第43話 中国史&京劇講座に行って来た話

 執筆のための勉強というと、本を読んだりネットで検索したり、になりがちなのですが、たまにはもうちょっと踏み込んでみましたよ、という話です。


      * * *


 まずは、朝日カルチャーセンターにて、知ってる先生が興味ある題材で講座を持たれることを知ったのでオンライン受講してみました。オンラインなので、今回のタイトルにはちょっと偽りありで、正確には視聴した話、になるのですがそれはさておき。


 講座テーマは「人物で知る中国~呂后」、講師は明治大学教授の加藤徹先生です。 「京劇」などの著書でたいへんお世話になっている加藤先生の講座! かつ、テーマが中華史屈指の「悪女」となれば、悪女もの(魁国史后妃伝)を書いた者としてはチェックせずにはいられないでしょう。講座の日時は平日の日中でしたが、たまたま別件でお休みを取る予定だった日であること、また、一週間の間見逃し配信もあるということで申し込んでみました。


 講座当日は、朝日カルチャーの教室の出席者プラス、オンライン受講者はzoomで接続する形式でした。加藤先生のお声を聴くのは初めてでしたが、X(twitter)をフォローさせていただいているため、穏やかかつにこやかなお人柄は勝手に存じ上げていたため、「ああ、加藤先生だ……」という謎の感慨がありました。

 講座本体については、加藤先生のHPにアップされた資料や各種検索を駆使しつつ漢の成立、劉邦の死とそれに伴う後継者争いに呂后の生涯を絡めて解説する──という感じでした。

 なお、加藤先生のHPには過去に実施された講座用のものも含めて豊富な資料を掲示していただいていました。タイトルを眺めるだけでもワクワクしますし、チェックしていかなければ! と思っているところです。


 漢の成立について、ざっくりとした流れは承知していたのですが、改めて解説していただくと貴重な気付きも多かったです。例えば、中華初の統一王朝・秦が短命に終わった後の王朝であるため、何かと前例がない中での手探りの国家運営であったこと。さらには劉邦も身分低い出自であったため、皇室の血統的カリスマが非常に低い状態であったことなど。

 つまりは、現在に伝わる呂后の残酷さ冷酷さの背景として、成立当初の漢はいつ倒れてもおかしくなかったし、誰が皇帝に取って代わってもおかしくなかった。なので、権力維持のために苛烈な対応をしなければならない事情もあった──という指摘でした。


 この辺り、加藤先生がヤクザの理論で説明されていたのが面白かったです。

 すなわち、ほんらいなら地方の顔役ていどで終わるはずだった劉邦はヤクザの親分。情に厚く人望があるけれど、甘さもあるゆえに呂后は「極妻」として振る舞ったのだ、ということですね。劉邦亡き後、呂后が実験を握ったのも極妻文脈で読むと分かりやすい、でしょうか。さらにその後の呂氏の失脚についても「劉組の看板を呂組にされる訳にはいかねえ!」という論理で説明されていました。これもまた分かりやすいですね。


 画像検索によるイメージの補足に、劉邦を秀吉に喩えたりする分かりやすく親しみのある語り口も相まって、楽しい学びのひと時を過ごすことができました。自宅にいながらにして受講できる・期間限定とはいえ再視聴できるとは、良い時代になったものです。今後も、興味あるテーマの講座があれば申し込まねば、と決意した次第です。


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 続けてもうひとつ、こちらは現地で受講してきたものです。

 虎ノ門にある中国文化センターにて行われた、日本華僑華人文学芸術界聯合会16周年記念イベントのひとつ、「京劇の舞台での表現形式とメイクの豆知識」、講師は京劇役者の張春祥先生でした。


 そもそも中国文化センターの存在を初めて知ったのですが、虎ノ門の瀟洒なビジネス街の一角に佇む施設でした。展示場や会議室スペースを備えて、名前通りの中華文化の紹介・発信のためのイベントを諸々開催しているようでした。

 過去のイベントには創作的にも興味深いものがあったので、やはり今後もこまめにチェックしなければ、と思っているところです。なお、入り口に中国各地の観光地のパンフレットや日中交流を目的とした(?)雑誌等が置かれており、Take Freeとのことなのでごっそりもらってきたりしました。中国語の勉強に、現地の風景や料理、民族衣装の写真などは描写の参考にもなりそうでとても助かります。


 今回のイベントは、書画・写真等の美術の展示が期間中に常設され、日替わりでテーマを変えて諸々の講座が開講される、という趣向でした。開始直前に「中国語だったらどうしよう!?」とふと気づいたりもしたのですが、講師の張春祥先生は流暢な日本語で切り出してくださって心から安心しました。


 講座の内容については、京劇の行当やくどころから始まり、舞台の使い方、入退場のし方・その思想など、京劇役者の先生ならではの具体的な説明がたいへん興味深かったです。役者が舞台に上がった時は、「台口」という舞台中央・客席前のスペースを経由して、役どころを見せつけてから演技に入る──など、拙作の登場人物たちは当然知っているであろうことを、作者の私は知らなかったりするので、実際上の細かなところを知る機会が得られて本当に良かったです。


 張春祥先生による起覇チーバー──特に武将役等が登場する際の、見得に相当する一連の動き──の実演も素晴らしかったです。実に滑らかな流れるような体重移動と体幹のぶれなさ……!

 役どころの「重み」「大きさ」を見せるため、客に背を向けることはなく、舞台の前後を行っては戻る所作で遠近感を交えて表現する、という思想とのこと、映像の場合のカメラワークを役者の動きで表現しているわけで、非常に面白い発想だと思いました。所作の中には、衣装を締め付ける紐が緩んでいないかを確認するためのものも含まれているそうで、この辺りも実践的で描写に活かせそうでした。


 そして、講座の本題でもあるメイクの話について。生旦浄丑のメイクの違い、臉譜くまどりの色の意味合いなど、あるていどは本などでも勉強済みだったのですが、今回意外に思ったのは「白」にも二種類あるということ。粉をはたいて表現する白、「粉白フェンバイ」は油気のない老人を表し、油で溶いて「塗る」白は、おそらく臉譜に使われるような白塗りが該当すると思うのですが、力強さの表現にもなるそうです。


 あと、かなり驚いたのですが、京劇のイメージとして特徴的なおんながたの華やかなメイクや浄の派手な臉譜は、実は比較的最近になって導入されたものなのだとか。見せてもらった清代の写真は、確かに役者のメイクもかなりナチュラルでしたね。1910~1920年ころを境に、現代見られるような派手・豪華なメイクになっていったのは、梅蘭芳の改革による部分もあるとのこと、有名すぎるかの名前がここでも出てくることに、さらに驚きました。


 梅蘭芳が現代の京劇の確立に大いに尽力したことは確かにうっすらとは知っていました。以前読んだ本によると、京劇の演目のひとつ「貴妃酔酒」は、ほんらいは「玄宗帝が訪れず欲求不満の楊貴妃が性的に宦官に絡む」という内容だったところ、梅蘭芳によって「孤閨の怨を嘆いく楊貴妃が艶やかに酔い乱れる」という現在の形式になった──とのことで、「それは確かに重大な役割ですね!?」と思ったんですよね……。映画「覇王別姫」でも「貴妃酔酒」の場面がありましたが、梅蘭芳版の解釈でしたしね……。

 どうやら梅蘭芳は中華民国において「伝統芸能」として堂々と喧伝できる京劇の姿、を作り上げようとしていたのかなあ、と思います。本当のところはどうだったのか、奇しくも上で紹介した加藤徹先生の御著書に梅蘭芳に関するものがあるので、「読まなきゃリスト」の上位に入れたところです。


 そんなこんなで、たまには本から離れ部屋を出ると良い体験ができるな、というお話でした。今後も色々な方面から知識を得られると良いですね。

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中華後宮・京劇ものを書くにあたって調べたり考えたりしたこと 悠井すみれ @Veilchen

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