第49話 会いたい

 エレベーターを降りようと看護師二人は立花を挟み込むような動きで離さない。

 この程度で辟易しない立花であるが、相手の仕事だと割り切るしかなかった。

「入りますね」

 件の病室に入室する寸前、看護師の一人が扉をノックした。

 入院患者の名前はあえて口に出さない。

 扉には面会謝絶の札はあろうと入院患者のネームプレートはない。

 病院側による報道陣対策であった。

 ノックの応答としてブザーが中から響く。

 立花は前情報を仕入れているとはいえ、ブザー音に良い顔をしなかった。

「調子はどうかしら?」

 呼びかける看護師に続く形で立花は入室する。

 久方ぶりに対面するベッドの上の少年、十田陽仁の姿に痛ましさを覚えた。

 ミイラと目を疑わんばかりの包帯とギブス姿。

 ベッドの脇で規則的に電子音を発する医療機器。

 右腕や鼻から伸びる管。

 口元には酸素マスクがつけられ、唯一動かせる左指薬指がタブレットを弾く。

<はい、だいぶいいですよ>

 タブレットに文字が表示される。

 利き腕でないため、ひらがなだろうと意志疎通が行えていた。

<ひさしぶりですたちばなさん>

「や、やあ久しぶりだね」

 立花は作り笑いで咄嗟に誤魔化した。

 事前情報があろうと実際に目の当たりにすれば誰だって言葉を失う。

 火傷により皮膚や喉はやられ、殴り合いの末の全身骨折。

 生きているのが奇跡だと看る者が看ればそう答えるだろう。

「一応、お知り合いみたいだけど、何か変なことしたらすぐ呼ぶのよ」

<だいじょうぶです。たちばなさんはそんなひとじゃないです>

 警戒の目尻を緩めぬ看護師と比較して、包帯の隙間から覗く瞳が柔和の色彩を宿していた。

 看護師は入院患者を尊重するも立花を警告するように一睨みして退室する。

「経過はいいみたいだね」

<おかげさまで>

 立花は空の花瓶に持ってきた花束を入れる。

 花束を生け終えればパイプ椅子に腰を下ろしては愚痴を口走っていた。

「今回の件で顔が知られすぎて商売上がったりだよ」

<でもそのおかげでぼくたちはぶじです>

「君が無事じゃない」

<ぼくはいきています>

 痛ましい姿で、と立花は言い掛けるも苦い顔で飲み込んだ。

「君が言うのなら」

 生きていれば次に繋げられる。

 経過が良いため以前と同じように出歩くことできる。

 そうして今の彼には現状を生き抜こうとする意志がある。

 強いなと思おうが、口には出さなかった。

「これ、みんなから預かった」

 立花は思索を切り替え、ベストから輪ゴムで束ねられた手紙を取り出した。

<みんな?>

「あの時、一緒に脱出した人たちからの手紙だよ」

 鬼流院家を通じて一人一人から立花が預かった手紙。

 中身は当然知らない。

 当たり前である。誰もが陽仁宛の手紙だからだ。

「もう少し落ちついたらゆっくり読めばいいよ」

 現状では目や指一本を動かすだけで精一杯のはずだ。

 入院患者に無理強いはご法度だ。

<そうだたちばさんにききたいことが>

「なんだい?」

 包帯より覗く陽仁の瞳は揺れている。

 聞くべきか否か、揺れている証明であった。

<そととかどうなってますはてな しゅういのじょうほうとか>

「外の様子ね」

 タブレットがあろうと察するに文字入力に特化したオフライン仕様なのだろう。

 一応病院内にはWi-Fiがあろうと他の入院患者の容態を含めて談話室など一部のエリアしか使えない。

 自力移動のできない陽仁にはネットワークを介しての情報取得は無理があった。

「まああれこれ大変なのは確かだよ」

 立花は自身が知り得る情報を慎重に選びながら説明に入る。

 まず、トリニティーパークの運営元である三企業に対する責任問題。

 互いが互いに責任を擦り付けあうお約束はなく、相応の賠償を行うと合同記者会見で発表する。

 パークからの避難や救助を妨害し、犠牲者を増やす要因となった団体に対して多数のメンバーが逮捕された。

 次に脱走事件の発端となったタワー倒壊。

 事故調査委員会によれば、地盤が一定の重量と振動にて建造物を傾かせる現象が起こるとの調査結果があがっている。

 特にタワー周囲のホテル三棟は揃って垂直に一〇〇メートルも沈下しているのが判明した。

 特異な地盤だと専門家が首を傾げるほどだ。

 ただこの垂直沈下のお陰でホテルはタワー倒壊の影響を免れ、ホテルスタッフの延命に繋がった。

 次、動物たちの血液から大量のカフェインが発見される。

 異常興奮の原因はエナジードリンクの大量摂取だと発表された。

 ただいつどこで摂取したのか、防犯カメラデータ喪失にて発端は謎のままだ。

 招待客やスタッフの多くが犠牲となった中、今なお多くの行方不明者がいること。

 動物の多くが殺処分される中、行方が掴めていない動物もいる。

 この地より遠く離れた他県の住宅街に虎が昼間から堂々と闊歩したのは大ニュースとなった。

「後は学校のことかな」

 伝えるべきか、伝えぬべきか一瞬悩んだが、当人だからこそ伝えねばならないだろう。

 特に立花自身、仕事として調査に関わった身。

 契約満了につき陽仁に対する守秘義務はもうない。

「君の通っている高校、下手すると廃校になるかもしれない」

 陽仁から文字の返答はない。ただその目が理由を求めていた。

「生徒教職員含めて招待客は二三五名。うち一七八名が生存。死亡は一九名、行方不明者は三八名。一学年のおよそ四分の一が戻らぬ犠牲者となったこと。仮に帰還しようと重傷や後遺症により日常生活を困難にしたこと。入学辞退者が多数出ていること。君に関する学校絡みのいじめ問題が拍車をかけてほとんどの保護者が転校を希望したことが大きい」

 学校サイドは対応に追われていた。

 合格者の入学辞退は今後の運営に響くほど大きい。

 どうにか転校を押し留めようとするも、件のいじめ問題を保護者に突かれ転校を認可せなばならぬが、受け入れ先すら見つからぬ現状。

 保護者対応だけでなく各学校との協議と問題は山積し、人手不足も重なって遅々として進まず時間だけが無駄に過ぎていく。

「君の通っていた中学も似たような現状だね」

 もう呆れとため息しか出ない。

 いじめに荷担した生徒の中には犠牲者もいるため、処分を下すどころか聞き取り調査すらできずにいる。

 ただ調査結果にて陽仁がどうにか志望校に滑り込めたカラクリは、一部の教師が校長や担任の目を盗んでギリギリのギリギリで成績や内申書を本来の正しい形に戻していたのが理由であった。

「これが今、外で起きていることかな」

 一通り語り終えた立花は深く椅子に腰掛ける。

 一服したいが、生憎ここは病室。喫煙厳禁である。

<こうか、はどうなりましたはてな>

 命を張って救った幼なじみを案じるのは当然だろう。

「元気だよ。毒の後遺症もなく一週間ほど大事をとって入院。無事に退院している。今は学校があんな状態だから自宅待機状態だね。まあ彼女からの手紙もあるから詳細はそこで」

 伝えるなり、陽仁から深い深い呼吸がくぐもって漏れる。

 気が気で仕方なかったのだろう。知りたくとも知ることができず、自力歩行すら行えない状態。共に脱出した者たち全員が無事だと聞かされていようと、無傷だとは一言も伝えられていない。

「後はね」

 立花は声を潜めるなり、陽仁の耳元で囁いてきた。

「君の友達の安否だ」

 当然のこと陽仁から怪訝な瞳で返される。

 そう、陽仁に友達はいない。かつてはいたが今はもういない。

 縁は切れた。切った。もう赤の他人。顔を知る程度のただの人だ。

 瞬間、陽仁は両目を見開き、心臓を跳ね上げた。

 異常なまでに上昇した心拍数をキャッチした医療機器がアラートを鳴らす。

 事態を把握した看護師が部屋に突撃するのは必然である。

「なにをしたんですか、あなたは!」

 一人、また一人と看護師が大挙して押し寄せ、数にものを言わせて六人の看護師が立花を病室から引きずり出す。

「い、いや誤解! 誤解だから! 私はただ陽仁くんが望んだ情報を提供しただけで!」

「言い訳無用! 出て行ってください!」

「あ、最後にこれだけは伝えさせて! 彼は君以上に重篤だ! もう一人でまともに歩けないし――」

「はい、退場! レッドカード!」

「大至急先生を呼んできて!」

「もう呼んでます!」

 あれやこれやと見事な連携を重ねる看護師たち。

 一人病室の外に放り出された立花はそのまま尻餅をつく。

「まったくあなたは彼になにを言ったんですか!」

 看護師の一人が腕を組みながら立花を睨みつける。

「単に彼の友達、いや元友達の安否について伝えただけだよ。この病院の特別室で絶賛入院中だって」

 正直に答えるなり看護師の目尻が怒りに染まる。

 怒りは伝播し看護師たちは立花を取り囲んでいた。

「どこからそんな情報を!」

「トップシークレット」

 囲まれようと立花は笑みを崩さず、あっけらかんに返す。

 仕事で培った技術を晒け出すのは三流未満である。

 実際は、この病院に勤める看護師家族の友人知人の更また友人知人経由で得た情報だったりする。

 確かに医療従事者だからこそ患者の個人情報漏洩は御法度。

 職務倫理規定コンプライアンス以前の問題である。

 ただ人間というのは知ると教えたがる性質がある。

 王様の耳はロバの耳が典型的な例だ。

 職場では口が堅かろうと、家族など信頼における相手の前では口を開いてしまう。

 伝えた次の相手に職務倫理など関係ない。

 だからうっかり喋って他人が知ることになる。

 この手の手法は芸能界にも通じるもので、交際や浮気など、馴染みのバーの経営者の友人知人の線から入ると案外手に入る情報であった。

「じゃ俺はこれで!」

 三十六計逃げるにしかず!

 強かな足で床を蹴り上げた立花は一目散に看護師包囲網から離脱する。

「病院内では走らないでください!」

「失礼しました!」

 当然のお叱りが脱兎の背中に突き刺さった。


(あいつが生きている)

 担当医の診察を終えた陽仁は鋭い目尻で天井を見上げていた。

 容体は異常なく、心的ショックが原因だと診断される。

 ただ担当医は、相手が相手だけに察してか敢えて深く聞こうとしなかった。

 陽仁もまた事態を整理し切れていないため、単に外の情報を教えて貰ったとしか返していなかった。

 容体が時間経過で落ち着いてきたのも大きかった。

(生きて、いたのか)

 無意識が右手を動かした。ただギブスで固定された手は動かない。

 炎の中、顔に叩き込んだ拳。

 その感触は昨日のことのように残っている。

 生存を喜ぶべきだが、既に縁は切れた。

 他人が生きていたという感覚しか浮かばない。

(もうどうでもいいことだ)

 誰が生きていようが、誰が死んでいようが関係ない。

 縁は切れた。断ち切った。

(今更だけど、僕のこれは縁切りの代償なのかもな)

 そう当てはめれば当てはまってしまう。

 死にたい願いは縁により裏返り、生きたいと願うようになった。

 生き抜いた今、どうにか生きている状態は願いの代償としか思えない。

(これからどうなるんだろう)

 ただ生きるために進んできた。

 立ち止まっている今、前が、これからが見えなくなった。

 代わりに進んでいた時には見えなかった周りが見えるようになろうと、どう進めばいいのか、先が見えない、分からない。

(虹花、会いたいよ)

 分からずともこの想いだけは絶えず燻り続けている。

 今は会えぬ想い人の姿を一目だけでも見たかった。

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