第19話 紫禁城暢音閣について、あるいは史実を創作にどう生かすかの話②

 前回に続いて、史実を創作に組み込む実例の話をします。今回は、実在する建築物をモデルに、どんな発想のもとにどんな描写をしたかを紹介してみます。


 拙作「花旦綺羅演戯」において、三階建ての楼閣型の劇場、万寿閣ばんじゅかくを登場させました。これは、紫禁城の暢音閣ちょうおんかくをモデルにしております。上から順に天界・人界・冥界を表す舞台があり、演目によっては舞台の床の一部を取り外して役者を跳び下りさせたり、跳び上がらせたりしたという──階層や外観の描写、構造も写真と文献から引いた割とそのままです。西太后政権下ではダライ・ラマを招いたこともあったいう暢音閣、現存しており、観光客のブログ等もたくさんあるので、興味がある方は検索してみると分かりやすいと思います。


 さて、劇場型の劇場(舞台)を作品中に登場させた意図は、以下の通り。

・後宮が舞台なので大規模かつ豪華絢爛な演出として

・物語上、ヒロインが重要な演目を演じる場面なので、舞台にも相応の格が欲しかったので

・物語の要請上、とある「トリック」を成立させなければいけなかったので


 上ふたつについては、特に説明は不要と思いますが。三つ目の意図について、どのようなトリックか深堀りしますと、「ヒロインは十五年前に亡くなった名女優の幽霊に扮して演じる。生身の人間でない・死者が語っているという説得力を持たせるために、夜の闇に消えていった──という演出で『退場』する」というものです。さて、中華後宮な世界観で、この物語の要請を満たす仕掛けを描写するか、と考えていたところに知ったのが暢音閣の存在でした。


 作中で実際に描写した「トリック」は以下の通り。

 ・明るいうちに上層の舞台の床を取り払い、天井の鈎針(※詳細は後述)から床部の穴を隠すように暗幕を垂らしておく

・「幽霊」の登場は夜になってから。闇に紛れて暗幕が見えない中でヒロインは演じ、終わったら暗幕の裏に回って中層の舞台に跳び下りる

・中層で待っていた黒子役がヒロインをキャッチ。「様子を見てくる」という名目で上がってきた共犯役が上層の暗幕を落とし、床を元の状態に戻す。

・ヒロインと黒子役は、証拠隠滅のために暗幕を回収しつつ退場する。

 ……という感じです。実在の建物の構造を利用・流用しつつ、説得力のある描写にできたのではないかと! 当初は「殿舎の屋根に上って、向こう側に跳び下りる……?」などと考えていたので、それに比べればたぶんもっともらしい、でしょう。文献で得た知識を上手く創作物に落とし込めた瞬間は気分が良い者でした。


 暢音閣についてもう少し語ると、「最後の宦官」孫耀庭の伝記によると、「十数メートルの高さから俳優が跳び下りる様は実に豪快だ。逆に、宙がえりをして一階から三階へ跳び上がることもできる。」とのこと。跳び下りるのはともかく宙返りで一階から三階へ、は「人間か?」と思うのですが。トランポリン的な仕掛けがあったのか、あるいは孫耀庭は暢音閣が使われているのを実際に見たことはないと思うので、先輩宦官等からの伝聞が誇張されていたのかもしれません。

 上述のトリック解説でさらっと触れた天井部の鈎針については、別の文献・別の建物ですが、「頤和園の頤楽台の戯台には、天井に凹部があり、鉤鐶の装置があった」との記述があったのを参考にしています。舞台を縦に使うことを想定した建物の造りからして、暢音閣にも同様の装置があってもおかしくないだろう、との推測によるものです。

 こういった大掛かりな舞台装置、建物としては暢音閣のように現存しているものもあるのですが、舞台として使うことはもうないので、演出手法や役者の立ち回りの詳細も失伝してしまっているらしいのがとても残念です。壮麗な劇場で、天地を舞台にした大活劇を、同じく高く聳える楼閣の客席から見てみたかったですね。


 という訳で、作中で描写した「トリック」は、文献の記述を信じれば理論上はたぶん可能です。が、拙作中の描写のように二、三人で再現できるかというと厳しいだろうな、とは自覚しています。特に上層の舞台の床を共犯役ひとりで元通りにするくだりは、お風呂の蓋じゃないんだから……と思って書いていました! 歌舞伎でいうところの奈落と同様と考えれば、上演中に操作することもある・簡単な(時間や人数はさほど必要としない)仕組みであろう、との思っているのですが……。ひとりで操作できる床の上で飛んだり跳ねたりするのは嫌過ぎる気がします。あとこのトリックを実行するとたぶん黒子役の人の腰が死にますね。


 事実を踏まえつつ、フィクションに落とし込むに当たっては都合の良いように&説得力がギリギリあるであろうラインを考えて描写しています、というお話でした。

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