最後の声

十余一

あとがき

 坂道の途中に、その古本屋はあった。

 西口のロータリーを出ると下り坂が続く。整骨院、喫茶店、葬儀場、美容室、そして住宅街へ続く横道と交差した角に古本屋。昭和レトロなホーロー看板がいくつも掲げられているのは店主の趣味だろうか。その合間にはステンドグラスの卓上ライトや東南アジアの木彫り人形、それから時代を感じる徳利とっくりや絵皿が顔を覗かせる。一見すると骨董品店にも見えるが、店内には所狭しと本が並んでいた。

 あの日、どうして立ち寄ろうと思ったのかはわからない。見るからに入りづらい佇まいだ。気難しい店主がやっているこだわりの店など、自分には縁遠いものだと思っていた。


 気づけば、福助人形の微笑みに導かれるようにして重いドアを開けていた。店内では窓際に並べられた古時計たちが時を刻んでいる。古本は足元から天井まで整然と、そしてみっしりと並んでいた。小難しい学術書から人気のコミックや雑誌まで、品揃えは豊富なようだ。

 幾重にも鳴り響く振り子の音を聴きながら狭い通路を抜けて、一番奥まで辿り着く。壁に備え付けられた本棚とは別に、まっ白で背の高いラックが増設されている。私はそこで一冊のハードカバーを手に取った。淡い伽羅きゃら色の表紙、素材は皮だろうか。丁寧になめされた皮の滑らかな触り心地が手に馴染む。銀の箔押しでされた装飾が、豪奢になりすぎない繊細な印象を与えている。中身は短編集のようだ。知らない作者、聞き覚えのない出版社。しかし、何故か強く心惹かれたのだ。


 その日から、私の生活に物語が加わった。毎日数分、ここではない何処かへ行き、誰かの人生を垣間見る。夏の鬱陶しい暑さを青春で吹き飛ばし、秋の物悲しさはステップを踏んで楽しむ。冬の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだら恋をして、春の暖かな日差しの中で死をいたむ。雄大な自然に目を奪われ、ひらめく花の香りに恍惚とし、愛しい人の肌に触れ、酸いも甘いも味わう。非日常の中で育まれるものがあり、日常の皮を一枚剥けばそこには不思議が潜む。過去も未来も思うがまま。時には異世界で冒険し、宇宙へも飛び立った。そうして泣き、笑い、胸を打たれた。

 必ずしもどんでん返しがあるとも限らない。だけれども、それもまた人生という気がして好きだった。それすらも愛した。作者の魂の籠った文字を、ひたすらに追った。

 全ての物語を見届け、私は作者の最後の声を撫でるように読んだ。



  ◇



  あとがき


 心情の発露、空想の具現。目に映るものや心に思うことを吐き出して文章にしてきた。走馬灯のような私小説も、風習風土を記した備忘録も、切り取られた日常の何気ない一駒も、憧れの煌びやかな青春や麗しい色恋沙汰も、不気味で不可思議な物語も、荒唐無稽な与太話も、もう、僕一人のものにするには溢れすぎていたのだ。

 自分の内側にあるものを言語化することで気持ちの整理がついたが、同時に失っていくものがあるような気がしていた。書く度に、怨念が未練が憧憬が愛慕が、魂が、抜けていく。僕の中からそれら全てが無くなり、抜け殻になってしまうのではないかという恐怖がつきまとう。全てを書き終えたら僕という存在は消えてなくなり、一冊の本に成り果ててしまうのではないか。

 普段からそんな妄想ばかりしているから、滔々と流れ出る言葉を止められない。もしも小説を書くという手段に出会えなかったら、僕は言葉と思考に溺れて息が止まっていたのかもしれない。だから方法を会得した今、ひたすらに吐いて、書き続けるしかないのだ。


 創作物に対する反応というのは、僕にとっては祈りに等しい。様々な感情を拗らせ、縺れさせ、執心した僕の魂を、天上に送り届ける一助となるものだ。

 僕の魂の一部が切り取られ、小説になる。一見すると滑稽な物語に見えても、そこには喜劇に対する執着じみた憧憬があるのだ。ましてや、それが仇討ち物や悲恋物ともなれば推して知るべし。恨み節の私小説などはその最もたるものだ。

 長い時間をかけて淀み沈んだ霊魂に、涼風と共に念仏が流れてくるが如く。浄化される。清らかな理想と残酷な現実の間で、または幻想と無情の狭間で雁字搦めになった愛執が解かれていく。

 創作は自己の表現ではあるが存在の証明ではなく、それに対する反応は許可や承認ではない。寧ろ創作とは、己を消失させていく行為と言える。僕は確固たるものとして存在していて、その内に秘めているものを小説として吐露する。読者からの感想は、僕から発生し地上にふよふよと漂ったままの不確かなものを昇華させる祈りに他ならない。


 恐らく、祈りが無ければ魂はそのまま立ち消えてしまうだろう。人間の内側にあるときには強大な影響力を及ぼす執着心も、外に出てしまえば呆気ない。当人にとっては忘れがたく何にも代えがたい執念も、他人にとってみれば取るに足らないくだらないものなのだ。閑話休題。


 仏教では執着や欲望が悟りを妨げるという。そして死者の魂は祈りによって供養される。僕は己の内にあるものを魂ごと全て吐き出して、祈りをこの身と創作物に受け、分不相応にも解脱しようというのだ。

 しかし、ここで矛盾が生じる。死者というのは、俗世の人々に完全に忘れ去られたとき、本当の死を迎える。本に成り、誰かの心に強く残るということは、即ち永遠の命を得るということだ。

 誠に身勝手なことだが、誰の記憶にも残らず消失してしまうということに寂しさを覚える。未練や執着を小説という形で昇華しようというのに、昇華されることに未練を覚え現世に執着するというのは矛盾が過ぎる。僕の魂はいったい何処に行けば良いのか。僕の魂は、迷いごと堅表紙の中に仕舞われるのだろうか。

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