第51話 狩喰園

「私、聞いてない!」

 祖母から下宿を打ち明けられるなり、両目見開き固まる虹花。

 当然だろう。家族でただ一人、何一つ聞かされていないからだ。

 あろうことか、家族全員、下宿には賛成しているのだから、反論の余地すらない。

「なんでそんな大事なこと、お、教えてくれなかったの!」

「教える状況じゃなかったでしょうが」

 またしても暢気に茶をすするご隠居。

 下宿人となる陽仁は完全に蚊帳の外だ。

「それじゃ私は着替えてきますので、ゆっくり話し合ってください」

「あとでね、おにいちゃん」

 巻き込まれるのを危惧した姉妹たちは早々と退散していく。

 妹を抱えて階段を駆け上がる姉の姿はどこかシュールだ。

「あ、逃げた!」

「なんだい、虹花、あんた、ハル坊の下宿に不満なのかい?」

「ふ、不満って、と、年頃の男女が屋根の下とか、そんなのえっと」

 先の勢いはどこに消えたのか、虹花は顔を俯かせながら声が縮こまらせていく。

「別に婿入りするんだから遅いか早いかの話だよ」

「「はぁ?」」

 今度は陽仁と虹花の素っ頓狂な声が重なった。

 自ずと目線を会わせていまい、気まずそうに互いに逸らすのであった。

「む、婿入りとか聞いてませんよ?」

「お、おばあちゃん、婿入りって!」

 すぐさま二人そろってご隠居に詰め寄っていた。

「なんだい、ハル坊が婿じゃ不満なのかい?」

「い、いや不満じゃないけど、ハルくんなら」

「問題ないなら問題でしょうが。どっちにしろ、身長高い方の家に嫁入りするか、婿入りするか約束してんだろうに」

 幼き頃のよくあるお約束であって契約ではない。

 そこに法的遵守の義務はないが、責任は、まああるかもしれない。

「お、おばあちゃんはそれでいいの!」

「婿も来て良いこと尽目じゃないの。まあ下宿は渡りに船ってやつよ。若いのが野暮なこと聞くんじゃないよ」

 呆気なく言い切られた虹花は撃沈するしかない。

「それにだ。確かに沢山の不幸があった。あたしに相談一つなく黙って裏であれこれやってた孫とその婿にあたしゃ個人的に腹が立った。けどね、今回の件でハル坊はしっかり成長した。責任とって幸せにしてくれるならチャラってもんさ」

 軽々しく責任責任と連呼されても陽仁はまだ学生の身。

 経済的自立はまだまだ先であるどころか、進路、いや通学先すら不透明な状態であった。

「ですがね」

「なんだい、ハル坊、あんた、虹花じゃ不満なのかい?」

 衰えを感じさせぬ瞳に鋭く睨まれた陽仁は言い淀む。

 不満はない。虹花に不満などない。

 問題なのは家族一同、賛同していようと、虹花の意見を置き去りにしている点だ。

「ふ、不満はありませんよ。ですけど、虹花の意見は尊重してください」

「そういうところだよ」

 ご隠居はしわだらけの顔で笑みを浮かべてぼやくだけだ。

 発言の意味が理解できず、陽仁は虹花と顔を向けるも露骨に目を逸らされた。悲しい。

「そんな風に相手を尊重する。自分勝手に言いなりにさせる奴と大違いさ。元々、あたしはあんたを内々的に孫の婿に認めたんだけど、もう一押したりなかったからね。それが今回の件が最後の一押しになった」

 奴とは誰なのか、口に出して問おうとしなかった。

「もう一度聞くよ、虹花、あんたはハル坊の下宿に賛成かい、反対かい?」

「え、えっと」

 祖母に睨まれ身を縮ませる虹花だが、俯いた顔でちらりと陽仁を見た。

 唇をきつく締めては、手の平を強く握りしめて顔を上げた。

「ない! けど、お風呂とか寝起きとかそれは配慮してよね」

「あ~わかったわかった、一緒になるよう配慮するよ」

「そっちの配慮じゃない!」

 ご立腹な孫に対して祖母はケラケラと面白おかしく笑っている。

 日頃は自他共に厳しいはずが、こっちが素なのか疑ってしまう。

「あれ、この人」

 孫をからかう祖母を横目に陽仁は本棚に飾られた写真立てに目が行った。

 旅先の写真だろうか、老婆二人が仲良く写っている。

「あの時のおばあさんだ」

 陽仁に東へ逃げろと助言を与えてくれた老婆。

 会話からしてご隠居と縁深いのは間違いない。

 元々、お礼として住所を聞く気でいた。

「おばあさん、この写真の人!」

「あん、光美みつみのことかい?」

「やっぱり知り合いだったんだ」

「そりゃ幼なじみだもんね。あんた、さっきあの時のおばあさんとか言ってたけど、どういうこったい?」

「どうもこうも」

 陽仁は怪訝そうな顔をするご隠居に事情を説明していた。

 説明する度に、顔色は益々不審となる。

「この人のアドバイスがなければ、パークから脱出はできませんでした」

「そ、そうかい」

 顔色がどこか悪く、複雑な心境が瞳に宿っている。

「え、でもハルくん、光美おばあちゃんは」

「光美なら四年前に亡くなってるっての」

 語られる事実に陽仁は言葉を失った。

「え、でも、僕、あの時、しっかり話をしましたし、手だって転んだ時に掴みましたよ。足だって走って去るほどしっかりありました。既に亡くなっているなんて」

「遠野光美、あのテーマパークのあった土地の元地主があやつだよ。あんたが嘘つくような人間じゃないってわかっちゃいるけどさ。狐か狸に化かされた、なんて顔じゃないね」

 流石のご隠居も困惑を隠しきれない。

「だ、だって城が傾いたら東に逃げろと僕に教えてくれたんですよ!」

 陽仁は困惑で瞳孔を震えさせる。

 仮に当人に化けた誰かだとしても、陽仁に助言する理由が見あたらない。

「光美のことだ。売られた土地にあんなドでかいもんができたと知ってあの世から戻ってきたんだろうね」

 死んでも死に切れぬ故にあの世から舞い戻った。

 そしてたまたま助けてくれた陽仁に助言を残した。

 もっとも今では化けた誰か、本当に幽霊だったのか証明する手はない。

「……後で光美おばあさんのお墓、教えてくれますか?」

「いいさ、ここから少し離れた郊外の霊園にあやつの墓はあるよ。今度案内してやるさ」

 陽仁は改めて写真の中の光美と向き合った。

「あの時はありがとうございました」

 助言がなければ誰一人助からず、こうしてお礼すら伝えられなかった。

(ふぇふぇ、かすみの孫と幸せにな)

 写真に写る光美の口が動いた気がした。しゃがれた声が聞こえた気がした。

 頭を振るい、瞼をこすろうと写真の人物に動きなどあるはずがない。

 写真なのだから当然であろう。

「ねえ虹花」

 ここで改めて陽仁は虹花と向かい合った。

 身長差故、どうしても陽仁が胸元の双山から虹花を見上げる形になってしまうのはやむを得ない。

「君を悲しませた苦しませたけど、その分、これからあれこれがんばって幸せにしたいと思っている。だからさ、まあえっと」

「男ならひと思いに言っちゃいな」

 ババアの横やりは断固無視した。

「これからも僕と一緒に行てくれる、かな?」

「是非喜んで!」

 返答は呆気なかった。顔を紅く染めた虹花は声をどもらせることなく陽仁の手を取っていた。

 温かな虹花の手にほっと一息の陽仁だが、ご隠居とは別の視線を感じて襖の方に顔を向ければ覗くはカメラのレンズ。

 その奥にはスマートフォンを構えた黄香がいた。

「送信」

 問いつめる前に動いた指がスマートフォンを操作する。

「この動画、お父さんたちや陽仁さんのご両親に送っておきました」

 未来の義妹の粋な気遣いだろうと、妹の行動に虹花は瞬く間に顔を真っ赤に爆発させていた。

 陽仁の両親にまで送信するなどなんて抜け目なく恐ろしい子。

「こ、黄香、な、なんてことを!」

「実妹であり義理の妹として気を使っただけです」

「消しなさい!」

「もう送信済みですので消しても無駄です」

 妹のお痛を咎めんとする長子。

 その姉から逃げる次子。

 それを横目に、ちゃっかりと陽仁の膝の上に座っては、ちゃぶ台の上にお菓子を広げている末っ子。

「おにいちゃん、おやついっしょにたべよう」

「あーでもね」

「ほっときな、久方ぶりの姉妹喧嘩だっての、しばらくしたらどっちも根をあげて鎮まるもんさ」

 ドタバタとやかしいやりとりが、どこかほほえましく感じ、取り戻した、取り戻せたのだと陽仁は実感する。

「縁は切れても終わらないか」

 紡がれるだろう。紡ぎ続けるだろう。

 切れる縁があれば切れぬ縁がある。

 先行きは不透明だろうと、二人ならきっと進んでいける。

 行けるはずだ。


 それから一年後。

 一冊の本が出版され、一世を風靡する。

 トリニティーパークにて自身が体験したこと、見聞したことを書き記したノンフィクション本。

 筆者の名は立花潤太。

 フォトジャーナリストとして自身もまた事件に巻き込まれた一人だ。

 冒頭にて彼は一人の少年に対し敬意を払う箇所があった。


<彼は絶望に陥ろうと、膝をつこうと、獣に追われようと生きるのを諦めなかった。もし彼が諦めていたら私たちは今を生きていないだろう>


 また立花は印税を被害者に全額寄付することを明記していた。

 今なお苦しむ人々が少しでも助けになればとの祈りを添えて。

 出版された本の名は――


狩喰園カルクウエン


<完>

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カルクウエン~絶縁パーク~ こうけん @koken

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