第5話 キックオフ(5)
攻勢を防いだ華尼拉井のクリアボールが、相手の接触を経由してライン外へ跳ね転がった。
審判にスローインをさとされた華尼拉井は、他人のする<それ>は見たことはあるが、自分では初めての行為だと気づいた。
「すいません、スローインってどうやるんですか?」
「そんなこともわからないの?どうなってんだこのチームは!」
ふいに質問を投げられた薊野は、表情を愛想笑いと怒りが凝縮したものに固め、怒気の対象が彼なのか味方全員なのか判明しない大声をはりあげた。
「フィールドに面して体を投げる方向に向け、ボールを両手で持ち、頭の後方から頭上を通してから前方に投げんだよ。」
薊野は仕方ないなとふてくされたように、早口で一気に説明した。
「あ、ありがとうございます。」
「こんど焼き肉おごれよ。貸しだからな」
華尼拉井は、冗談なのかわからないセリフを残し立ち去る薊野に恐々としつつ、プレーを再開した。
自軍ゴールエリアからその様子が目に入った白詰は、だれも教える暇がないんだから仕方ないだろうし、薊野ももっと柔らかく言えばよいのになと思いつつ、すぐに、気持ちをあと1点の得点ノルマ達成に切り替えた。
栃ノ木監督の掲げた目標は、後衛陣各メンバーへの得点ノルマであった。
それは得点が収益となる構造上、当然と言えば当然の策であった。
「要は、たくさん得点を取って勝てばいいんだ」
と、シーズン開始時に得点ノルマを説明する監督のセリフを思い出した。
自軍のゴールに近いポジションの人間ほど数字は大きかったが、特にゴールキーパー白詰に課せられた数字は他メンバーの合算数よりも高かった。自分の場合、達成できない場合は遠方へ異動だと言う。
この監督は何を考えてるのかとも思ったし、突然に異動なんて冗談じゃない。ましてやサッカーは続けたいし、社でサッカーを続けるにはここしかない。
自分は相手ゴールから最も遠いし不利だとも抗議もしたが、
「そりゃ、近いやつもいれば遠いやつももちろんいる。俺だって、1時間半かけて通勤している。会社へ15分で来れるやつもいる。もっと遠いやつもいるだろう。それはいいわけにはならない。」などの強弁ではぐらかすされたのち、チームの財布事情を説明されると納得せざるを得なかった。
栃ノ木監督も管理職として、現状できる範囲で結果を出すために考えたやむえない案だったのだ。
「要は、たくさん得点を取って勝てばいいんだ」
と白詰は復唱し、チャンスを待って構えた。試合時間は残り少ない。
一方、ベンチの栃ノ木は、片手間の事務仕事に集中しなければならないとはいえ、試合の成績には気が気でなかった。
あらたな収益形態で結果をあげなければならないとはいえ、シーズン初めに掲げた後衛陣への目標は、メンバーにとって厳しいものであったかもしれない。
後衛陣にあたえた得点ノルマは、後衛陣が生き残るために必要な目標なのだ。
得点が稼げなければ、つまり収益を得られなければ、人員を削減しなければならない。稼ぎにあわせて規模を縮小するしかない。
人員が削減されればさらに得点力に影響を及ぼすことは、サッカーの事はさっぱりわからない栃ノ木でも予想はできた。
だが、チームは予想以上に健闘してくれていた。
特に高いノルマを与えた白詰も頑張りをみせ、率先して他メンバーとの調整や交流の少ない前衛陣への根回しなど、自分の頭で考え、行動している。
キーパー廃止後は遠方へ異動だとブラフをかけたが、効果があった。
キーパー廃止はやむを得ずとも、人数は減らさず後衛陣は全員ディフェンダーとして、ポジション転換で残ってもらう妥協案も考えていたが、この試合でノルマが達成できたのであれば、現状維持で上にも報告できる。それぐらいはしてやろう。
メンバーがひとりひとりできる事をやる。数字しかわからない自分も数字で貢献する。
組織は確実に強固になりつつあると、栃ノ木は実感していた。
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