣りの『ライトバック』を数週間前から成り行きで掛け持っていた。予想していたとおりに引き続きの担当、と聞き元気よく返事をした。しかし、ポジション名が妙な呼び名になっていたなと気づいた。


 ローズはバインダーをパタンと閉じて「以上です」と締めくくった。この場には監督1人の他、後衛陣が3人しかいなかった。


 栃ノ木はひととおりの説明をうけつつ、無表情で地面の一点を見据えていた。マネジメントで培ってきた意識が状況の整理を始めていた。


 その傍らで、「先ほどの、『エクス・レフトハーフ』や『エクス・ライトハーフ』とは何でしょうか」と、聞きなれない用語について質問する華尼拉井に、白詰が、アオブナFCにおける『ウイングバック』の正式名称だと回答していた。言いずらいので、自然に呼び方が変遷したのだと聞こえた。


 


「監督、現状の体制ではさすがに無理があります。得点ノルマは事態が事態なので、相談させてください。」


「スプリンクラーを改造するような余裕もあるのですから、人の調達をお願いできないのでしょうか」

 


 栃ノ木の意識が、問題を解決せんと思考の迷路に入り込もうとする手前で、慎重に提案を切り出したローズと、白詰の声が差し込んだ。




 チームは、サッカーの知識がない栃ノ木からでも、少々まずい状況にあると思われた。


 わかっている。わかっているのだ。人が足りないなら増やせばよいなんて事は。そんな発想は誰でも出来る。


 後衛陣はしばらく3人しかいない。そしてこの場にいない前衛陣もしばらく2人しかいない。


 昨日までに起こった出来事により、稼働できるメンバーは大幅に減り、ポジションの再編成を余儀なくされたのだ。


 前衛陣は前衛陣で、彼らと都合をつけて改めて話を聞かねばなるまい。


 アオブナFCは現状として、夏期シーズン中盤からの残りの試合を、計5人でこなさなければならなくなっていた。


 


 そして、夏期シーズン残りの試合の成果によっては、つまり、大幅な減収をまねくような状況となった場合、サッカー事業も今後何を言われるかわからない。


 最悪、事業廃止もあり得る。と考えたくもないことが栃ノ木の脳裏に浮かんだ。




 


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アルティメット・イレブン 肉を休ませる @yodobasi_potato

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