第44話 殉死についての話
掲題通り、殉死を主題にした新連載を始めました。「殉葬妃は蘇る ~今度こそ愛する貴方と生きるために~」(https://kakuyomu.jp/works/16818093077155150887)という作品です。最近流行りの(?)死に戻り/回帰転生ものと呼ばれるジャンルです。夫に殉じて埋葬されて死んだはずのヒロインが、十年前に遡って夫の死を回避するぞ! なお話です。糞風習に翻弄されつつ立ち向かうヒロインが性癖です。
こちらはインドのサティ(寡婦殉死)をモデルにしているので中華ではないのですが、中国史でも殉死の例は見られるので、あんまり詳しくないのですがちょっと語ってみようかと思いました。
始皇帝陵から見つかったのが大量の人骨ではなく兵士や馬を模した
いっぽうで、三国志の諸葛孔明が人身御供の代わりに人の頭に見立てた点心を捧げたのが饅頭の由来になったという説もあったりして、儀式的な意味で人の命を消費することはもっと後の時代でもあったのではないかと思います。以前紹介した「中国妖怪・鬼神図譜」の題材である清末の絵入り雑誌「点石斎画報」でも、雨乞いなどで気軽に(としか現代人には評せない)、かつ自発的に命を投げ出す人も多かったようで、今昔での人の命の価値の違いに想いを馳せずにはいられません。
本エッセイで度々紹介している加藤先生の「貝と羊の中国人」(新潮新書、2006年)には、中国は古来、技術や資源不足を人の数で補う人口過多の文化であったため、人の命が軽かった。現代人からすると信じがたい理由で命を投げ出して「そんなもの」とあっさり受け入れていた──というようなことが述べられていました。ちょっと目眩がします。
まあ、中国に限らず、日本史をほんの少し齧っただけでも、江戸末期とかでも現代人には理解しがたい理由で進んで人が死んでいる逸話がいっぱいあるので、蛮族度ではお互い様かもしれません。
話は脱線しますが、「幕末武家の回想録」(柴田 宵曲編、2020年、角川ソフィア文庫)の雲助のエピソードは忘れがたいです。
「大名行列の人足が揃わない時、激昂した侍が斬りかかってくるかもしれないので、簡単に上がれないように人足を手配する問屋場の床は高くなっている」「賭博で負けて逃げた人足は、素っ裸にした上で宿場中を引き回し、
給金の支払いで揉めた相手が、脇差に手をかけたのを見て、斬れるものなら斬ってみろ、と腕を突き出す(←?)。
売り言葉に買い言葉で腕を斬り落とされたら、どうせならもう片方も斬りやがれ、と突き出してまた斬られる(←?)。
揉めた相手の喉笛に喰いついて殺すと言って、後を追うが力尽きて死ぬ(←?)。
徹頭徹尾、「なんで?」でしか構成されていなくて首を捻ることしきりです。当時の日本人の全員が全員こんな感じではなかったでしょうが、よくここから近代化しましたね。すごいですね。
本題に戻りつつ中華の話になると、明代でも殉死の例がありました。皇帝の死に際して妃嬪が死を賜る、というものです。上述のように、殉死の習慣がとうに廃れていたはずの時代で、なぜこんなことをやっていたのかはよく分かりません。太祖洪武帝の時はどうやら実施されておらず、叔父に殺された建文帝は特殊な例外として、永楽帝から始まっているようなのですが、ならば皇帝の権威付けのような意味合いもあったのかもしれません。
(2024年10月25日追記・洪武帝の時も妃嬪の殉死はあったとのことです。誤報すみませんでした)
殉死制度の再開の理由はさておき、本稿で問題にしたいのは、妃嬪たちがいかにして死に臨んだのか、その詳細についてです。
「永楽帝 中華「世界システム」への夢」(檀上寛、講談社選書メチエ、1997年)によると、永楽帝の死後、妃嬪たちは絞首刑で流れ作業的に殺されていった──と読んだのは結構な衝撃でした。殉死って、毒杯を煽るとか自刃するとか、首を絞めるにしても絹を使うとか、もっと自発的だったり尊厳があったりするものだと思っていましたから。皇帝の死の直後に起きるのが、泣き叫ぶ女性たちが宦官によって次々に絞首台に送られていく阿鼻叫喚の地獄絵図で良いのか……? とものすごく思います。
ちなみに私はほんらいドイツ語専攻でナチスについても調べたことがあるのですが、レジスタンスの処刑に際して、あまりに人数が多いため、また、時間短縮のため、前の受刑者の遺体がぶら下がっている状態でも次々に執行していく──という記述を読んだ時は当事者の恐怖を思って震えたものでした。時代も場所も、処刑の理由もまったくことなりますが、永楽帝の妃嬪たちの殉死とかなり似た状況であることに興味と同時に嫌悪を感じずにはいられません。ホロコーストでも、そのほかの迫害・虐殺でもそうなのですが、人の死の効率化と省エネ化は本当にダメだと思います。
創作としては、「魁国史后妃伝」しかり「殉葬妃は蘇る」しかり、理不尽な状況への反発・逆襲は物語の良い動機になり得るのも事実なのですが。特に史実に題材を取る場合は現実の犠牲者への冒涜にならないよう、興味本位でセンセーショナルに掻き立てることがないよう、留意すべきかなと思っています。
なお、明代における殉死制度は、英宗の代で廃止されました。本エッセイでも言及したことのある、土木の変でオイラトの捕虜になる憂き目を見、弟に帝位を奪われた後に帝位に返り咲いた彼です。虜囚になった経緯や于謙の処刑で評価の低い英宗ですが、殉死の廃止を思いつくことができるという点、少なくとも人間らしさはあったのではないかと感じます。
さらに付言すると、帝位を奪われたことで遺恨のあった弟の寵妃については殉死させたとのことなので、その辺りも人間らしくて親しみが持てるかもしれません!
色々な国や時代について、とりとめなく語った回になりました。中華についての調べ物は随時継続していますので、面白い本・資料などについて語りたいことが溜まったころにまたお会いしましょう。
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