第50話 新たな門出

 虹花が学校に行かなくなって二ヶ月が経った。

 いや正確には行きたくても行けないが、正しいだろう。

「もうイヤ」

 ベッドで仰向けに寝そべる虹花は呪詛を吐く。

 高校は実質休校、課題は出ているため一応は手をつけている。

 ただ肝心な授業は教師不足で行えずにいた。

 友達や級友に会いたくとも連絡が取れずにいる。

「ハルくん、ライくん」

 何度二人の名を呟いては、枕を濡らしたか。

 ただ寄りを戻し昔のように仲の良い二人に戻って欲しかった。

 現実は、縁が切れ、一人は重体、もう一人は行方不明だ。

 見舞いに行きたくとも、話題の生還者の一人であるため迂闊に外を出歩けない。

「おばあちゃんの話じゃ経過はいいらしいけど」

 浮かぶのは陽仁ではなく立花の姿。

 一躍時の人となった立花は週一の割合で鬼流院家を訪れている。

 両親ではなく祖母と何かやりとりをしており、意を決して祖母に聞けば生存者たちの連絡役として動いて貰っているときた。

 立花はマスメディア側であってか、他のメディアを上手く撒きながら生存者一人一人と連絡を取り合っているらしい。

 相手もまた共に死地を脱した仲間意識もあってか、立花相手には快く会ってくれているそうだ。

『陽仁くんは無事だよ。経過もいいみたいだ。リハビリ次第じゃ、近々退院できるんじゃないかな?』

 曖昧に濁しながら立花は教えてくれた。

 ただ表情から教えていいものかという躊躇の色があったのを忘れない。

「お見舞い、行きたかったけど」

 ちょっとコンビニまでと一歩外に出た途端、隠れていた多数の報道陣から質問責めに遭い、逃げるように家に舞い戻った。

「どうしてこうなったんだろう」

 頭では理解していようと、口に出さずにはいられない。

 テーマパークの一件が全てを変えた。

 楽しい日々が一瞬で裏返り、これからを奪われた。

 スマートフォンには触れていない。触れる気が起きない。

 一度触れれば、知りたい欲求に囚われ、ありもしない情報やデマに右往左往されるのが目に見えているからだ。

 実際、気遣った祖母より、見ないようにと釘を刺されていた。

「学校だって前みたいに通えないし」

 両親の話では廃校はほぼ確定。

 転校や入学辞退者が出続けているため、学校として機能しなくなった。

 生徒の受け入れ先を各学校と協議しているようだが、今なお宙に浮き、進んでいないときた。

「仮に通えるようになってもハルくんはどうするんだろう」

 当人はアメリカには行かないと言っていたが、状況が許すはずがない。

 心情を踏まえれば苦く辛い思い出がある地ではなく、新天地でやりなおしたほうが心身共によほど良い。

 遠く離れるのは虹花として寂しくはあるも一生会えなくなるわけではないのだ。

「ハルくん、会いたいよ」

 まだ想いを伝えていない。約束を果たして貰っていない。

 胸が苦しい。サイズが変わろうと、この苦しみは変わらない。

 一筋の涙が頬を伝った時、下から破裂音と衝撃音が立て続けに響き、咄嗟に半身を起こしてしまう。

「な、なにっ!」

 あり得ない音に虹花は軽くパニックとなる。

 今日家には祖母がいる。

 時間的に二つ下の妹、黄香こうかは学校に行っているし、一二下の白芳はくかも幼稚園のはず。

「まさかおばあちゃんが倒れたの!」

 日頃自他共に厳しい祖母だが歳を重ねている。

 うっかり転んで腰を打ち付けたのかもしれない。

 居ても立ってのいられない虹花は部屋を飛び出せば、音源である祖母の部屋へと急いで階段を駆け下りる。

「おばあちゃん無事!」

 襖を勢いよく開けた瞬間、あり得ぬ光景に身と目を固まらせていた。

 白芳がいるはずのない来客に馬乗りとなり、頬をペチペチ叩いている。

 その傍らには澄まし顔で右手をパタパタ降る黄香。

 手の平は赤く、来客の顔を見れば左頬に見事なまでの手形が刻まれている。

「お、おばあちゃん、こ、これはいったい……?」

 そして異様な光景だろうと暢気に茶をすする祖母に現状を問わずにいられなかった。

「なんで、ハルくんが、いるの?」

「なにっているからいるんだよ」

 虹花の求める解答になっていなかった。


 入院から二ヶ月、リハビリにリハビリを重ねた陽仁は退院の日を迎えた。

 陽仁は担当医や看護師に見送られ病院を後にし二ヶ月ぶりの帰宅を果たす。

 帰宅するなり飼い犬二匹に飛びつかれ、顔をなめ回される歓迎を受けた。

「ちょっと痕残ったな」

 久方ぶりの自宅にて、陽仁は鏡の前に立っては苦笑する。

 火傷による身体の負傷は痕なく完治しようと、額左側の痕は消えずに残っている。

 医師曰く、消えるのには時間がかかるとのこと。

 一応は入院生活で伸びた前髪で隠せば目立たないだろう。

「さてと行きますか」

 テーブルの上には両親からの書き置き。

 陽仁が入院している間、下宿先を決めてくれた。

 両親の本音を言えば家族でアメリカに引っ越ししたかったようだが、息子の意志をくみ取り理解してくれた。

 一人暮らしではなく下宿なのは、親心だと受け止めたい。

「この住所に一人で行くようにか」

 なんでも下宿先のオーダーらしい。

 両親は既に挨拶を済ませ、仕事の合間に荷造りを進めている。

「ルズやタンも一緒に良いとか、良い人なんだろうな」

 両親の交渉のたまものか、はたまた下宿先に犬好きがいるからか、おそらく両方かもしれない。

 ただ違和感はあった。

「この住所、どっかで見たな」

 近所なのは違いない。違いないが、違和感を拭いきれない。

 ただ現地にたどり着けば違和感は解決すると前向きであるも、現場にてただ声を失うことになるのは五分後である。


 そして今に至る。

 陽仁は仰向けに倒れたまま、腹に跨がる幼女にペチペチ頬を叩かれていた。

「えいえい」

 かわいい声の白香に陽仁は左頬に痛みを走らせながら、ただ困惑する。

 ほんの数分前の記憶に意識を押し戻した。

「は、な、何で、ここ?」

 下宿先に記載された住所は自宅近くの鬼流院家。

 住所を確認しようと間違いない。

「ようやく来たかい、突っ立ってないでとっとと入りな」

 玄関ドアが開くなり、ご隠居自らお出迎えである。

 困惑するしかない陽仁は促されるまま敷居を跨いではそのまま和室に通された。

「僕は、下宿先にご挨拶に来ただけなんですけど」

「住所は間違ってないよ。なんたってここがあんたの下宿先なんだし」

 テーブルを挟んでお茶を差し出すご隠居は呆れ顔で言う。

「あんた、仮にもご近所さんの住所、知らなかったのかい?」

「いやだって、年賀状とか、この家のポストに直接投函ですし、まさかの下宿先がこの家だと思いませんって」

 呆れ顔で皴の増えたご隠居に陽仁は困惑するしかない。

「一応聞いておきますけど、ご家族は僕の下宿についてどう思っているんですか?」

「そんなもん、虹花以外賛成だっての。娘夫婦は息子ができた、二人の孫は兄ができたとか喜んでるよ」

 つまるところ、虹花の妹たちも賛成なのは以外であった。

「なら肝心な虹花は?」

「あれ以来、ずーっと部屋に閉じこもっててね、話すのが後回しになっているだけさ」

「げ、元気なのは確かで安心しました」

 ただ不安は消えない。

 男女比一対九の鬼流院家に男が下宿する。

 世間に対する醜聞も含めて、下宿はいいのか不安は積み重なる。

「正直言うと顔合わせたあんたにあれこれ言いたかったけどね」

 ご隠居の纏う空気が軋む。

 底冷えするような恐怖が陽仁の全身を血流に乗って走る。

 この感覚を陽仁は身に染みて知っている。

 いたずらがバレ、尻叩きと説教が同時に襲うパターンだ。

「まあ一言だけ言わせてもらうわ。あんた、あれこれ準備している一年の間で虹花が先に抱かれていたらどうしてたんだい?」

「それは大丈夫だと信頼していました」

 幼なじみとして根拠ある信頼だと陽仁は顔引き締めて答える。

「その根拠は?」

「誰かさんに似て、虹花、結構頑固で譲らないところありますから、絶対に拒み続けると確信していました」

「あ~確かに、あの子、娘に似て結構、頑固なところあるからね」

 ご隠居は納得するように笑って見せる。

 遠回しに、孫娘の頑固さは娘を介して祖母譲りだと、ご隠居の自覚はあるようだが、口に出さないのに陽仁は背筋伸ばして警戒してしまう。

「まあ、本音を言えば、あんたを一発は引っぱたいてやりたかったけど、かわいい孫たちから止められたわ」

「あ~際ですか」

 陽仁は安堵するように息を吐き、伸ばした背筋を緩ませる。

 ここ数年顔を合わせていないが、ご隠居も人の子。かわいい孫には勝てぬようだ。

「ただいま戻りました」

「ただいま~」

 玄関のほうより、かわいい孫二人の声がした。

 間違いなく虹花の妹、黄香と白芳だ。

「ほら、帰ったら手洗いうがいをしっかりしなさい」

「は~い」

 襖越しに聞こえる姉妹のやりとり。

 間をおいてはかわいらしい足音がこちらに近づいてきた。

「おばあちゃん、おにいちゃんきた~? きてた!」

 元気よく開かれる襖。

 そこには虹花を幼くしたような幼稚園の制服姿の子供が立っていた。

 すぐ後ろには虹花の目つきをややシャープにしたセーラー服の少女。

「お久しぶりですね、陽仁さん」

「あ、あはは、お久しぶり、黄香ちゃん、し、身長伸びたね」

「ええ、一七〇ジャストあります。お陰でバレー部では大活躍です」

 末っ子は爛漫としているが次子はどこか淡々としていた。

 記憶にある姿では次女は虹花に似てどこか控えめで、何かと姉の後ろに隠れていたはずだ。

「あれこれ言いたいことはありますけど、これだけは先にしておきます」

 ただ一歩、黄香が和室に足を踏みただけで陽仁に鳥肌が走る。

 先に言っておきますではなく先にしておきますの意味。

 その身を持って知ることになる。

「ぶおっ!」

 鮮烈なビンタが黄香より陽仁に炸裂した。

 流石バレー部。ボールをレシーブする要領で手首のスナップを効かせて陽仁の頬を張りあげた。

 中学生ならぬ威力に陽仁は半身を背中から畳に倒れこませた。

「次いで」

「とお~!」

 ビンタ一発で終わりではなかった。

 風鳴りに次いで影が射したかと思えば、園児が腹の上に落ちてきた。

 姉が妹を陽仁の腹に向けて投げたと気づいたのはその直後。

「がっ!」

 小さき子といえども体重はバカにできない。

 日々成長する子供の一撃は腹から背を貫き、和室に振動を走らせた。

「やれやれ」

 ご隠居は孫二人の行動を咎めるどころか暢気に茶をすすっているときた。

「姉さんを散々苦しませた罰です」

「ばつばつぶっぶ~!」

 白芳は陽仁に馬乗りとなったまま口元で指で×印を作る。

 後、腹の上で身体動かすのやめてくれませんか。

 ヘソにクルので。

「か、かわいい孫から、と、止められたって、こういう、ことか、うっううっ」

 祖母は手を出すなという意味だと身を持って痛感した。

「二人して止められたのさ。まあやるならしっかりやりなって背中は押してやったけどね」

 確かに孫に甘いおばあちゃんである。

 想いを汲み取り行動を促すなど祖母の鑑だ。

「それとね、おにいちゃん」

 本音を言えばどいて欲しいのだが、伝えたいことがあるようだ。

「ユミちゃん助けてくれてありがとう」

「そうか、友達だったね」

「うん、しょーがっこーもおなじになんだよ」

 赤く腫れた陽仁の左頬をペチペチ叩く白芳。

 そろそろどいてと言い掛けた時、階段からドタバタと騒がしい音がした。

「おばあちゃん、無事!」

 虹花が姿を現してから今に至っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る