第10話 宦官の役職名についての話

 中華もので避けて通れない要素のひとつに宦官がありますね。

 すなわち、男性機能を切除された蔑まれる存在──史実・事実に忠実に考証すると諸々綺麗ではないところも出てくるので、エンタメに落とし込むに当たっては色々ふわっとさせるのが常のようです。彼らの扱いの実のところや浄身去勢に伴う諸々の不都合は描写したところで作者も読者もたぶんあんまり楽しくないので……。リアルとリアリティ、世界観の演出上の描写の濃淡のラインの引き方は作品次第・作者次第なので、末尾に挙げる参考文献等を見ながら各自で模索していただくとして、ここでは、拙作中で(特に下級の)宦官の役職名をどうやって設定したかについて語ってみます。


 前提を説明しますと──拙作「花旦綺羅演戯」では宦官のキャラクターが登場するのですが、

 名前で呼び合うほど親しいキャラクターがあまりいない→ならば役職名で呼びかけるであろう→……宦官の役職名って、何?

 という流れで調べたり考えたりする必要に駆られたのです。


 しばしば目にする宦官の役職として「太監たいかん」がありますが、また、清朝においては宦官全般を指す語としても使われたようですが、本来的には何らかの部署(監)の長のことであり、下っ端宦官である拙作キャラクターには使えないかな、と思いました。ではほかにどんな役職があるのだろう、と調べた末に採用したのが「奉御ほうぎょ」です。ほかの作品で使われているのを見たことがないし、正直言ってこの読みで良いのか用法としてどれほどの正当性があるのかものすごく不安なのですが、一度決めて公開してしまったのでドキドキしながら連載を続けているところです。自分で適宜架空の役職名を作れば良かった? それはそう。でもその手の創作にもセンスが必要ですのでね……。


 一応、根拠とした文献・記述は以下の通り。


・「明代宦官の経歴と宦官集団の変化について」 進藤尊信 集刊東洋学 2009年 より「選入後、官官は(中略)長随・奉御など従六品の役職に就いている。」


・「明代市舶太監の創設とその変遷」 大川沙織 京都女子大学史学会 2016年

より「洪武年間における奉御の身分は従五品から正七品を推移し、最終的に正六品に定められた」


・中国語版Wikipedhiaの「二十四衙門」(20923年1月5日現在)より

「奉御,从六品,无定员。(奉御、従六品、定員なし)」


 入宮直後に就く役職であり、位階としては比較的低く、定員がないのであれば、まあ下っ端の役職と理解して良いのかな……という判断ですね。なお、上ふたつの文献は「二十四衙門」「明代 宦官」あたりのワードで検索して出てきたものだったと思います。二十四衙門がもんは、ご存知の方も多いかと思いますが、明代に制定された皇帝の身辺や後宮の諸事を司る体制であり、主に宦官が各役職に就きました。これまでに何度か言及した通り、拙作は明代の衣装や皇宮をもとに描写していることもあり、宦官の体制についても倣った形になりますね。


 とはいえこの「奉御」なる役職、いくら下位とはいえ叙位されている以上は最底辺ではなかったんじゃ……という気もしております。清代の証言になりますが、後宮に宦官として仕えるのも楽ではなく、最初は無給で・先輩宦官の召使のような立場(というか奴隷が近いのかも)で後宮に入り、役職に空きが出るのを待つ──というようなエピソードも読みましたので。宦官の専横が滅亡の一因となった明の反省を踏まえての清朝でのことなので、採用が厳しく制限されていたということは考えられるでしょうが。その場合、明代では採用は緩かったけれど出世できずに燻る人が多かった、のかもしれません。上述の「明代宦官の経歴~」の内容はその辺りにも該当しそうです。


 ニッチなところかもしれませんが、本エッセイ中で先に触れた検索のし方・調べ方についての実例にもなるだろうと考えて語ってみました。




 最後に、宦官を題材にした書籍で個人的に参考になったものを挙げておきます。


「宦官(かんがん)―側近政治の構造 」 三田村 泰助 中公新書 2012年改版

 初版は1963年と古い本ですが、今なお版を重ねるだけあって内容は非常に有用です。歴代王朝での宦官の役割やエピソードを豊富に見ることができます。明代については上記の二十四衙門の部署名と役割を列記してくれていたのでとても助かりました。


「最後の宦官 小徳張 」 張 仲忱著、岩井 茂樹訳注 朝日選書 1991年

 浅田次郎先生の「蒼穹の昴」で有名な西太后の腹心・李蓮英の次に彼女に仕えた宦官の首領の伝記。本人は「西太后を裏切れない」と口を閉ざしたそうなので、お孫さん(養子の子)が伝聞をまとめた形式になります。そのためか本人の記憶違いや意図的な見栄等があるのか、注釈によると史実とは異なる部分も多いので丸呑みするのは危険かもしれません。とはいえ、この立場の人がこう感じた/語ったというバイアス込みで、清末の宮廷生活を窺い知る証言として非常に貴重なものだと思います。

 西太后に気に入られた切っ掛けが、宮廷の劇団で頭角を現したこと、だったので、京劇役者としての訓練や当時の著名な役者との交流など、拙作の執筆に際しては特に有用でした。


「最後の宦官―溥儀に仕えた波乱の生涯」上・下 凌 海成 河出文庫 1994年

 ラストエンペラー溥儀に仕えたスン耀庭ヤオチンの伝記。貧しさに耐えかねて自宮したところ、傷が癒えた時には清朝は滅亡していたというとても気の毒な人です。なので、正確に言えば民国政府に辛うじて紫禁城に住むことを許された溥儀や太妃たちに仕えた人であり、往時の華やかな宮廷生活を直接は知らないのですが、それでも紫禁城に起居し、溥儀やその家族に身近に接した人の貴重な証言です。例えば、孫耀庭が最も近しく仕えたのは、これも浅田次郎先生の「珍妃の井戸」にも登場する瑾妃きんぴでした(当時の称号は瑞康皇太妃)。読者としてはあの人の後半生はこんなだったか……と感慨深いです。

 下巻では、紫禁城を追われた後に、元宦官たちがいかに市井で生き延びたかの記録が興味深かったです。彼らの大方は職も財もなく困窮する一方で、民衆からは富貴を極めた一部の太監と同一視されて妬まれ憎まれたりとか……。満洲帝国崩壊から国共内戦、中華人民共和国成立までの一市民の証言としても読みごたえあります。

 私は文庫版で読みましたが、孫耀庭の伝記はタイトルや出版社が違うものがいくつか出ている様子、どこがどれだけ違うのかはいずれ読み比べてみたいと思っています。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る