第33話 映画「覇王別姫」を観た話

 ここ最近、行こうと思えば行けたはずの京劇の公演や講座を見逃していたことに連続で気付いてしょんぼりしております。次は見逃さないように、アンテナの感度は高めておかないといけないですね。

 そんな中、映画「さらば、わが愛/覇王別姫」が4K版で上演中ということを(やっと!)知ったのでお盆休みを利用して観てきました。言わずと知れた、中国近代史を背景に、京劇の女形、その相手役にして兄弟分の役者、そしてその妻の愛憎を描いた一大叙事詩です。監督は陳凱歌(チェン・カイコー)、主演はレスリー・チャン。公開30周年記念でもあったとのことですが、映像美も描かれる人間の生きざま・感情も年月を感じさせないもので、歴史に浸った三時間でした。


 以下、京劇を題材にした作品を書いている者としての所感を交えつつ感想を綴ります。物語のネタバレにも触れますので、未見の方はご注意を。




 物語の冒頭、役者の養成所の描写はまだ清朝の気風が残る時代のことでもあり、街ゆく人々の風俗や修練の様子、参考になる~~と思いながら見ていました。


 役者の卵の少年たちが一緒くたに寝かされている横長のベッドは、オンドルですよね。火を熾した熱気を床下に通す暖房器具、清朝の描写だとよく見るものなので「これか~」ってなりました。大通りの大道芸や屋台の賑やかさと、死体が転がる胡同フートンの裏の対比、北京の冬の寒々しさ、映像で見るとやはりイメージも具体的になります。

 個人的にはサンザシ売りの声の艶やかさが印象に残りました。作中でも意味があるアイテムであり場面なので演出として魅力的に聞かせている面もあったのでしょうか。自作に反映するとしたら、やけに声の良い物売りの正体は実は──なんて展開もできるかも、などと思ったりしました。


 そして、役者の修行の描写について。拙作中でも不打ブーダー不成材ブーチョンツァイ──叩かなければものにならない、という標語(?)を引用したりしていたのですが、思っていたよりずっと厳しくて引きました。覚えが悪いから叩かれるのはまあ分かるんですけど、一応できていても「忘れないように叩き込んでやる!」で叩かれるのは理不尽! 無理矢理開脚させておいて石で固定したり、足上げさせて

縄で吊ったり、今じゃ絶対できないな……な修行を庇い合い支え合い、ともに乗り越えたからこその主役ふたりの代えられない離れられない絆でもあるのでしょうけれどね。後にいっぱい傷つけあうふたりなのですが、幼少期のこの記憶・この体験を共有した「貯金」があったからこそギリギリまで繋がっていたのではないかと思います。

 つまりは、この時代でなければ発生しなかった絆なので、ほかの時代に生まれていたら……と思いを馳せるのは、観客の感傷としてはアリでも実のところは無駄な仮定なのでしょう。これだけ理不尽に殴られても、主役二人は師のことを死ぬまで尊敬している訳ですが、そのやり方では新しい時代の弟子はついて来てくれなかった、というところも描写されている訳ですし。


 そして時代は進んで、日本軍への反抗の機運が高まる不穏な世情を余所に、主役のふたりが役者──旦(女形)の程蝶衣と浄(敵役・英雄役)の段小楼として成功するところからが物語が本格的に動き始めます。無邪気な少年時代からして同性愛を思わせる親密な描写が多くてドキドキしたのですが(狙い過ぎ~~! とさえ思ってました)、磊落で、ともすると鈍感(本当に鈍感)な小楼と、舞台の上でも私生活でも項羽と虞美人さながらに共にあることを望む蝶衣の温度差が不穏で、妖しさが加速するいっぽうで危うさもがぜん増していくのが堪らなかったですね。小楼に臉譜くまどりを描いてあげる蝶衣の手つきの美しく艶めかしいこと!


 蝶衣と小楼の関係が決定的に均衡を崩すのは、小楼が娼婦の菊仙と結婚したこと、なのですが、この一連の流れで蝶衣が見せた嫉妬や動揺がすさまじかったです。非常に女性的な表情で感情なのにそうではなくて、「本当の」女性である菊仙に小楼を奪われていく構図が残酷で。


 例えば、妓楼を飛び出した菊仙を迎えた小楼が、電撃的に結婚式だ! と言い出す場面。蝶衣は今夜はパトロンに呼ばれているから、と止めようとすると、小楼は「舞台を降りても側女を演じるのか」と吐き捨てて菊仙を選ぶのです。

 そう、覇王別姫の英題"Farewell my Concubine"が示唆する通り(この英訳自体はナンカチガウ感はあるのですが)、虞美人は項羽の正妻ではないのですよね……項羽こと小楼の正妻は今や菊仙であって、蝶衣が相手役になれるのは舞台の上だけ、その役どころも「側女」と蔑まれて。そもそも女形を演じるのだって師に決められたことで蝶衣が選んだことではないのに(修業時代、「私は女」という台詞をどうしても言えなくて折檻される描写もある)、そこをあげつらうようなことを言われて。しかもその発言者が誰よりも近しくて(色んな意味で)愛する小楼だという。ひと言でこんなに何重にも心を抉る台詞があるんだ、ということに感動すら覚えます。こんな台詞が書きたい。


 そして、蝶衣と小楼は一度は袂を分かつ分かつのですが、傷心の中で蝶衣が演じたのが「貴妃酔酒」である、という演出にまた痺れました。この演目は、玄宗帝が「約束を破って」「ほかの女を訪ねた」ことを知った楊貴妃が酔って憂いを紛らわせる(憂さ晴らしをする)筋書きなので、私生活の人間関係との重ね方が見事すぎました。蝶衣の演技も心なしか捨て鉢さ、自暴自棄さを感じさせるものだったのでレスリー・チャンの演技力と表現力すごい……とひたすら溜息を吐くのでした。


 なお、この間に蝶衣の心の隙に忍び寄るように囲い込んだパトロン、袁先生はたいへん私の好みでした。「金と権力を持ってる当て馬」としてのムーヴが完璧でした。

 袁先生、蝶衣との肉体的な接触を求めはするのですが、同性愛というよりは美しいものに惹かれる感じかな、と思いました。項羽の臉譜を施して蝶衣と舞い歌って喜んでいる姿は邪な想いだけでなく本当に京劇が好きなんだな、と伝わったので。こういう偉い人は良いですね。終戦後、日本軍のために「いかがわしい」踊った蝶衣を弁護して「少しでも教養があれば我が国の伝統ある詩歌であることは明白、それをいかがわしいとは何事か」と一喝するのも京劇愛と、旧世代の特権階級の貫録を見せつけていて格好良いです。

 それだけに、共産党政権下で凄惨な最期を遂げたのは、時代の変化に伴う数多の悲劇のひとつに過ぎないとはいえ悲しかったですね……。その直後の場面で蝶衣が狂乱していたので、さすがに色々な感情があったんだろうなあと思ったら、どうやら関係ない阿片の禁断症状だったのも悲しいです。報われない。


 三角関係の紅一点として、物語で重要な位置を占める菊仙も語ることが多い役どころでした。

 蝶衣と小楼の間に割って入る女──というのは短絡的な見方で、だって舞台を降りた役者が私生活では結婚するのは自由というものであって、公私ともに小楼を独占したい蝶衣の思いの深さが異常と言えば異常なのですよねえ。(この辺り、同性愛というだけではなく、幼少期あっての家族愛・兄弟愛と、役者として項羽と虞美人の関係性に執着・のめり込み過ぎているのが混ざり合った感情だと思うのですが、彼自身にも境目が分かっていないであろうことがまた泥沼を呼ぶのでしょうね)

 作中、たびたび蝶衣と小楼を引き離そうとする菊仙ですが、少なくとも最初は純粋に義姉としてよろしく、のつもりだったはず……だって「小楼から噂はかねがね」とは言っていたけれど、小楼からして「気心知れた弟分」としか思っていなかったはずなのですもの。小姑に丁重に挨拶したつもりが先妻に歯向かったかのような反応が返ってくるとは、菊仙も小楼も予想だにしていなかったはずで。どんなに近しい存在でも他人の心は完全には分からないということが悲劇の種であり物語として面白いところなのでしょう。


 物語は、主に夫婦になった小楼と菊仙に嫉妬し儘ならぬ想いに懊悩する蝶衣にフォーカスしていくのですが、私としては菊仙が男性の役者ふたりに抱いていたであろう疎外感にも強く感情移入しました。この時代は女は舞台に立てないというのは当然の前提として、役者とは何たるものか、という感覚を持ち合わせていないことによって、蝶衣と小楼の間に決して入り込めない領域があるのが哀れでした。一時、身を持ち崩して衣装を質に入れたりした小楼が、師父に打擲される場面があります。菊仙は「私は妻ですが」なドヤ顔で止めに入るのですが、庇ったはずの小楼に「師父になんて口を!」と怒られてしまうのです。役者の世界の師弟関係や力関係を理解できていないのが浮き彫りになってしまった場面で胸が痛かったです。菊仙は、たびたび小楼に役者を止めるように懇願するのですが、蝶衣と引き離したいという意図や、また、京劇がどう扱われるか分からないという政情への不安は当然ありつつ、自分が立ち入れない世界から離れて欲しかったのだろうな、と感じました。

 物語の終盤、全方面から打ちのめされた蝶衣は、それでもなお虞美人の衣装を纏って美しいのに、共産党政権下での菊仙の装いが地味に飾り気がなくなっていくという対比も残酷でした。


 ほかにも細かい描写や台詞の端々から感じたことは色々あるのですが、長くなったのでこれくらいで。自作ではさらっと明るく描いている京劇の歴史を見つめ直して、綺麗なだけの世界ではないことを再認識しつつ、それでも舞台には夢があって欲しいと思うものです。純粋に物語として、読み込む余地がたっぷりあるストーリーも人物造形もすごいなあ、と溜息を吐くほかなかったりもします。これだけ深みがあるお話を紡げたら楽しいでしょうね……。表現者を見てあれだけ歌えたら・踊れたら楽しいだろうなあ、と思うのにも似た感情ですね。最前線の方々は、もちろん現状に満足したりはしていないのでしょうが。


 「覇王別姫」については、映画だけだと「ここどうだったんだろう?」という箇所が幾つかあったので、小説版も読んでみたいのですがどうもプレミアがついてるようで……地元の図書館にもなかったし。いずれ巡り合えると良いのですが。

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