割り切れない幸せ
@TheYellowCrayon
第1話
『21世紀中盤、晩婚化に歯止めが効かない国内ではなりふり構わない不貞行為が常態化。もはや結婚生活は形骸化していた。そんな中、政府は「健全な再生産」をスローガンに大規模な刑法改正を断行。これにより不倫と見做される行為に及んだ者は明確に裁かれる事が決められ、施行以来多くの逮捕者が出現した。』
都内某所。警察庁取調室。
窓のない部屋には男が2人、中年の刑事と若い容疑者が向き合っていた。刑事は色黒で顔の皺が目立つ。どこか厚みを感じさせる顔立ちだった。
「犯行に及んだ相手は?」
刑事は容疑者に問うた。
「女です」
「犯行の目的は?」
「女と会う事です」
容疑者は答えながらも、目線を下に向けたままこちらを見ようとしない。パイプ椅子に腰を落として姿勢を崩さないこの男は20代後半、目は二重で高い鼻から左右に色白でシミもない頬、髪型はマッシュに似ているが整髪剤で固めたように髪の毛が小さな束を作っている。いかにも韓国系というか、ワイルド系ではない。着ている服も、白いモコモコした上着だった。
刑事の人生を通じてあまり関わって来なかったタイプの容姿をしている。そこがどうも落ち着かない。今はただ誘導尋問を進めることに集中しよう。
「ではなぜこの女性をターゲットにしたんだ」
「別に彼女である必要はありませんでした。誰でも良かったんです」
誰でも良かったというのは、衝動的な犯行に及んだ人間が事後に口にしたがるセリフだ。ここは追求せねば。
「では梨奈さんである必要はない。彼女は快楽を得るための手段に過ぎないという事だな?」
「まあ、そういう面もありますが。彼女を意識していなかった訳ではありません」
「意識だと?つまり恋愛の対象だったと認めるのか」
「まあ、一緒に楽しい時間を過ごしていた間柄です」
彼は相変わらず前を向こうとしない。
「では不貞行為と分かっていて梨奈さんに手をかけ、夫婦関係に干渉した事を認めるんだな?」
「はい。ですからそこは否定しません。罪である事は認めます」
「夫婦関係を破壊した事に罪悪感はないのか?」
「ない。彼女と過ごした事実には満足している」
やたらと思い切りのいいやつだ。そんな態度に、刑事は感情を抑えていた。こいつは所謂「無敵の人」タイプかもしれない。刑事はそういう人間のことが嫌いだった。まるで開き直ったかのような態度。自分の決断に悔いはなく、まるで自分の悟りはここですよとでも言いたげな清々しい表情。そんな人種は、刑事の人間観を逆撫でするのだ。彼は、人情や善意は誰にでもあると固く信じている。根はみんな一緒なのだ。心があれば道を外れる事はない。しかしこの手の犯罪者は、まるでこの犯行こそが自分の心ですよとでも言いたげだ。彼ら「無敵の人」は、独自の哲学で武装したり集団から距離を置いたりする事で自分の倫理観を麻痺させ、自分の汚してしまった手を綺麗だと言い続けたいのだ。そんな人間を醜いと思わない方が滑稽ではないだろうか?この正当化の天才どもが。だがそんな感情を表に出してはならない。
「随分落ち着いてるな。君、これが初めてじゃないだろう。今まで何人手をかけてきたんだ」
「人妻に、ですか?」
「それ以外何がある」
「…答えたくありません」
「そうか。よし、なら先に君の犯行動機について掘り下げていこう。なぜ他人の妻に手を出そうと思ったんだ?いつからだ?」
「なんとなくですよ。興味が湧いたから」
「犯罪でもか?」
「当時は犯罪じゃなかった。刑罰化されたのは去年でしょう?僕が既婚者の女性と出会ったのは2年前です」
「なるほど。だが、不貞行為である事は当時も変わらなかった筈だ。なぜ?どうして人妻だったんだ?君くらいの歳なら同世代の女の子でも良かったんじゃないのか?」
「それはなんと言っていいか…。都合が合う人がたまたま既婚者の彼女だったんです。そこからは一緒に居たいから居ただけだ」
青年は時折、目線をこちらに向けて訴えかけてくる事があった。そんな時、語気は強まり敬語が消える。
「都合とはどういう事だ?」
「ええ、お互いが会える日時とか、あとは…」
「あとは何だ?もう隠す必要もないだろう」
「…利害の一致です。週休2日の僕が週末だけ女性と会って過ごすには、彼女が丁度いいと思いました」
「うん、なるほど」
「僕は週末だけ一緒に過ごす生活を平行線で続けられる関係が欲しかった。僕は平日は仕事の束縛があるから週末の癒しとして、また面倒なこともなくお互いが求め合って過ごせる関係が欲しかったんだ」
「ああ、だがそれはあんたの利害だろう。一致とは」
「話しますよ、刑事さん。相手も同じような状況なんですよ。旦那とか家庭っていう、変化しない条件下で癒しとなるような恋愛を探してる。それは僕が、平日を労働で犠牲にする事で今を生きてるのと似てるんだ。要はお互いに割り切った関係を続けたいんですよ」
「ふむ」
話すようにはなってくれたが、まだまだ見えてこない。いや、むしろピンと来ない。それだけの動機を聞いてもそれが犯罪へ踏み切る理由となるようには思えないのだ。とりあえず、相槌だけで今は聞きに徹しよう。
「理由は以上です」
「それだけ?利害の一致というメリットがあったにせよ、リスクがいささか大きいんじゃないかと思うけどねえ」
「フツーに会いたかったからだよ」
「なに?」
「梨奈といる時間が楽しかった。週末はいろんな場所に一緒に行った。楽しかった。最初は都合のいい割り切り位に考えてたけど、それだけだと飽きてしまう。梨奈との関係が続いたのは、いつも会いたいという気持ちがあったからだ」
なるほど、「会いたい」というのが動機だという姿勢はあくまでも崩さないようだ。愛が道理を超えたとでも言いたいのだろうか?
「でも、今じゃあもう終わった事です」
「うん、わかった。それでは少し戻そう。君は夫婦関係を破壊した事に罪悪感はないと答えた。それも、『一緒に居たかった』で片付けられるのかな?」
「一緒に居たかったのは僕だけじゃない。彼女も一緒にいる時間を求めてくれたからです」
「つまり一緒に望んだ結果だと?どうしてそう言い切れる?」
「…当たり前じゃないですか。お互いが理解しあって関係は作られるものでしょう?」
「あー、そうかもしれないがね。君、これは犯罪なの。裁かれることも理解した上でなぜその関係を築いたのか、私は理解に苦しむんだ」
「梨奈の本当の気持ちが分かるのかと言われれば自信はない。ただ、彼女から旦那との冷めた関係とか、離婚は許してもらえないとか色んな話は聞いていたよ。そうやってお互いが開示していくうちに、求め合っていた部分があったんじゃないかな」
「そうかそうか。君と梨奈さんの関係についてはよく分かったよ。ただ私が聞きたいのはね、それがなぜ犯罪へ繋がるのかということなんだ。既婚者と関係を持つことがいかに危険な事であるかはニュースを見てもわかるだろう」
「分かってるよ。分かってないわけないじゃん。でもそれは、なんて言っていいのか…」
「君が犯した事で社会は影響を受け、君の周囲の人間にも迷惑がかかるんだぞ」
「そうですね。その通りですね」
容疑者は少し自信を無くしたような声でそう言った。そして、
「…何が罪になるか、か」
今度は何かを考えているようだ。
「なんだ?」
「刑事さんが求めてる答えは何なんだろうって思ってさ。僕は梨奈との関係を話してきたけど、どうも刑事さんの求めてるところとは違う気がする。何で『それで犯罪に至ったんだ』って事を知りたいんでしょう?」
「もちろんだ」
「じゃあ僕がこれ以上話せる事はありませんよ。もう、なんて言っていいかわからない」
そう言って青年はため息をついた。犯罪動機を明確に洗い出すのは刑事の仕事だ。この手の犯罪は皆、彼女が好きになってしまったとか、感情に訴えかけてくる奴がほとんどだ。だがそれが許されるなら社会は要らない。基本的な道徳心を踏み倒してしまう彼らは稚拙と言わざるを得ない。
さらに刑事は、犯罪動機として別の可能性を感じていた。それはこの社会に対するアンチテーゼとして、敢えて人妻というタブーを犯しているのではないかという事。要は反社会的な動機だ。この容疑者は手をつけた女が多い。そこも少し匂うのだ。
「君は関わってきた女性が多いね」
「ええ、まあ多いのかな」
「既婚者も多い」
「どうでしょう」
「私はどうも腑に落ちんよ。どうしてこれだけのリスクを犯せるのか。まるで、新刑法に反抗しているかのようにも見えてしまう」
「法律に対して思うところはありますよ。こんな法がなければ良かったとも思います」
「ふむ。どうも私はね、君に何か危険なものを感じるんだ。疑り深いようで済まないがね」
「ええ、構いませんが。でも、ちゃんと答えればこの部屋からも出してくれますよね?」
「もちろんだ。ではズバリ聞くが、この不貞行為に反社会的な動機はあったのかな?」
「反社会的な動機?」
「そうだ。例えば人妻と会う事で社会のルールを一人で犯しているという、ある種の背徳感であったり…」
「ない事はないかな。正直、出会って間もない頃は、梨奈の家の話とか旦那の話とかを聞くのはとても新鮮な事で刺激を感じていたと思う。僕は未婚ですからね」
刑事はまた苛立ち始めていた。どうも思うような返答が来ない。お前がその時その時感じていたことなどどうでもいい。私は目的が知りたいんだ。刑事はそう思っていた。
「つまり世間の現状に納得がいかず、自分からまだ見ぬ世界に飛び込んでしまったわけだね」
「世間に納得がいかないというか。なんだろう。梨奈は梨奈じゃんか」
すれ違いはもはや顕著だ。
「刑事さんは何が聞きたいの?」
「はっきり言えば、なぜ君が犯罪を犯したのかという事だよ。君は交際相手と過ごした日々や心情を語ってみせる。そこにどんな目的があるのかを私は理解したいんだ。この事件を任された人間としてね」
「…なんだよそれ。僕は今まで犯行目的を話してきたつもりですよ」
「…」
刑事は出鼻を挫かれる思いがした。
「なんていうか刑事さんは、僕がなんでタブーを犯したかを知りたいのかな?フツーに健全な恋愛をすればいいのに、なんでなのって」
「タブー、まあそんなところだ」
「どうでもいいからだよ」
「なに?」
「僕は今の週休2日の生活を変えるつもりはない。他の選択肢を知らないし、結婚だの子育てだの、いわゆる次のステップへ行くつもりもない」
「ああ」
「果てしないルーティンだ。それは梨奈も似たようなところがあった。旦那の事は嫌いだが離婚するつもりはないらしい。だから空いた時間で恋愛がしたい。お互いの境遇が重なった上に、初めて会話した時点でとても気が合う人だと思った」
「ああ」
「刑事さん…もうこれだけだよ。これ以上何を言えばいい」
「…君のしている事は犯罪だ」
「ああ!そうだよ!当たり前じゃん」
やはり犯罪者というには理解に苦しむ。どうすれば私的な感情が犯罪行為を許す事になるというのか。
「…梨奈にはまた会えるかな」
…何を言っているんだこいつは。今まで自分が犯してきた事がなんなのか分かっていないのだ。
「私には理解できない。なぜ平然と秩序を乱すことが出来るのか。きっと君のような人間にも、心の奥底には社会や人を思う情があるだろうに」
「結局そこかよ。僕がどんなに気持ちを言葉にして見ても、刑事さんはそこしか見ないんだな」
「当然だ。これは犯罪なのだ」
「ヤバいね。僕から言わせれば、あんたら警察は絶望的に融通が効かないよね」
「ほう」
「なんだか表面的なところしか見てない気がする。基準とかルールに脳みそが張り付いて生きてるから、人に対してなんでなんで?って思うんだろうね。まるでハエ叩きだ。僕がここではっきり言えるのは、梨奈と出会えて幸せだったって事だよ」
「だからそれが!」
「どうした」と言い切る前に青年は割り込んできて、
「刑事さん、親子丼まだ?もう疲れたよ」
「…さっき食べたばっかりじゃないか。次は朝までないぞ」
「まじかあ〜」
そこから少し沈黙が流れた。時は深夜2時。もう1時間もバチバチやってたのか。刑事も腹が空いていた。今からコンビニへ行けば親子丼があるかもしれない。刑事は2人前の飯を調達するために、取調べ室を後にした。
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