第3話罪悪と厳罰

 ルアバの一件で、ますますギルバードから敬遠されるようになった。

 また父のカールも流石に立腹してしまって、屋敷の自室に軟禁された。

 カレニア以外、誰にも会わない生活が始まり、どうしようもなく退屈だった。


「お嬢様……何とかご主人様を説得いたしますので、しばらくの辛抱ですよ」


 冷めた料理を運んできたカレニアは、目に涙を浮かべながら言う。


「ありがとうカレニア。その気持ちだけで十分だ」


 彼女の好意に感謝しつつ、固いパンをスープに浸す。

 私に残された自由は本を読むことぐらいだ。こっそりと剣術の稽古はしているものの、身体がなまってしまうのは否めない。


 私は東方にいるとされるサムライについての本を読む。

 この本はサムライの文化やしきたりと詳しく記述していた。


『サムライは士道という奇妙な行動原理を尊ぶ。恥を雪ぐために一族総出で戦うこともあれば、卑怯なふるまいをタブーとし、自らが清廉潔白であろうとする』


 私の知る士道とはやや異なるが、やはりどの世界でもサムライはいるのだなと思うと、安心はできた。どうして己がアンヌ・グラスフィールドという娘になったのか。それを考えるたびに頭がおかしくなりそうだった。しかし、サムライがいる現実は些細な不安を吹き飛ばしてくれた。


 おそらく私は――この世界でもサムライになるためにいるのだろう。

 そう信じていた。

 あるいは願っていた。



◆◇◆◇



 サムライの国について想像する日々を三か月ほど送った後、私はようやく屋敷と庭を自由に動ける許可を得た。

 父と交渉したのはカレニアだけではなく、母のニコルもそうだったらしい。年若い自分の娘がいつまでも軟禁されているのは忍びなかったようだ。


 父は渋々という感じで私に自由を与えた。

 その代わり、しっかりと勉学に打ち込むようにと厳しく言いつけた。

 私は異論無く受け入れた。そして熱心にそれらを勉強し始めた。


「アンヌ、見る見るうちに成績が上がっているようですよ。家庭教師たちが驚いていました」

「おそらく反省しているのだろう。素晴らしいことではないか」


 父と母の会話をカレニアが聞いていて、私に伝えてくれた。

 実のところ、教養の重要性を感じていたからだ。

 私が武士だった頃、実父は殿に切腹を申し渡されていた。そのせいでろくな教養など無く、島原の戦で戦功を挙げて、出世するしか道が無かったのだ。


 もし、私に教養があれば――武士として生きられたかもしれない。

 軟禁されていた間に考えていたことである。

 まあ詮の無い話だとも分かっていたが。


「アンヌ様。今度の試験を合格すれば、もはや私たちに教えることはありません」


 家庭教師を代表して、マナーのレグト先生にそう言われたのは、私が十二才になったかどうかの時期だった。


「それなら私は、何を学べば良いのですか?」

「いっそのこと、貴族専門のアカデミーに進学するのも良いのですが。しかしあなたでは集団生活を送るのは難しいでしょう」


 問題を起こしそうだと言外に伝えられた。

 私も同じ意見だったので何も言わない。


「アンヌ様。あなたの中にある、大きな望みを私は何となく感じ取っておりました。それを叶えるためにはさらなる専門分野を学ばれるのがよろしいかと」

「つまり、アカデミーではなく、大学に進学せよと?」

「家庭教師一同、推薦状を書く準備は整っております。その条件は先ほども言った試験に合格すること」


 少し悩んだ後、私は試験を受けることにした。

 結果は文句なしの合格だった。


 大学へ進学することを両親は反対しなかった。

 むしろ誇らしいとさえ思ってくれた。

 私はカレニアを伴って大学へ向かった。

 そこで私は、勉学に勤しみつつ、サムライについて調べることにした。



◆◇◆◇



 それから三年が経った。

 もうすぐ大学を卒業する時期だった。

 私はギルバードがアカデミーを卒業するので、その祝いの席に招かれた。


 もうすぐ夏になろうという暑い日だった。

 すっかり大人になった私は、カレニアに着飾ってもらって宴席に出た。

 アカデミーの卒業祝いということで、ギルバード以外の卒業生も集まっていた。


「おい。その女の子誰だ? アカデミーでは見ない顔だ」

「馬鹿。あれはギルバードの婚約者、アンヌ・グラスフィールドだ」

「あの若さで大学進学したって噂の?」


 やけに視線が集まるなあとのんきに思っていると、ギルバードを見かけた。

 私は礼儀正しく「お久しゅうございます」と挨拶した。

 ギルバードはやや強張った顔で「やあアンヌ」と言う。


「五年ぶりかな? 随分と美しくなったじゃないか」

「ありがとうございます。ギルバード様も立派になられて」


 これはお世辞ではなかった。

 背も伸びていて、余計なぜい肉もなさそうだった。

 精悍な顔つきでどこからどう見ても立派な青年貴族だ。


「アンヌは大学で何を勉強しているのかな?」

「主に歴史ですね。東方にいる方々の」

「ああ、東方史か。悪くない」


 義務的な会話を終えた私は、ギルバードから離れて一人、バルコニーに出た。

 時刻は夕暮れ。生暖かい空気が私を包む。

 立食だが、何も手を付ける気分じゃなかった。


 宴もたけなわとなったが、私の心は晴れなかった。

 慣れない姿をしているせいもある。

 するとギルバードが演壇に立ち「皆に聞いてもらいたいことがある」と話し始めた。


「知っている者は多いと思うが、僕はグラスフィールド伯の娘、アンヌ・グラスフィールドと婚約している」


 突然、何を言い出すのだろうか?

 私はバルコニーから屋敷の中へ入った。

 視線が私に集まる――


「しかし、アンヌは数年前、神職者のルアバに対し暴行を行なった! このことはたとえ幾年経とうが許されることではない! それに栄えあるダラゴン家の者に相応しいとは言えないだろう! そこで僕は――」


 ギルバードの視線が私に向く。

 そして突き刺そうと言わんばかりに――私を指さした。


「アンヌ・グラスフィールド! この場において貴様との婚約を破棄する!」


 屋敷内が蜂の巣をつついたような騒ぎとなる。

 その中で私は、ギルバードと見つめ合っていた。

 得意そうな顔ではあるが、どこか恐れている雰囲気。

 一方、私は裏切られた衝撃とそれに付随した複雑な感情で動けずにいた。


 そして様々な思い出が私の中に入ってくる。

 一生懸命に勉学に勤しんだこと。

 カレニアとの休日の買い物。

 野山を駆け巡った子供時代。

 そして、島原の戦。


 ありとあらゆる経験が私の中に去来していく。

 最後に残ったのは、虚しいという感情。

 寂しさだけが私を支配する。


 ギルバードのことは好きではなかった。

 嫌いでもなかったが、それでも将来の夫として見ていた。

 だから他人ではない、未来で重なる重要な人だった。


 そんな彼に裏切られた。

 ギルバードの悪口を言ったルアバに仕返しをしたことで、婚約を破棄された。


「さあ、アンヌ。この場に君は不要だ」


 ギルバードが自身を奮えさせながら、私に言う。

 元婚約者が、今や悪役となった令嬢に告げる。


「帰りなさい。恥を上塗りせずにいられるうちに」

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