第5話 水宙のデパート

 キスアは店内を見渡すと、店員やお客さんが話す声や宣伝の声など、様々な声に驚いた。建物の外では全く聞こえなかった賑わいに不思議な感覚と共に感動を覚える。


 この建物の中にはいくつものお店が内在しているようで、服屋はどうやら別のフロアにあるようだった。


 入ってすぐのフロアには食品、良く使われる装備品、生活雑貨などがあり、浮遊する案内図をみると、どうやら目的の服屋は二階にあるようだ。


「ここに入ったら体が軽くなった…やっぱり中が水だからなのかな…不思議…」

 キスアがそう呟くと、


「それだけじゃないスよ!重力制御と行動補正の術式もかかってるからわざわざ泳いだり歩いたりしなくても移動できるんスよ!」


 にこにこ楽しそうにトレイルが話している声、周りの音、それらがはっきりと聞こえているのにキスアは気づいた。


「はっ!トレイルさん、水中なのに声がはっきり聞こえます…!それに普通に話せます!!」


 様々な魔術に興奮しているキスア、そしてそれと同じくらい、クゥも興奮していた。


「キスア!トレイル!体が!ふわふわ!!」


 水の中を潜ったことのないクゥは水中で会話出来ることが気になったりはしないものの、体が軽くなり、浮力で陸地とは違う感覚になることに、驚きと興奮を身振り手振りを交えて伝えていた。


「すごいスよねぇ~!色んな魔術がこんなに使われてるのも流石『魔女の都!』スよ~!」


 トレイルも二人のテンションに乗せられてついつい気分が高まってくる。


「ここ、服以外にも色々あるんスよ…見てみたくないスか?」


 二人の反応が嬉しくて、案内するのが楽しくなってきたトレイルはついついそんなことを言っていた。

 自身でもそんなこと言うような性格ではないと思っていたので一瞬、(あれ、なにいっているんだわたしは)と考えてしまうものの、(ま、たまにはいっかぁ!)と前向きに、そして明るく状況を楽しもうと受け入れた。


「みたい!!」

「みてみたいです!」


 面白いもの、奇妙なもの、不思議なものに二人とも目がないのだ!

 よってこのおもしろ珍妙な建物の、不思議な複合店舗内を探索したくなるのはヒツゼンなのだ!!


「じゃぁ、まずは特殊道具屋っス!」

「特殊道具屋…?」


「なにそれ…」


「一般の人には使いどころがない道具を売ってるっスよ、でも見た目も使用用途も見たことないものがたくさんあるスから面白いスよ~」


 一階フロア入り口付近の雑貨屋エリアを抜け、目を引く色とりどりの光を放つ野菜や果物の売り場に目を奪われ立ち止まった。


「うっかり触ると爆発する果物とかもあるスから気を付けるっスよ~、あとそこにあるてっぺんに伸びてるめっちゃながい花の真ん中をみたら意識持ってかれたりするっスから見ないようにっス」


「な、なんでそんな花ここに置いてるんですかっ!!危うく見るところでした…!」


「あぁそれあたしが師匠にもおんなじこと言いました!!見て意識持ってかれた後で!!助けてもらわなかったら危うく喰われてたっス!因みに置いてる理由は防犯トラップとこれを素材にする人がいるんで一応売り物っス!なんに使うかは知らないっス!」


「トラップにするにも魔術の方が便利なのに天然のものを使うんだ…それと、素材って、もしかしたら私の錬成にも使えるかも…研究したい…」


「研究熱心なのはいいスけど扱い方教えてくれる店員さん今いないみたいスよ」


「そっかぁ…残念、色々知りたかったのに…」


「……じぃぃ…」


 クゥは会話を聞きながらその植物の先っぽ、恐らくは花であろう部分の中心を見つめていたが、特に何も起こらなかった。


 野菜売り場を出て、薬剤コーナーを横目に通りすぎ、建物の壁に面したところにそのお店はあった。


「ここっス!特殊道具ンぃ屋~!時々師匠と寄るんスよここ」


「どんなものがあるんでしょう…」


「キスア…これ、ぷにぷにする…」


 棚の上にある、青いゲル状のなにかをクゥは興味深そうに触っている。


「ぷにぷに…って勝手にお店のもの触ったら危ないよっ」


「ぁんじゃこのちびこいのは…こいつを触っても何ともないんかい…」


 その声は

 クゥの後ろからヌッと影から浮き出るように現れた背の低い女性から発せられた。


 透き通る青の水球を片手で弄びながら、興味深そうにクゥの顔を覗き込んでいた。



「なに?だれ?」


「わしかえ?わしはここの店主じゃ、みてわかるじゃろ」

「店主……?」

「クゥと同じくらいなのに…?」

「わかるっス。(いろいろな意味を含む頷き)」


 はてさて現れたるはクゥと同じくらいの身長の、濃く吸い込まれるような藍色をした長髪の、一見少女に見えたる若娘。


「ムクーう!!なーんじゃぁ!まるで…『ん?この店の人の娘さんかな?親御さんの店主はどこかな?』みたいな反応は!わしは店主じゃ!親御なぞここにはおらん!!わしが店主じゃー!」


「…」

「かわいい…」

「」


「……くふぅ!くふぅ!…ふ………ほら、ここに出店してる代表を示す、術式の刻まれた印章を首にかけてるじゃろ…」


 彼女は指でアクセサリを軽くはじきそれを見せた。


 その首には銀色に光る星をかたどった装飾品がキラリと揺れている。


 アクセサリは術式を内包しており、その術式を持ち主に「ここの店主である」ことを一時的に魂に刻み、同時に周りに証明する役割も担っている。




「ん、おやぁ…?トレイルではないか…どうした、師匠の使いかえ~?」


 店主は三人の中にトレイルがいることに気がついた。


「違うっスよ、今日はキスアさんにここを見せたいなと思ったんス」


「ほ~んん?きすあ…ふぅぅん…なんじゃ珍しい…あんまり見ん顔じゃな、まぁこの街にくるほどじゃし普通の人間でもないわな…というかお前さんが連れてきたんじゃろ?」


「そスよ、何せキスアさんは固有魔法を扱う凄い魔女なんスよ!だから連れてきてもいいかなって…」


「まぁ、別に構わんじゃろ…それと、固有魔法を扱えるわしの知らん魔女がここに来るってのもまぁた珍しいことじゃなぁ~…」


「そだ!キスアさんにウクナさんの扱っているもの色々見せてあげてほしいっスよ~、錬金の材料とかに面白いものないッスか??」


「錬金ん~~~……???なぁかなか面白い言葉が出たもんだよ、錬金…錬金ねぇ…まぁ色々あるにはあるがの~…」


 店主のウクナは「ちょいとまってな」そう三人に言うと、一度カウンターの向こうにある戸の無い枠の向こうへと消えていった。


「あの人、ウクナさんってどんな方なんですか?」


「あの人は師匠の知り合いで、この夜の世界で色々な人たちから仕入れた珍しいモノを売っている人スねぇ、あたしが見た限りだとこの人以上に謎なモノを取り扱ってる人は知らないっス」


「あの人も魔女なんでしょうか…なんだかすごそうな人でしたけど…」


「あたしも気になって聞いたことあるんスけど魔女の知り合いは多いみたいスけど、本人は魔女じゃないみたいス」


「今あるので触媒に向いてるものはこいつらかねぇ…」


 仄暗い戸枠の向こうから戻ってきたウクナはカウンターにいくつかの品を並べる。


 謎のアイテムが目の前に鎮座し、そのいくつかは淡い光を放っていた。


「なんスかこれ」


 訝し気に目を細め、その謎のアイテムに顔を近づけるトレイル。


 そんな様子をみてウクナは…


「危険なものを初対面のものには出さぬ、滅多にみられないものではあるがの~、お得意様になればもう~ちと違うものも出さないこともないぞ?ひとつずつ説明するから…」


「これは…概念付草イルアカナマのエキスが自然の力で凝縮されてできた貴重な物質…!それにこれはアルマカイラの高湿原器…!本でみたことしかない物が目の前に…!!」


「そじゃろそじゃろ~♪お~説明するまでもなくすぐわかるとは大したもんじゃぁ」


 ウクナが説明を始める前に、キスアは出された品々に興奮し、目を輝かせていた。どれもこれも貴重な品であることを知っているからこその反応、そんな反応をみてウクナは満足げに頬を緩ませていた。


「特にこのイルアカナマはわたしがよく使う素材ですし、この淡い輝き…一目見てすぐにわかりました!」


「錬金を生業にしてるだけあってその目は本物のようじゃなぁ」


「あたしには不思議なものってことしか分からないスよ、やっぱりキスアさんはスゴいスね!」


「これを見られただけでも来た甲斐がありましたぁ、あっなんか実物を見たらなにか閃いたかも…」


 キスアは唐突にメモ帳を取り出し思ったことを書き始めた。ぶつぶつと呟きながらメモ帳に文字を書き記し、周りがみえなくなってしまったようだ。


「んん?おぬし何を書いとるんじゃ…?」


 ウクナはつま先立ちをしてキスアの書いている内容を見ようとする。


「あたしも気になるっス…」


 トレイルは後ろからキスアのメモを覗くと、メモ帳に謎の言葉と図と数字が書かれているのを見た。


「よし、と。これはレシピの素です!私の使う錬金魔法は錬金術とは少し違っていて、物質の基本構造をかなり無視してしまうので、ある程度自由が効くんですけど、逆にしっかりしたイメージをしておかないと、思ってもみない副作用だとか、デメリットが混在してしまったりするので、作りたいものの特徴や外見、用途なんかを決めておかないと暴走しやすいんですよ」


 キスアは一通り書き終えるとトレイルの方を向いて説明する。


「なるほどぉ…んんん、ということは、最強の剣とか防具とかも作り放題…なのでは…?あたしの考えた最強の剣!防具!夢みてもいいスかね…?」


「トレイルやめい…いくら強い武器防具であっても使い手がなっとらんと振り回されるのがオチじゃぞ、お前さんまだ騎士団試験とやらに向けて特訓しとったんじゃろ~っがァっ」


 瞳を輝かせてジリィィとキスアにゆっくり近づくトレイルを、ウクナはジャンプし首根っこを掴んで引っ剥がした。


「グエッゥ!?わ、わかったスから…ッ放してッッ喉締ッるゥッ……!」


「ほいで…そのレシピとやらはお前さんオリジナルの製法になるんじゃろう?他の者が見て利用できたりはせんのじゃろうなぁ…。レシピを見て真似ができるのはお前さんと同じ能力を持つ魔女にしかできんじゃろうし…」


 そのまま後ろに倒れ頭を打ち、窒息する前に気絶したトレイルを膝枕すると、ウクナはキスアのレシピについて思ったことを述べた。


「そう、ですね…これは他の錬金術師さんとは明らかに違うやり方になりますから、どうしても私だけのメモになっちゃいますね…そもそもわたし、錬金術師さんの高度に精度を上げられた汎用性重視の一般製法みたいなの考えられる気がしません…」


「その辺は普通の女子おなごじゃなぁ…そりゃあ長年かけて開発、改良されて今に至っておる手法じゃからのう、術師って言うのは大概は多少の適性でも成果を上げられるように工夫に工夫を重ねて低燃費かつ超効率を目指して考案された職業じゃ…その工夫の一つが≪術式≫じゃし、魔女のお前さんが気にする事もなかったじゃろうし、これからもお前さんが望まない限りは無用の長物じゃよ」


「たはっ!!!い、いまなにが…」


「早いのぅ、とりあえず今見せられる面白いものはこんなもんじゃが…まぁ他の物の中にもおぬしの興味を引くものがあるかもしれんしゆっくり見てゆくといい」


「そうですね、まだまだ面白そうなものが眠っていそうです!ちなみにそのレア物たちはいくらぐらいですか…?」


 ウクナが持ってきた希少物品への値段が気になってしまいついついキスアは尋ねた。


「かなり特殊なものじゃしなぁ~術式研究に使われるようなもんじゃし需要も一応高いからのう…まぁこのぐらいの値で取引されたりするからのぅ…んーで…まぁ、今だとこのくらいかの…」


 ウクナはさっと、いつも仕事で使うメモ用紙に金額の計算をしキスアに見せた。


「う、ちょっと手を出しにくい金額ですね……」


 それはキスアの貯金のおよそ10倍程になる値であった。


「まぁ単に希少なだけならそこまで高額な値段にはならないんじゃが…こいつは仕入れにくくかつ需要もあるから上げざるを得ないんじゃ…」


 落胆するキスアの腰をポンポン叩き慰めるウクナ。


「おぬしの錬金魔法が有用に活用されればいずれ自分の力で買えるようになる、わしはそう思うぞ、頑張りぃ」


「う~ん良く分からないスけどキスアさんなら大丈夫スよ!あたしの剣を直した上にすんっごく強くしてくれたんですから!」


「それはまぁ…不都合の起きない程度にほんのちょっと実験的に普段のエンチャントの延長、くらいには強化しましたけど…」


「ものを作る、直すの他にもエンチャントとは…その力、かなりとんでもないの…」


 ウクナは今までの錬金術から外れた何か別のもののような気がして、キスアの力によくも悪くも可能性を感じた。


「自分でもすごいとは思うんですけど、使いこなせてなくて、わたしの大きな課題です…」


「まぁそうじゃろうな、どの魔女でも人でも、自分の力に向き合うことはどれも大差ない、皆が一度二度ぶつかり、思い悩む問題じゃから、どれだけ小さな一歩でも、踏み込めたのなら良き事なのじゃ」


「あたしも自分の力を使いこなして剣術も強くなってブレイザさんみたいになりたいっスよ!みんな精進スね!」


「そうですね!」


「……」


 キスアたちが話している間、クゥは何を話しているのかわからなかったものの、なんとなくウクナの頭の上が気になってただじっと見つめていた。


 ――――――――――――――――――――――――――


 ウクナが出した品を見た後、キスアは他の商品を見て回り、満足したようだ。



「あまりお金を持ってきていないので今日は見るだけでしたけど、また来たら今度は色々買わせてくださいね!」


 帰り際、キスアがお礼を言いお辞儀をすると、ウクナは再びの来訪を期待し見送ったのだった。


 ウクナの店から出ると、(今度はお金と時間に余裕をつくって絶対にまた行こう)とキスアは思った。


「それじゃキスアさん改めまして服屋さんに行きましょう!ほんとはまだまだ色んなところ見せたかったスけど、ちょっと長居してしまいましたし」


 三人は今回の目的であるクゥの服を買いに歩き始める。


「トレイルさんの剣ってもしかしてここで買ったんですか?」


「そうス、師匠が訓練と実用に耐えられて、もし壊れても替えが利く程よい値段…ってのがそこの装備売り場にあったこれだったス、性能も中程度、意外に重みもあって刃が鈍いから剣術の修行にいいってことらしいス」


「剣術がしっかりしてきたらこの剣でも問題なく斬れることが指標になる…って思惑もあったのかもしれませんね…だとしたら切れ味を上げてしまったのは失敗だったかもしれません!すみません!」


「それはいいんスよ!むしろ刃こぼれしにくいんですし財布に優しいからありがたかったスよ!重みがありますからトレーニングには使えますし、狩がしやすくなってお金が入ったら安めの鈍い剣も買えますから!気にしないでほしいス!」


 トレイルとそんな話をしながら様々な売場に目移りしつつ、建物の奥にある、大きな気泡が人を包んで上下している場所へとたどり着いた。


「この中に入れば上の階層に行くことができるッスよ!泳いで上に行こうとすると床にぶつかるんでこれで跨ぐんスよ」


 と、ふとキスアが思った疑問の答えをトレイルは示してくれた。


「床とか天井は柔らかそうなんスけど頑張っても突き抜けたり出来ないんスよね…師匠に笑われたんで一応説明ッス…」


 いつかやらかした自分の失敗を、「あはは…」と苦笑いしながらトレイルはキスアに話してくれた。


「ん…、わ…っ」


 トレイルの姿越しに聞こえた声を横から覗くと、クゥが気泡の乗り物を指でつついているのが見えた。


「ん?クゥちゃんどうしたの?」


「これ食べれる?」


「これは殆ど空気スから食べられないスよ?」


「そうなんだ…」


 食べられないと聞いたクゥはすぐに興味を失ってしまったようで、キスアに抱きついて何も言わなくなった。


「帰りに食材買って帰らないとだね…」


「いっぱい食べたい」


「いっぱい買うね」


「うん」


 トレイルは二人を見ていて親子みたいで、微笑ましくて、ついつい頬が緩んでしまう。



「それじゃあ乗りましょう!そのまま気泡にぶつかれば入れるので!ついてきて下さい!」


 トレイルは歩みを進めて気泡へぶつかると、気泡の中に一瞬大量の水がばしゃりと弾けて、そして気泡の外へと押し出されるように水面の壁に波紋を立てて戻っていった。


「い、いきます!ふっ!と…」


「ん…ほわぁ~~」


 キスアは自分の乗り方に一抹の不安を感じながら意を決した様子で、そしてクゥは気泡に入った瞬間に体に一瞬纏った水の衣が、ゆっくりほどけて弾けてゆくのを間近で見て感動しながら、気泡の乗り物へと乗り込んだ。



 気泡の内部は魔術によってぼんやりとした黄金色の灯りに包まれていて、足場は黄色く照らされた薄い水の膜が水平に張られており、程よい柔らかさで三人の足を受け止める構造をしていた。


「ま、まるで浮いてるみたいです…足はついてるのに不思議な感覚…」


「…この感触、癖になるッスよね~」


 《どちらへ行かれますか?》


「二階までお願いするス!」


 キスアの話を聞きながらトレイルは、隣で足元の水膜をうずくまった姿勢で全身でムニムニムニと楽しんでいるクゥを見遣みやって微笑んでいた。



 ―――――――――――――――――――――――――――――――――


 水泡の乗り物が上昇するのに合わせて、建物の中を泳いでいる透明な魚やクラゲの姿の精霊たちが、明かりを反射しながら下がっていく光景が、まるで夜空の流星群の様に見えて、建物の外の夜空の星々と、目の前を輝く流星群がある二つの空が交わる景色に、私は息を呑んだ。まるで、空の中にいるみたい…。


 きっとその時最初に見た景色の感動を一生忘れることはないだろうなぁって、思った。


 クゥちゃんもこの光景は心に響い…


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――


「むにむにむにぃ…」


「響いてない…」


「ん、どうしたっスかキスアさん?そろそろ目的の階に着くっスよ?」


 トレイルは水泡が上昇する速度を落としていることに気付き、クゥを見て肩を落とし撓垂(しなだ)れていたキスアの方を向いて、目的の階層が近いことを伝える。



 《到着しました》


「あっ着いた。クゥちゃんいくよー!」


「ん、もうちょっと…んあ…あぁむにむにぃ…」


 キスアは床の水膜をムニムニするクゥを引き剥がして何とか立たせた。


「一度離れることで次に乗る時、より気持ちよくなるよ!だから一旦離れよう!ね!」


「わかった…次のもっと気持ちいむにむにのために離れる…」


 水泡の上昇が止まり、水泡を管理する精霊の案内を聞いて、三人は目的の階層へ移動した。



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 トレイルはキスアに目的の服屋がどんな店なのかを話しながら歩き始め、キスアもその歩みに合わせていく。そして、クゥは名残惜しそうに水泡の方を振り返りながら、二人の後をついていった。


「服屋の店主さんは色んなサイズのものをたった一人で作成しているんですか?」


「そうなんっスよ!それから、使われている生地が汚れや傷にすごく強いんス!けど製法が特殊らしくてその人しか作れないんっスよ…」


「それなのにお一人でお店を経営しているんですよね…なぜなんでしょうか…」


「うーん…人見知り……かもしれないス……大人しい感じの方っスから」


「わたしも一人で経営しているみたいなものですし、何かヒントになるかもしれません、会ったら聞いてみたいですね色々と…。きっと何か理由がある気がします」


「そっスね!それが良いと思うっス」




「…?」


「…ん」


「ふふ」


 座りながら本を読んでいた彼女はこっちに気が付いて手を振った。だからこっちも手を振ってみた。彼女はにこっとしたあと、再び本へと視線を戻した。


「クゥちゃんいくよー?ん?どうしたの?」


「ん、なんでもない」


「そ?それじゃ服屋さんそろそろだからいこ?」


「ん」


 暫く見ていたらキスアに声をかけられた。生返事をしてついていく。彼女をチラ、ともう一度見ても結局、本からまたこちらを見ることはなかった。



「あ!ありましたここです!ここがクランニさんの服屋です!」


 トレイルは目的の場所を指差し、キスアの方を向いて笑顔を見せた。


 再び訪れるのは久しぶりで、少し朧げな記憶を頼りにしていて内心不安だった…けれど無事にたどり着けて、心の中でホっと胸を撫でおろした。


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 クランニさんのお店へ初めて師匠に連れられて訪れたときは、「お前を訓練するたびに服を毎回ボロボロにしているのを見せられたら、私が悪いみたいで落ち着かん。だから丈夫なものを見繕ってやる」


 という理由で申し訳ない気持ちでいた。


 あたしのそんな落ち着かない様子を察してくれたのか、微笑みを見せて、クランニさんはあたしの手を引いて試着室に連れて行ってくれた。


 色々な服を試着させてくれて楽しかったし、心の整理もついた。穏やかな気持ちになって、師匠から一旦離れたこともあり、終わるころには師匠と明るく接することができた。


 でも…あの楽しそうな表情はたぶん深く考えてなかったと思う、絶対あたしに色んな服を着せて楽しんでた!だってフリフリの服は師匠のオーダーの「訓練用」からかけ離れてるし、私服用にって着せられた服装の上にエプロン着せてきたりしたし、メイド服や魔導士団が着る制服ぽいものとか…途中から自分の趣味が入ってたよね…?


 でも暗い雰囲気のわたしのことを気遣ってたのは伝わってきたし、その時クランニさんはまるで友達みたいに接してくれて、あれからあまり会えていないけど、そのときのままクランニさんは変わらず好きな人だ。久しぶりに会えると思うと実はちょっとどきどきしてるんだけどね。


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 トレイルは最初にクランニの服屋に来たときのことを思い出していた。


「クランニさんは、優しい人だけどちょっと変わった人ス、気を付けないと時間が溶けるっスから気をしっかり持つスよ…!」


「時間が溶けるって、人の説明では無いような…」


「トレイル…その言い方だと精神系の魔術で買わせようとしている悪徳業者に思われない…?」


「ひと…?」


 クゥは隣で棚の反物を整えてこちらを振り向く女性に何か違和感を感じて見つめた。


「あっ…すみません…聞いてたんですね…でもその認識は歪みすぎっスよクランニさん…。でもちゃんと断るところは断らないと、延々と…着せ替えしてくるじゃないスか…」


「それは…かわいすぎるのがいけないから…」


 棚から、目を伏せながらこちらへゆっくりと歩きつつ、クランニは弁明する。


「それって来る人みんなに言ってないスよね…?」


 トレイルは腰に手を当て、人差し指でビシっとクランニの方を見ながら詰め寄る。


 身長差ゆえに上目遣いになって迫るトレイルにクランニはいつもどきどきしながらも、かわいらしいからと、からかってしまう。


「大丈夫、皆に言っているわ」


 その言葉は真実ではないが概ね合っている。


「駄目じゃないスか!」


 そのことをわかっているからトレイルは条件反射でツッコミを言える。


「どうして…?みんな喜んでくれるわ」


 そんな関係を、二人は楽しんでいる。


「他の人にも着せ替えしてたら他のお客さんの相手はどうするんスか!」


「着せ替えはトレイルとか一部の人にしかしないから大丈夫よ」


「それはそれで問題がありそうな…お店の人として特定の人を優遇するのは良くないスよ!」


「言いますね…着せ替えの刑に処すわ…」


「ひええキスアさんにチェンジっス!」


 そう言ってトレイルはキスアの後ろに隠れ盾にする。


「えっえあの…?」


「ふふ、冗談なのに」


 悪戯っぽく笑って彼女は「いらっしゃい、トレイルのお友達?」と訪ねてきた。


「キスアさんは友達じゃなくて、剣を直してくれたお礼というか…これからもお世話になるつもりだからお返しがしたくて来たんスよ!」


 隠れていたトレイルが出てきてクランニに訂正した。キスアは『友達』を否定されて少し複雑な気持ちになったが、これからも付き合ってくれることを宣言する彼女に『義理堅い良い子』の印象を改めて感じた。


「お世話になるんだぁ、ふぅぅぅぅぅぅうん?」


「ど、どこを切り取って何を想像してるんスか!?」


 ほわんほわん…


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「キスアさん…そこ気持ちいいっス…!あぁぁ!効くぅぅ!」


「トレイルさんどうですか…っ私の指圧…!!」


 息も絶え絶えなキスアの呼吸音がピンクで静寂な部屋に響き渡る…。


「あぁぁああしゅごいス…めちゃくちゃ…あっあっ…ぎもぢぃぃ…あぁああああ~っ!」


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――


 トレイルの妄想は15歳にしては上出来な健全思考であった。


 一方でクランニは特に何も想像などしてはおらず、何となくこういう返しをしたら面白そうだと思っての反応をしているだけであった…。


「トレイルといちゃいちゃするのは一旦ここまで…。えと、キスアさんって言ったかしら…今日はどんな服をご所望なのかしら…?」


「うぅ…弄ばれて捨てられたっス…」


「ふふ、お二方は仲がいいんですね、えと今日はこの子の服を買いに来ました。丈夫でかわいい服…出来れば動きやすいのとかもあると助かります!」


「そう、この子……たぶん怪我とかしないわ…だから丈夫さより可愛さと動きやすさに重点をおいて探してみるわね…」


「それってどういう…?」


「わからないけど、絶対この子に汚れとか怪我とか付けられない気がするの」


「……???」


「いくつか見繕ってみるからこの子ちょっと借りてもいいかしら、正確なサイズがわかるとやりやすいから…。心配ならキスアさんも来てもらって構わないけど…」


「トレイルさんの知り合いなら大丈夫だって信じてます、その間わたしはちょっとお店の中見て回ってますね、クゥちゃん、クランニさんについて行って好きな物選んでいいよ」


「……ん、終わったらご飯食べたい…」


「そうだね、終わったら丁度いい時間かも、うん、終わったらお昼食べにいこっか!」


「うん…」


「それじゃぁクランニさん、お願いします!」


「わかったわ、この子に似合う服をたくさん見繕ってくるわ…クゥちゃんの好きな服はどんなのか教えてね…色々見て私と良い服を決めましょ…」


「ん…………クランニおっきい…」


「ん…そうね、身長は二人よりも大きいわね…」


 クゥとクランニはぎこちない会話をしながら店内を回り始めた。


「それじゃあたしたちも回りますか!」


「私生地の方見てもいいですか……!ずっと気になってて…!」


「もしかして材質とか気にしてました…?」


「はい…!」


「あは…いいスよ…なんとなくキスアさんのことわかってきました、反物や生地があるのは確かこっちス」


 トレイルは反物のエリアに向かって歩いていき、キスアも後ろを付いていった。



 ―――――――――――――――――――――――――――――――――


「ううぅぅん…うぅぅん…」


 キスアは反物を見て唸っていた。手に取った反物の手触りが気持ちよくて撫でてしまいたい気持ちに葛藤しながら、その材質に織り込まれた技術と、何か特別な素材の気配をビンビン感じて、その正体を突き止めようとじっと眺めていた。


「あの~キスアさん…どうせなら反物をいくつか買って持って帰ってから調べるのは…?」


 横からトレイルが声をかけてみるが、それでもなお唸っていた。


「買って分析するとなるとそれなりに量が欲しくなっちゃうんです…だから中途半端な数だとかえって調べたときモヤモヤしてしまいそうで…手持ちそんなに用意していないので…!」


 息を荒くしながら反物を凝視してキスアが言う。


「うぅぅぅん…じゃぁ……今持っている反物じゃなくて、一番安いものを何本か買う…ってのはどうスか…?反物は高いものだと2000エレムっスけど、安いものなら20エレムっスよ、ほらこれとかどうスか?」


 反物の売り場を唸りながらぐるりと回ってきたトレイルは反物売り場から安いものを数本持ってきた。


「反物売り場の一通りの値段もう見てきたんですか?はやいですね…!えとじゃぁ…ちょっと借りてもいいですか、その反物…?」


「もちろんいいスよ、そのために持ってきたスから」


 トレイルが反物を手渡すと、キスアは手に持った感触と見た目の質感をじっくり見た。先ほどの反物よりなめらかさは変わるものの、反物自体から感じられる不思議な気配は同様に感じられた。


「うん、こっちの方でも不思議な感覚があります…こっちを買って解析です…!」



 キスアは反物と、それからいくつか普段着と下着などを選び、トレイルは修行用の薄い生地の服と替えの下着を選んで、クランニとクゥが帰ってくるのを待った。



「二人とも、お待たせ…」


「疲れた…」


「クゥちゃん…お疲れさま、頑張ったねぇ」


 キスアは微笑み、何度も試着をしてクタクタになったクゥの頭を撫でた。


「この子に似合って可愛く、それでいて動きやすい服を選んでみたわ…こういった感じなのだけど、一度確認してみて…」


「ふむふむ…ん?これは…メイド服…?あの、趣味混じってるスよ…」


「でも下は見えないようにタイツがあるし…スカートでも動けるわ、それにその服は家で来てもらうのよ…そうしたら大丈夫よ」


「あとこれ、お人形さんのようなゴシック服…スよね?詳しくないスけどこれも趣味スよね??」


「それもお家用に…他にもちゃんと要望通りの服もあるから…」


「この服全部買います!!」


「ぇっ!?キスアさん!??」


「どれも良すぎです!!買います!!!」


 クランニの趣味はキスアの趣味と完全一致だった…。


 ――――――――――――――――――――――――――――――


「ふふ、キスアさんとは仲良くなれそうだわ、また、いつでも来てね」


「はい、また来ます!!」


 三人は買い物を済ませ、ついでにキスアは自分用のゴシック服を買い、それを着て店を出た。



「キスアさん…??なぜゴシック着たんスか…?いや!やっぱり良いス…言わなくて…なんとなくわかったス…」


 トレイルはすごい目力で歩くキスアを見て何かを察して目をそらす、ちょっと…いやだいぶ引いてしまっていた。しかし意外と似合うので何も言えない。



 水泡へ向かう途中、再びクゥは本を読んでいる女性がいたエリアを横目に通り過ぎた。女性は未だに本を読んでいて、クゥに気が付くと微笑んだ。それはまるで、『また来て』そう言っているようであった。



 水泡の所へと到着すると、クゥは一番乗りに水泡に入った。そして二人も入り、下へと水泡を向かわせた。


「ふにふにぃ…」


「ふふ、ほんとにクゥちゃんここの床、気に入ったんだねぇ、でも上に行く用事って服屋と…あと売り場何がありましたっけ…?」


「えーと、本とか、魔導書…魔道具…アクセサリー…文具…トレーニング用品…スね」


「意外とありますね……じゃぁ、また今度暇なときにウクナさんのところ見た後で二階に行ってみよう――クゥちゃんも水泡に乗せられるし…」


「良いスね!良かったスねクゥちゃん、また乗れるスよ…!」


 トレイルは屈んで、むにむにを堪能しているクゥに声をかけた。クゥは「ん、むにむに…良かった」と返し、とても幸せそうな顔を見せた。


 水宙すいちゅうの景色を再び堪能し、三人は水泡で降りる。またクゥが駄々をこねてしまうといったことがあったものの、なんとか説得し、入り口へと向かった。



「ん、トレイル…お前も此処に来ていたか」


 入り口へ向かう途中、長身の女性が声をかけてきた。


 夜に解けるような紺色の長髪をしていて、毛先が赤から黄色のグラデーションとなっている。簡素な防具で動きやすさを重視した身なり、腰にはやや細身の剣を携えていた。


「師匠!師匠もなにか買いにきたんスか?」


 トレイルはその女性へ駆け寄ると抱きつき、頬を首筋に擦り付ける。その姿は母親に甘えるそれとは少し違っていた。


 しかし、その関係性をキスアは、はっきりと理解するには至らない。ほんの少し、小骨が喉に引っ掛かるような、もどかしい気持ちにはなったものの、それはそれとして仲の良さを感じ、良いなぁと思った。


「あぁ、武器の消耗が思ったよりも早かったから予備の武器を探しにな」


 師匠と呼ばれた女性はトレイルの頭を撫で、微笑む。柔和な表情は母親のそれと同じようにみえ、仲睦まじい姿は親子であった。


「おまえは友達と買い物か…?」


 女性はトレイルに話しかけながら、向こうで様子を見つめるゴシック服のキスアの方へ視線を向けた。


「あの人はキスアさんス、錬金の魔女さんで剣を直してくれた依頼料だけじゃあたしの気持ちが収まらなかったから、何かお礼をしたくて」


「なるほど、それでこちら側に呼んだのか、初めて見る顔な筈だ…」


「あ、その…すみません私…」


 その女性の様子を見て、夜の世界は安易に来てはいけないのだとキスアは思い、謝罪しようとした。


「ん?その様子だとこの夜の世界について良く知らずに来たんだな?今日はまだ予定があるから説明する時間は無いが、うむ…君の心配事を解決出来るかわからんが…『ただ普通に大勢が来られるほどこの世界は広くないからこのように紹介制にしている』――ということを知っていればいいかな?」


「あ…その、お気遣いありがとうございます、えと…」


「マキ…スゥ…」


 言い淀んで、女性は途中で息を吸った。


「マキ…リス…さん?」


 キスアは良く聞き取れず、確認しようと、そう声を掛けた。


「そ、そうだ…マキリシア、もしくはマキリスと呼べ…」


 咳払いをし、その女性はやけに芝居がかった自己紹介をした。


「は、はい…?マキリスさんですね!トレイルさんの話に出てきた師匠さん…かっこいいです!」


「う、んん…かっこいい、か…あまり言われたことはないが…その言葉は、面映ゆいな…」


 マキリスは手慰みに側にいるトレイルの頭を撫でながら、キスアの正直な感想を受け止める。


「師匠、まだ時間大丈夫スか…?」


 抱き着いたままマキリスの顔を見上げるトレイル。


「ん、予定自体は詰まっているわけではないが、やるべきことは早く済ませたい性分だからな…。帰ったら聞かせてくれ、今日のことを」


 マキリスは愛おしそうにトレイルの頬を撫でて、微笑みを返す。


「そろそろ行く」


 マキリスは抱き着くトレイルを引き離す。少女は一瞬寂しそうな顔をしたが、再び笑顔を見せて「わかったス、晩御飯の用意して待ってるスよ」と応えた。


「自主訓練も忘れるな、帰ったら修行もするからその準備もしておくように」


「了解ス」


「ではな…」


 キスアがお辞儀をするとマキリスは手を上げてそれに応え、体の向きを変え装備売り場の方へ二人と違って歩くことなく、向かっていった。


「それじゃあ、帰りましょうか!」


「帰りに三人でお昼ご飯、どこで食べます?」


「うーん夜の世界のご飯処は…あ!終夜よもすがらってところが確か近かったスね!」


「それじゃそこにしましょう!」


「了解ス!」


「早くご飯食べたい…」


 こうして三人は買い物を済ませて、水宙のデパートを後にし、お昼を食べに向かったのだった。

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錬金の魔女と魔神ちゃん2(仮) ショコチャ @swll

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