第25話 最近読んで良かった本の話②
2023年4月18日発売のマール社刊「イラストと史料で見る中国の服飾史入門 古代から近現代まで」(著:劉永華 訳:古田真一 栗城延江)が手元に届いたのでパラパラ見ているところです。豊富な図版もさることながら、事前の宣伝等で持っていた印象よりも文字が多くて読み応えがあるし小説での描写にも生かせそうです。
まあ、こちらは入手したばかりで読み終えていないし、ほかの方のエッセイで取り上げられているのも見かけたのでこのくらいで。本エッセイでは、あくまでも備忘録として、私が・自作を書くにあたって参考にする・したい本について語っていきます。
という訳で、今回のメインはこちらです。
「明史選挙志 明代の学校・科挙・任官制度」
井上進 酒井恵子 訳注 平凡社東洋文庫 2013年/2019年
タイトル通り、「明史」の中で国子監等の学校制度や科挙の実子等に関わる故実、官吏の任官や評価制度を扱った「選挙志」を注釈する本です。全2巻、1巻と2巻の間に6年空いていますが、出してくださって大変ありがたいことです。
内容は、「明史選挙志」の現代語翻訳・漢文の原文・注釈を一節ずつ列挙するというスタイルです。原文は何となく眺めるだけになってしまうのですが、注釈がとにかく細かく丁寧ですごい。現代語訳を読んだだけだと「なるほど……?」としかならないところ、漢文に圧縮された背景や経緯の解説、具体的な事例や典拠の提示、時には原文の誤記や誤解の指摘など、注釈の先生の博覧強記にひれ伏すのです。明史のほかの部分もこの調子で解説して欲しい……と思うのですが、どうもごく一部しか日本語で見ることはできないようなのですよね。残念。
近況ノートかどこかで言ったことがあると思いますが、花旦綺羅演戯の次エピソードでは科挙を扱いたいと思っているので手を出した本でした。科挙も演劇同様、女性が締め出されていましたし、当然のごとく様々な欲望や陰謀が渦巻く場ですし、物語になりそうでは、と。(ちなみに、男装して科挙に合格するヒロインのお話は割とあるようですが、纏足しててもバレないんですよね。不思議!)
そして、この「明史選挙志」を読めば明代の科挙制度が分かる! かというとそんなことはまったくないのですが。この点は、巻末の解説で井上先生も認めていらっしゃいます。引用すると「それ(「明史選挙志」)によって知られるのは制度の表面的概要、いわば科挙という家の外観や間取りだけであって、その住人、そこで営まれる暮らしのことは何も分からない」──王朝側、統治者側の視点での記述である以上、実際の受験者や学生の目線は考慮されない、という訳です。が、それでもこの2冊は興味深く面白かったし、創作にも生かせる部分も多くありました。
興味深く面白かったところの具体例としては──
・散見される劉瑾、王振、魏忠賢など悪名高い宦官たちの名前。専横を極めた云々と知識では知っていても「本当に色々口出ししてる~~!! 気を遣われてる~~!!」と史文の中で見るのは「進研ゼミでやったとこだ!」状態で面白かったです。
・記述の端々から見える、万暦帝の無気力と崇禎帝の(科挙出身の)官僚不信。たとえば、崇禎帝は科挙によらず推薦によって官吏を登用した(そしてあんまり良い成果が出なかった)、という記述があったりします。明を実質的に滅ぼした皇帝と、明の最後の皇帝ですから多少なりとも事前に知識はあったので、やはり「進研ゼミでry」でしたね。知識が裏付けられるというか、厚みを持って認識できるようになるのは楽しいものです。
ほかには、死後は好き勝手言われる張居正とかですね。なにぶん、清初にまとめた書なので、当時の風聞風潮から完全に逃れることができない部分も歴史の醍醐味という感じで興味深く読みました。この辺り、もちろん詳細な訳注あってのことですが。
創作に役立ちそうな部分としては、2巻に収録の「科場掌故」の章がありました。科挙を巡る不正や異議申し立て、審査官や受験生、その関係者(高官など)の具体的な逸話を集めた章になります。そのまま創作に使うかどうかはさておき、官吏たちも結構好悪の感情や派閥・利害・人間関係で行動しているのが窺えて、宮廷政治の解像度が上がった感じです。
また、人事制度に関して様々な官職・役職名とその簡単な解説が載っているのも嬉しかったですね。本の主題に関することではないですが、メモっておくといつかどこかで使えそう……。
最後に、ある意味これが一番面白かったのですが、どうやら「明史選挙志」そのものに結構誤謬があるようなのですね。訳注にて先生がた(どうやら市川先生がメインで注釈されているようですが、酒井先生との分担は明記されておらず分からないのです)が逐一根拠を引いて指摘しておられます。
「(この記述は)適当を欠く」「はなはだ誤解を招きやすく、厳しく言えば誤り」「必ずしも正確ではない」等々の記述がとにかく目につきました。ほか、明代の一時期や、ある時期以降の話を王朝通しての制度であるかのように語っていたり、人名が間違っていたり(「そんな奴はいない(意訳)」な注釈もありました)。ピンインで似た音で誤字ってるのではないか、などは中国語ならではの指摘ですね。
指摘できる先生方すごいな! というのと、仮にも史書がこんなにミスがあるってどうなの……? と思うのですが。上述したように、明が滅びた後で編纂されたものであり、お役所仕事でもあるので、あるていど「適当」になってしまうのではないか……というお話が巻末の解説でありました。ほかの時代の史書についても当て嵌まることなのかどうかは浅学にして分からないのですが、記録というのはそれくらい揺れや誤りがあるもの、と思うと少しは気が楽になるかもしれません。
なお、解説に至って市川先生の筆致はますます辛辣になっていて、「~などと寝言のようなことを述べている」(これは選挙志に対するコメントではないですが)「とてもではないが精密、丁寧な仕事ぶりとは言えず(後略)」「まともな態度で書いた文章とは言いがたい」等々……あの、もしかして編纂者にお怒りなのでは、と震えれば良いのか笑えば良いのか分からなくなったりしました。とはいえ、筆者の強い感情が覗く記述に当たるとドキドキと同時にワクワクも感じますよね。題材に対する矜持が見えるからでしょうか。好きです。
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