第26話 科挙についての話①
前回の記事にて書いた通り、次回作で科挙を題材にしたいと思って勉強中です。紹介した「明史選挙志」のほかにも、もっととっつきやすく全般的な本は沢山あるので、紹介しつつ面白かった逸話などを語ってみたいと思います。
最初に読んだのは、宮崎市定先生の「科挙 中国の試験地獄」(中公文庫ほか)。科挙の歴史・制度全般についてとても分かりやすくまとまっています。ただ、主に「科挙制度が完成した」清代の制度に基づいて記述されているので多少注意が必要です。例えば、科挙の出題範囲について「四書五経合わせて約43万字」との記述があり、この数字を引用している小説を見かけたこともあるのですが、これも清の乾隆年間以降のことであって、それ以前は五経のうちのひとつを専攻すれば良かったとか。これを読んだのは前掲の「明史選挙志」でのことでしたが、まあ驚きましたよね……。膨大な量の記憶を要求されるのは変わらずとも、多少なりともイメージは変わるのではないでしょうかね。
ちなみに出題範囲の拡大については、「明史選挙志」でもしかしたらコレが原因では……? という逸話がありました。上述の通り、五経のひとつから選んで解答すれば良いところ、答案を五つ作って提出した受験者がいたそうです。普通は、時間いっぱいかけて呻吟して、ようやくひとつを練り上げるものなので天才ではあったのでしょう。私は性格が悪いので嫌味な奴だな、と思いましたが。当然のごとく規定外のことなので多少揉めたのですが、結局合格になったとのこと。その後、じゃあ俺も、と複数の答案を出す者が続出し、清代にいたって「五経
現代日本人の感覚だと、優秀でも規定違反は不合格にすべきでは? とも思うのですが。最初のひとりの度胸はまだ良いとしても、追従した受験者は評価して良いのかな……とか。ともあれ、そもそも科挙は時代が進むにつれて「落とすための試験」になっていった側面もあるとのことですし、「出せる奴がそこそこいるなら、範囲広げても良くね?」で難易度が上がっていったりしたのかもしれないですね。参加者の熱意によって状況がエスカレートしていく、割とよくある地獄な気がします。(これは本にはまったく書いていない、完全なる私の妄想です)
時代ごとの科挙制度の変遷を負うのにお勧めなのが下記の二冊。
科挙の話 試験制度と文人官僚 村上哲見 講談社学術文庫 2000年
世界史リブレット 科挙と官僚制 平田茂樹 山川出版社 1997年
「中国の試験地獄」と併せるとより解像度が上がるのではないかなあ、と思います。特に後者については、合格者のその後の官途にも触れていたりして、当時の人の生き方を想像しやすくなります。
科挙の歴史についてざっくりと総括すると、家柄重視の登用制度の名残が濃く、成績だけでなく人品も重要な採点要素だった唐、殿試(皇帝による最終試験)と
試験の難易度については、たとえば唐代にはあった課題書の穴埋め問題など、明らかに簡単そうな出題形式は消えていったりしていますね。また、歴史の流れで追うと、印刷技術の発展が科挙制度のそれにも大きく寄与しているのが分かって意外かつ面白いです。宋辺りから、試験の流れで問題用紙が印刷されるくだりが目につくんですよね。技術の発展に伴い、教科書・参考書も大量かつ廉価に出回るようになる訳で、それがまた受験者の拡大に繋がる、と。この辺りを切っ掛けに、中国の印刷史も(文字の性質上、西洋の活版印刷と話が変わってくるので)面白そう、と思ったのですがなかなか難しそう&手が回らないですね……。
もう一冊、科挙関連で見つけて面白かったのがこちら。
科挙と女性 高峰 大学教育出版 2004年
タイトル通り、母や妻や娘がいかに科挙にコミットしたか、という切り口の一冊です。科挙及第者にもたらされる栄誉は家族にも及ぶので、母に対しては至上の孝行になるし、妻は夫を支えることが美徳とされるし、有望な受験者との縁談では様々な悲喜こもごもがあったりする訳です。
家族に限らず、才子佳人というように、科挙受験者と妓女の恋は物語として好まれるし実際にもよくあることだったそうですが、筆者によると「受験生と妓女の関係は、母が子の世話を焼くのにも似る」と非常に辛辣だったりします。科挙及第というゴールの前にはあらゆる献身は正当化されるようです。糟糠の妻を捨てたり、支えてくれた妓女を裏切ったりするエピソードも実話・物語に関わらず枚挙に暇がなく、男って──と言いたくなるのですが。女性のほうも、息子/夫の成功を通して自己実現しようとしたり(成功者の母/妻としてしか女性は歴史に名を残せないので)、非道な振る舞いをした男には世間からの非難が浴びせられたり(女性の保護というよりは、成功者は言動を厳しく監視されるし嫉妬も買う、ということのようですが)もするのが一筋縄ではいかない人間の営みという感じで面白いです。制度面・支配者の側からの記述ではなく、民衆・女性側からの視点も扱っているという点で興味深かったですし、創作においては、登場人物の思考の参考にできそうだと思いました。
男性も女性も、それぞれ種類の違う大変さがあって儘ならなかった、と括りたいところですが、そこそこあるらしい下記パターンの創作は酷いなと思ったので最後に出しておきます。
糟糠の妻を疎んじて殺す進士→妻は生き延びて有力者の養女になる→成功した元夫と元妻がお見合いで再会する→「釣り合う」夫婦として元鞘に収まる
長年連れ添った妻を捨てるのは外聞が悪い、けれど一方で、科挙及第した以上は有力者の妻を娶って栄達したい。という倫理と願望を同時に充足するために「妻が金持ちの娘だったらなーー!!!」をせめて物語の中だけでも叶えるべく考案された類型、らしいです。紹介されていた物語だと、妻は当然怒るのですが、周囲からは宥められて結局──なんですよね。なろう小説もびっくりの都合の良さ! ひどい。
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