第2話神に代わって成敗する

「お嬢様! 無茶をなさらないでください!」


 大きく高い木の上で、私は父が治める領地を一望していた。

 空は青くて広い。日の本と変わらないのだなと感慨に耽っていた。

 その木の下で、私の専属の侍女であるカレニアはぎゃあぎゃあ騒いでいる。


 カレニアはそばかすが印象的な美しい女で、栗色の髪を短く切り揃えている。

 私よりも五才年長だが、しっかりとしていて、今では私の遊び相手になっていた。

 そんなカレニアは必死になって木を登ろうとしている。私が落ちたら危ないと考えているのだろう。だからこそ、急いで登ろうとして落ちている。


 私は今、十才となっていた。金髪を一本後ろにまとめて、野山を駆け回る日々を過ごしている。父と母がいい顔をしないので、表立って剣術の修業はしないけど、屋敷の裏手にある林でこっそりと行なっている。おかげで多少は戦えるようになっていた。


「カレニア! お前も早く登りなさい。とても綺麗な景色だよ!」

「そんなこと言ってもぉ……お嬢様のようにはいきません!」


 涙目になっているカレニア。

 私は仕方ないなとするする木から降りていく。

 カレニアは「おてんば過ぎますよう」と悲しそうな顔だった。


「それでは、ギルバード様に愛想尽かされてしまいます!」

「ギルバード? あの人は私を嫌っている。とっくの昔にね」


 五才のときに負けて以降、私を避けているようだった。

 だから屋敷に遊びに来ないし、年始の挨拶でもろくな会話をしていない。


「それでも、好かれる努力をしてください! 相手は侯爵家なんですから!」

「……私はね、カレニア。サムライになりたいんだ」


 南蛮人だらけの世界。

 それでもサムライは私だけじゃない。

 だって、屋敷にあった本に書かれていたから。


 東方に住む不可思議な民族――サムライ。

 独自の文化やしきたりを持っていて、国を守るために戦う集団。

 それを読んだとき、私の心は震えた。


「またそんなことを言って。ご主人様がお許しなりませんよ!」

「……許す許さないの問題じゃないんだ」


 私はにっこりと微笑んで、頬を膨らませているカレニアに言う。


「サムライは私の生き様なんだ。多分、お前には何を言っているのか、分からないと思うけど」

「……分からないことを分かっているのなら、少しは諦めてください」


 カレニアは「もう帰りますよ」と私の手を握る。


「今日はご主人様たちのお帰りが早いんですから。また部屋で謹慎するのは嫌でしょう?」

「そうだな。帰ることとしよう」



◆◇◆◇



「アンヌ。家庭教師からマナーは完璧だと言われた。しかし授業を受けないのはいただけないな」


 夕食のときに、父から苦言を言われた。

 そういえば、今日の授業はなんとなく気が乗らなかったので受けなかったことを思い出す。

 私は素直に「申し訳ございません」と謝った。


「しかし、マナーの先生――レグト先生は些か慎重すぎます。もっと先のことを習いたく思います」

「……基礎はできているようだが、ほんの少しでも綻びがないようにと先生が教えてくれているんだ。我慢しなさい」

「かしこまりました」


 私は礼儀作法に則ってスープを啜る。

 うん、口当たりがいい。


「でもあなた。基本的にどの教科もできているではありませんか」

「やる気のない教科は『ある程度できている』だけだ。グラスフィールド家の令嬢たる者、優秀でなければ」


 両親の会話を聞き流しながら、私は料理を食す。

 ……米が食べたくなる。目の前の料理は豪華だが。漬物と一緒にご飯を流し込みたい。


「それと、アンヌには言っておかねばならないことがある」


 父が口髭を触りつつ、もったいぶった言い方をした。

 私は「なんでしょうか?」と興味がありそうに訊ねた。


「その、ギルバード殿のことだが。最近、陰口を叩かれているらしいのだ」

「それは真ですか?」

「しかも原因はお前にある。五年ほど前、剣術の戯れでギルバード殿に恥をかかせただろう」


 私はすっとぼけて「覚えていません」と答えた。

 父はしばらく見つめた後「そのことをからかう輩がいるのだ」と言う。


「神学校の僧侶のルアバという者だ。ギルバード殿と折り合いが悪いらしく、年中諍いを起こしている。ギルバード殿の家は格式高いが、相手は学僧なので糾弾が難しい。それに言ったかどうかは水掛け論になりやすいのだ」


 父は「もう五年前のようなことをするな」と私に釘を刺した。

 母は何度も頷いている。


「……そのルアバという学僧は、神学校にいらっしゃるんですね」

「ああ、そうだが」

「分かりました。五年前のような行ないはしません」


 父が怪しむ前に会話を終わらせた。

 そしてその後は、ルアバの話は出なかった。

 だけど私はその名を忘れなかった。



◆◇◆◇



「それでカレニア。調べてくれたか?」

「ええまあ。ルアバという学僧ですが、確かにギルバード様に対し、陰口や悪口を言っていましたね」


 私の部屋でカレニアの報告を聞く。

 調べるように言ってすぐの報告だった。流石に伯爵家に仕える侍女だ。優秀である。


「婚約者に剣術で負けたことを囃し立てているようです」

「侯爵家に対して、よくもまあ、横暴ができるな」

「ルアバは王家の傍系の出ですので、下手に手は出せません。いくら侯爵家でも」


 なるほどと思いつつ、顎に手を添える私。

 嫌われていても、私の婚約者であることには変わりない。

 いずれ夫婦になるのだから、彼の恥は私の恥でもある。

 侮辱されているのなら、なんとかせねばならない。


「ありがとう。調べてくれて」

「いいですけど……お嬢様何をする気なんですか?」

「ちょっと話し合うだけだ。なに、相手は学僧だから落ち着いて場を設けてくれるだろう」


 私はカレニアを安心させるように微笑んだ。

 彼女は不安そうだったが「それでは失礼します」と頭を下げて帰っていった。

 さてと。とりあえず準備をするかと、私は納屋のほうへ向かった。

 あそこにはいろいろあるからな。



◆◇◆◇



「ひいいいいいい!? やめてくれぇえええええ!?」


 響き渡る悲鳴。

 なんだなんだと向かってくる近所の住民たち。

 私は「もっと騒ぎなさい」とルアバを木剣で殴った。


「ぎゃあああああああああ!」

「皆の者、よく聞くがいい!」


 私は今、神学校のある街の正面門にいる。

 その門の見張り台から、ルアバを逆さ吊りしていた。

 昼間に行なわれた残酷な光景に、住民たちは息を飲んでいる。


「この者ルアバは神に仕える者であるのに関わらず、私の婚約者、ギルバードを悪しざまに言った! だから私が天に代わって罰を与える!」


 そう宣言して、再びルアバを数度殴った。

 殴るたびに醜い悲鳴を上げるルアバ。


「ひいい、ひいいい。もう、言いません! だから、お慈悲を……」

「生憎だが、私は貴様の愛する神ではない」


 また数度殴って、気絶させない程度に痛めつけた。

 もうすぐ自警団か兵士が来る頃だ。

 私はルアバに告げた。


「頭から落ちたら死ぬな」

「う、嘘だろ!? 貴様、聖職者を殺すのか!」

「悪口雑言を言うような者が、聖職者か?」


 私はナイフを取り出した。

 青ざめていたルアバの顔が白くなっていく。


「それでは、さようなら――」

「待って、待ってくださ――」


 躊躇も無く縄を切った私。

 真っ逆さまに頭から落ちていくルアバ――途中で止まった。

 ルアバは気づかなかったようだが、実は落ちない距離で止まるようにもう一本ロープで結んでいたのだ。


「あ、ああ……」


 白目をむいて失禁しているルアバ。

 私は正面門から下りた。


「おい、お前! 一体何を!」


 ようやく到着した自警団に、私は「黙れ!」と怒鳴った。

 そしてその場にいる全員に宣言した。


「私の婚約者、ギルバード様を侮辱した者は成敗する! 今度はロープがつながっていないと思え!」


 私の迫力に皆が何も言えなかった。

 だから堂々とその場を去る。

 これで少しは恥を雪げただろう。

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